- 著者
-
鈴木 仁
- 出版者
- 北海道大学文学研究科
- 雑誌
- 研究論集 (ISSN:13470132)
- 巻号頁・発行日
- vol.16, pp.1-21, 2016-12-15
本論は、樺太における地名選定と、その後の地名研究の活動から、日本領に再構築される樺太での日本人の領土意識を考
察したものである。
第一節では、幕府や開拓使における樺太の地名の取り扱いをまとめた。アイヌ語地名を漢字表記した行政地名化は北海道
で実施され、開拓使・北海道庁や各支庁による選定がなされており、樺太では明治六年(一八七三)に「樺太州各所地名」
が定められる。だが、各地の表記が整理される前に、明治八年のサンクトペテルブルク条約(樺太千島交換条約)により島
の全域はロシア帝国領となった。
第二節では、日露戦争中に樺太を占領した現地の部隊による地名改称と、これに対する地理・歴史学者たちの反応をまと
めた。明治三十八年(一九〇五)七月に占領が進められたロシア領サハリン(樺太)には、勝利を記念して地名が付けられ
たが、北海道にもあるアイヌ語地名が樺太で消されていることに反対する意見が出されている。
第三節では、明治四十年(一九〇七)四月に開設された樺太庁による地名選定事業についてまとめた。一部に意訳や日本
語地名の新たな設置もあるが、選定の基本方針はロシア語地名を排除し、原名となるアイヌ語地名を調べ、その語音の漢字
表記としている。大正四年(一九一五)八月に、樺太で郡町村が編制されると、広域地名にも採用されている。
第四節は地名研究史とした。樺太の地名には多様な民族と歴史変遷により、アイヌ語以外の言語も影響しているため、島
内では歴史研究の資料として調査されている。本論では、その調査活動のなかから、昭和期には広まった郷土研究により、
異文化であったアイヌ語が郷土の文化として研究される過程をまとめ、昭和五年(一九三〇)に樺太郷土会から発行された
『樺太の地名』を日本人住民による一つの成果として取り上げた。加えて戦後の出身者によるアイヌ語地名研究の見直しや、
郷土の記憶として資料化されたことも補足した。