著者
伊吹 敦
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.127-134,1195, 2006-12-20 (Released:2010-03-09)
被引用文献数
1 1

Though the Treatise on the Two Entrances and Four Practices has been handed down as the record of Bodhidharma's teaching, the reliability of this tradition has not been adequately verified. Surely scholars such as YANAGIDA Seizan and ISHII Kosei have contributed toward the analysis of the sutras on which it was based, and also have pointed out the influence of Chinese classics on it. But the origin of the structure of ‘The Two Entrances and Four Practices’ has not been explained. In my opinion, it should be regarded as the highly original evolution of the method of interpreting the Dharma which had widely prevailed in the South-North Dynasty, especially among Dilun scholars. Therefore, there is no reason to consider that the Treatise on the Two Entrances and Four Practices originates from the teaching of an Indian monk Bodhidharma.
著者
根本 裕史
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.1168-1172, 2008-03-25

本稿は,ツォンカパ・ロサンタクパが中観帰謬派の時間論をどのように再解釈し,そこにいかなる独自性を見出そうとしたかを考察するものである.彼によると,帰謬派は未来,現在,過去の三つの時間をいずれも実在と見なしている.つまり,彼の理解する帰謬派説では,現在のみならず未来(事物の未生起状態)と過去(事物の消滅状態)もまた,原因によって生み出され,かつ,自身の結果を生み出しつつ消滅するというのである.こうした考えは毘婆沙師の三世実有説を連想させるものであるが,ツォンカパによると帰謬派の時間論は三世実有説とは相容れないものである.なぜなら,毘婆沙師は事物が三つの時間を通じて同一性を保ちつつ存続することを主張するのに対し,帰謬派は経量部等と同じ過未無体の立場を取っており,事物は現在にのみ存在すると主張するからである.さらにまた,未来と過去を実在と見なす帰謬派説は,それらを非実在と見なす経量部,唯識派,自立派の説と対照をなすものである.ツォンカパによれば後者の三学派は,事物が未だ生起していない時と既に消滅した時にいかなる実在も見出されないことを根拠に,未来と過去は非実在であると結論する.一方,「自性によって成立した物」を全く認めない帰謬派の立場においては,未来や過去として特徴づけられる実在が探し求められなくとも,それらを実在であると見なすことができる.すなわち,事物の未生起状態と消滅状態はいずれも原因によってもたらされるものであるゆえに,それらは実在に他ならないと結論されるのである.こうしたツォンカパの説明が如実に示すのは,一切法無自性の立場に立つ帰謬派だからこそ,未来と過去を実在と捉えることができるのだという事柄である.
著者
辻本 臣哉
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.92-95, 2019

<p>This paper studies the <i>Hosshinshū</i>, <i>Shasekishū</i> and <i>Tsurezuregusa</i> in relation to Tendai <i>hongaku</i> philosophy. The following results are obtained. Firstly, the <i>Hosshinshū</i> is not affected by Tendai <i>hongaku</i> philosophy. Its stance detests this impure world and encourages seeking rebirth in the Pure Land. The <i>Shasekishū</i> has the idea that everyone can reborn in the Pure Land. However, it does not contain the idea that this real world is a manifestation of Buddha. Finally, the <i>Tsurezuregusa</i> accepts the real world. It finds the truth in the real world and might be affected by Tendai <i>hongaku</i> philosophy.</p>
著者
藤井 明
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.1183-1188, 2019-03-25 (Released:2019-09-30)
参考文献数
13

本論文では仏教版とヒンドゥー教版とで近似する内容を備える『ブータダーマラ・タントラ』(Bhūtaḍāmaratantra)内の「下男,下女の成就法」に見ることの出来るśmaśānaに於ける「肉を売る」修法を挙げ,仏教版BTの特色を明らかにすることを目的としている.BT内では修法者は規定の量(8パラ)の黒山羊の肉を持ってśmaśāna(尸林/火葬場)に赴き,四方を見る.その後,śmaśānaに住むマハーブーティニーがバラモンの姿で現れ,肉と同量の黄金でその肉を受け取るとされる.これと類似の修法は『蘇婆呼童子請問經』の蔵訳にのみ見られる「人肉による成就法」が挙げられ,人肉(mi yi sha)を売りたいと思う者がdur khrod(śmaśāna)に赴くことが説かれている.ここでは夜に死人の肉を切り取り,左手で肉を持ち,右手に刀(ral gri)を持って修法を行い,肉を売ることを大声で呼びかけ,それを繰り返し言いながら東西南北を歩き回る行者の姿が描かれる.また,『妙吉祥最勝根本大教經』内に説かれる修法にも強い親縁関係が認められる.これら修法に関連する修法が,7世紀末から8世紀中葉に活躍したと考えられるバヴァブーティによる戯曲Mālatīmādhavaにも認められ,これらの修法は人口に膾炙した物語を基礎とした,仏教・ヒンドゥー教双方に共有された修法であったと言い得る.この様な共通の修法を扱う題材としては起屍鬼法が挙げられるが,「śmaśānaで物を売る修法」も同様の題材の一つであったと言えよう.
著者
佐久間 秀範
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.1112-1120, 2007

<b>ねらい (目的)</b>: 五姓格別というと唯識教学の旗印のように日本では考えられてきたが, 吉村誠氏, 橘川智昭氏などの研究から法相宗の事実上の創始者窺基に由来することが判った. 窺基はそれ以前の中国唯識思想が如来蔵思想に歪められていたことへの猛反発から玄奘がもたらした正統インド唯識思想を宣揚しようとし, 一乗思想の対局の五姓格別を持ち出したと考えられる. それならば五姓格別思想も, その起源をインドに辿れるはずである. これまでインドの文献資料の中にその起源を位置づける研究が見あたらなかったので, これを明らかにすることを目的としたのが当論文である.<br><b>方法 (資料):</b> 全体を導く指標として遁倫の『瑜伽論記』の記述を用い, 法相宗が五姓格別のインド起源の根拠と位置づける『瑜伽論』『仏地経論』『楞伽経』『大乗荘厳経論』(偈文, 世親釈, 無性釈, 安慧釈) と補足的資料として『勝鬘経』『般若経』に登場する当思想に関連するテキスト部分を逐一分析し, その歴史的道筋を辿った.<br><b>本論の成果等</b>: 諸文献のテキスト部分を分析した結果, 五姓格別思想は三乗思想と無因子の無種姓とが合成されたものであることが判った. その過程を辿れるのが『大乗荘厳経論』第三章種性品であり, 無種姓という項目が声聞, 独覚, 菩薩, 不定種性と並列された第五番目に位置づけられるようになったのは, 最終的には安慧釈になってからであることが歴史的な発展過程とともに明らかになった. その場合玄奘のもたらした瑜伽行派文献の中国語訳に基づく五姓格別思想は, 玄奘が主として学んだナーランダーの戒賢等の思想と云うよりも, ヴァラヴィーの安慧系の思想を受け継ぐものと考えられる. これは智と識の対応関係などにもいえることであるが, 法相宗の思想の基盤が従来考えられたようなナーランダーにあると云うよりも, ヴァラヴィーなど他の地域に依拠しているケースが認められたと云うことであり, これまでの常識とされていた中国法相教学の思想の位置づけを含めて, 教理の内容を吟味してゆくことを要求する内容となった.