著者
永浜 武彦 武井 洋一 鮫島 千秋
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.577-582, 1960-07-20

I.緒言 最近感音性難聴に対するコンドロイチン硫酸の効果が注目され,その治療成績も発表され始めた。著者らの教室でもこの薬剤を使用しているが,現在までの治療成績を検討し,中間成績として発表することにした。
著者
佐藤 忠雄 清水 雅子 渡辺 一
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.585-586, 1956-09-20

においのある物質の溶液,たとえばサルバルサン,カンフル,ビタミンB1等の溶液を鼻からかいでみると,それぞれ特有のにおいを感じる。これは即ち鼻性(呼吸性)嗅覚である。一方これらの溶液を静脈内に注射すると7〜8秒後に同様ににおいを感じ,しかも鼻からかぐ場合よりもより強く感じることは既に知られているところである。静脈注射によつてどうして嗅覚が起るかというと,これらの物質のにおいが気道(主として肺)から放散され,これが呼気に混じて主として後鼻孔から鼻腔に送られ嗅神経末梢を刺戟するために嗅覚を起すと考えるのが常識的な考え方である。このことについては既に1916年にForschhei—merがネオ・サルバルサンを静注すると,注射されたサルバルサンのにおいが呼気に混じて出て,来て,これによつて嗅覚が惹起されると述べている。ところが1930年にBedntär, Langfelder等は静脈注射によつて起る嗅覚は,静脈内に注射されたにおいのある物質—嗅素—が血行中で直接に嗅神経末梢に到達しこれを刺戟するために起るものであるという説を提唱した。彼等はこれを血行性嗅覚(或は静脈内性嗅覚)と呼び,従来考えられている嗅覚,即ち呼吸性(或は鼻性)嗅覚とは全然別に存在するものであると主張した。1938年,石川はこれを追試して両氏の説に賛成し,嗅覚は鼻性と血行性の二つに大別しうるということを述べている。我々は嗅覚障碍の治療法として水溶性カンフル(ガダミン)の静脈注射療法を試みた際,たまたまこの血行性嗅覚の存在について疑念を抱いたので,これを検討した結果,血行性嗅覚なるものは存在せず,所謂血行性嗅覚と考えられたものは普通の鼻性(呼吸性)嗅覚にほかならぬという結論に達したのでここに報告し,諸賢の御批判を仰ぎたいと思う。 Bednär, Langbelder等が血行性嗅覚の存在を主張する根拠は何処にあるかというと,それは彼等の行つた次の如き実験の結果によるものである。即ち彼等は被検者として嗅覚正常なものを選び,鼻腔に流動パラフィンを浸したタンポンを施し,先づ鼻性嗅覚の存在しないことを確かめたのちネオ・サルバルサン溶液,カンフル溶液,再餾テレピン油等を静注すると,それぞれ特有の嗅感覚を認識した。従つてこの際起る嗅覚は鼻性(呼吸性)嗅覚とは無関係の全く別種の嗅覚であつて,これは血行性に直接嗅神経末梢部に到達して起る嗅覚であるから血行性嗅覚であると考えたのである。しかしこの実験では完全に鼻性(呼吸性)嗅覚を除外したとは言えないのである。何故ならば,鼻腔はタンポンによつて遮断されているから,呼気の大部分は口から出るけれども,その一部が後鼻孔から入つて鼻腔の後部から上昇し嗅神部に到達しないとは断言出来ないからである。(嗅神部の全部をタンポンガーゼで覆うことは不可能である)従つて,鼻腔にタンポンを施して鼻呼吸を遮断しておいてもなおかつ嗅覚が起るからこれは血行性の嗅覚であると断定するのは早計であるといわざるを得ない。そこで我々はもつと完全に鼻呼吸を除外してもなおかつ嗅覚(所謂血行性嗅覚)が起るか否かについて実験した。
著者
高原 滋夫 小倉 義郎 岡崎 英生 千葉 和夫 三谷 恭夫 前田 剛志
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.135-138, 1969-02-20

I.はじめに 現在わが国において普及発展の途上にある難聴学級についてまずその歴史と概要について簡単に述べたいと思う。 従来,普通児における普通小学校とろう児におけるろう学校とは,種々の面で一応完備の状態にあるが,第1図に示すように,普通児とろう児の中間的な存在である中等度難聴および一部の高度難聴児で,しかも現在の医学では治療の困難な難聴児については長い間教育上の何らの対策も講じられないままに放置されていた。
著者
川上 晋一郎 赤木 成子 松本 憲明 木村 守 水河 幸夫 東川 俊彦 増田 游 小倉 義郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.169-175, 1987-03-20

