著者
安里 進
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.179, pp.391-423, 2013-11-15

20世紀後半の考古学は,7・8世紀頃の琉球列島社会を,東アジアの国家形成からとり残された,採取経済段階の停滞的な原始社会としてとらえてきた。文献研究からは,1980年代後半から,南島社会を発達した階層社会とみる議論が提起されてきたが,考古学では,階層社会の形成を模索しながらも考古学的確証が得られない状況がつづいてきた。このような状況が,1990年代末~2000年代初期における,「ヤコウガイ大量出土遺跡」の「発見」,初期琉球王陵・浦添ようどれの発掘調査,喜界島城久遺跡群の発掘調査などを契機に大きく変化してきた。7・8世紀の琉球社会像の見直しや,グスク時代の開始と琉球王国の形成をめぐる議論が沸騰している。本稿では,7~12世紀の琉球列島社会像の見直しをめぐる議論のなかから,①「ヤコウガイ大量出土遺跡」概念,②奄美諸島階層社会論,③城久遺跡群とグスク文化・グスク時代人形成の問題をとりあげて検討する。そして,流動的な状況にあるこの時期をめぐる研究の可能性を広げるために,ひとつの仮説を提示する。城久遺跡群を中心とした喜界島で9~12世紀にかけて,グスク時代的な農耕技術やグスク時代人の祖型も含めた「グスク文化の原型」が形成され,そして,グスク時代的農耕の展開による人口増大で島の人口圧が高まり,11~12世紀に琉球列島への移住がはじまることでグスク時代が幕開けしたのではないかという仮説である。

言及状況

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@bonpata 調べてみると、定説という定説には至っていない感じにみえますね… https://t.co/fmnU0EpXm8 ぼくも知りたいです どちらかというと八重山のほうですが
@UotasSoft 琉球の島々への人々の拡散を、琉球諸語への分岐と見るならば平安時代末期ですね。考古学者安里進は11~12世紀と見ています。 https://t.co/WUJ0AXuACF
遅読すぎて進まないので、これも #自分覚え書き に入れとこ… 「7~12世紀の琉球列島を めぐる3つの問題」『国立歴史民俗博物館研究報告 』第179集 2013 https://t.co/FKHu0YoolT 喜界島が(小さな島なのに)とても重要な地域っぽいので、びっくりしてる。ちゃんと読み終わりたい…
西郷どんで話題の奄美。 古代の南島においては「ヤコウガイ」が交易品であったと考えられている。南島産の「ヤコウガイ」を用いた螺鈿は、平泉・中尊寺にまでとどいていた。 https://t.co/BWzAHXE9ck https://t.co/nSBoWIIrD1

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編集者: Moke
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編集者: Moke
2022-10-10 13:21:45 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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