著者
楊 海英
出版者
静岡大学人文学部
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.A23-A65, 2004-01-31

「遠(元)太子与真太子的故事」在蒙古族社会当中広範流伝。成書於17世紀以後的『黄金史』和『蒙古源流』等史書亦載有大同小異的故事。中国方面古籍,自明清以来多有明成祖永楽帝為元帝之子的説法。諸如此類,迄今各方学者都有論考。本文首先紹介了一篇作者従当今内蒙古鄂爾多斯地区収集到的関於「遠太子与真太子的故事」的手抄本。接下来重点分析了該故事是在什〓情況下、由誰、針対誰来講的。通過対1934年天津『大公報』所登歴史小説『中秋血』之広告等事件的分析,指出「遠太子与真太子的故事」不僅是反映了由元至明的改朝換代時期蒙古人的思想,其之所以経久不衰,是因為該作品無論在任何時代都具有強烈的現実意義。該故事既有歴史性又有現実性,此即該故事長期受入喜愛之根本原因。
著者
安永 愛
出版者
静岡大学人文学部
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1-2, pp.61-83, 2011-01-31
著者
浜渦 辰二 浜渦 辰二
出版者
静岡大学
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.53-101, 1999
著者
浜渦 辰二 Held Klaus
出版者
静岡大学
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.1-46, 1999
著者
浜渦 辰二
出版者
静岡大学
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.A1-A24, 2005-01-31

シュッツはウィーンに生まれ、ウェーバーの理解社会学をフッサール現象学で基礎づけようとした処女作『社会的世界の意味構成』でフッサールの知遇を得たのち、ナチスの迫害により米国へ亡命し、現象学的社会学の創始者となった。シュッツがフッサール現象学のなかで最も重要と考えたのは、間主観性の問題圈であった。シュッツは、フッサール現象学の枠組みを継承しながらも、初めからレ超越論的現象学の問題は意図的に放棄し、「自然的態度の構成的現象学」である「現象学的心理学」にとどまることを宣言していた。そのことを知りながら、フッサールはシュッツの処女作を絶賛した。それは、晩年のフッサール自身が繰り返し主張していた「現象学的心理学と超越論的現象学」という枠組みが、シュッツの現象学的心理学(ひいては、現象学的社会学)の構想を受け入れるものだったからである。処女作脱稿直後にフッサールの『デカルト的省察』(仏語版)を読み終えた前期シュッツは、「問題の解決のための本質的な手がかりを与えている」と評価していたが、亡命後の後期シュッツは、「その解決を一歩一歩吟味」していき、「フッサールの議論にある明らかな失敗」を主張するに至った。シュッツが失敗の原因と考えたのは、「〈構成〉という概念の意味がずれていったこと」であった。しかし、フッサールの〈構成〉概念の用語法を見ると、能動態、受動態ともに再帰動詞の形が次第に多くなる傾向が見られ、この再帰動詞形に着目していく時、後期シュッツの読みとは異なる読み方が可能になるように思われる。私見によれば、フッサールが未刊草稿で求めていたのは、まさにこの異なる読み方の方向であったが、シュッツは生前にこれら未刊草稿を読むことはできなかった。間主観性の問題を、フッサールは超越論的現象学において解明しようとしたのに対して、シュッツは自然的態度にとどまり、生活世界の存在論において解明しようとしたと、とりあえず言うことができる。その時われわれは、生活世界の存在論と超越論的現象学を対立構図のなかで考えている。しかし、フッサール自身そのような対立構図で考えてはいなかった。それゆえにこそ、フッサールはシュッツの現象学的社会学を受け入れる余地があったのである。現象学的心理学と超越論的現象学の間にはさまざまな対話可能性がある。シュッツの功績は、哲学的な関心をもつ社会学者と社会学的な関心をもつ哲学者の間に対話の可能性を準備しておいてくれたことにあろう。
著者
楊 海英
出版者
静岡大学人文学部
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.A113-A140, 2008-07-31