はじめに 昭和34年岡山市で難聴児調査が行われ中等度難聴児が全児童の約0.1%に認められた1)。彼らは普通児とろう児の中間的存在であったため教育的配慮がなされず放置されていた。昭和35年4月高原ら2)により中等度難聴児に聴能訓練,言語指導と学習指導を目的として岡山市内山下小学校にわが国で最初の難聴学級が開設された(図1)。その成果が発表されると難聴学級の必要性が痛感され日本全国でつぎつぎと開設された。そして現在小学校311校,中学校92校の難聴学級が開設されている。内山下小学校難聴学級開設以来25年が経過し,いろいろな点で変化が起きてきた。その歴史を振り返り今までの成果と難聴学級が現在抱えている問題点について検討した。
著者
屋宜 晃 設楽 哲也 岡本 牧人 佐野 肇 樋口 彰宏
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.955-959, 1987-11-20

I.はじめに インフルエンザワクチンは広範な接種が行われているにもかかわらず副作用の報告は少なく,とくにHAワクチンに変更してからは安全なワクチンといわれている。しかし稀ながら神経系の副作用の報告は散見され,とくに米国で多発したGuillain-Barré症候群の例は有名である1〜3)。最近われわれはインフルエンザワクチン接種後に生じた興味ある突発性難聴2症例を経験したので,若干の文献的考察も加え報告する。
著者
赤池 清美 堀 悦明 渡辺 一夫
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.39-42, 1957-01-20

緒言 鼻内手術後に従来から用いられているガーゼタンポンは,其の除去に際し屡々疼痛と再出血に悩まされる為,高野豆腐或はスポンゼル等を用いて効果的であるとの報告がある。 今回吾々は鼻内タンポンとして凍蒟蒻を使用した所,抜去時疼痛も再出血も見られない点等非常に効果的であつたので,決して目新しいものではないが,近時忘れられた感があるのではないかと考え,記憶を薪たにする為,敢えて茲に報告すると同時に,諸賢の御試用を推奨する次第である。
著者
田口 喜一郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.403-406, 1966-04-20

Ⅰ.緒言 めまいを主訴とする疾患はきわめて多いが,耳鼻科領域に限っても,一般に鼻疾患ことに慢性副鼻腔炎に伴うめまいはよく知られていないために,不適当な治療を加えられて患者の苦痛を緩解し得ないことがある。わたくしはとくに炎症性変化の少ないといわれる蝶形骨洞に限局した炎症のために,重篤なめまい,歩行障害,両側耳鳴,後頭部痛を主訴として来院,これが文献上OaksおよびMerrill1)が1930年に発表している蝶形骨洞症候群Sphenoidal Sinus Syndromeなることを確め得た興味ある症例を経験した。
著者
中川 遵 嘉川 須美二
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.691-695, 1977-09-20

I.はじめに 耳閉感は耳鼻咽喉科を訪れる患者の愁訴群中もつともpopularなものの1つである。その原因疾患としては①外耳閉塞疾患(耳垢栓塞,外耳道閉鎖症など),②中耳伝音系障害(中耳カタル,耳管狭窄症,鼓膜外傷など),③内耳障害(メニエール氏病,突発難聴など)が挙げられる。特に注目すべき点は,難聴が軽度の場合あるいは突然おこつた場合は難聴を自覚せず,まず耳閉塞感を訴えることである。したがつて耳閉感は一面としては重篤なる難聴の初発症状としての意義もあると言えよう。現在のところでは後迷路系の聴覚伝導路障害による耳閉感は,はつきりとしていないので,まず耳閉感患者には上述の①〜③の原因によるものを考え得る。しかし私たちが耳鼻科外来にて診療を行なう場合,これらの疾患群に当てはまらない,あるいは他の特別の疾患を伴わないのにもかかわらず,不快感のある耳閉感を訴える症例にしばしば遭遇する。いわく聴力検査正常,耳管通気度良好,鼓膜所見・外耳道所見正常といつたものである。このような例は一般臨床医家を苦しめるものであり,仕方なく当座の処置として耳管通気法,鼓膜マッサージ,ビタミン類の投薬を漫然とくり返していくうちに患者の信を失うに至るものである。私たちはこのような例の多くに,後頭部の鈍痛,胸鎖乳様筋付着部の圧痛,下眼瞼部の圧痛,緊張性頭痛,眼のかすみ,悪心などのいわゆる肩こりに随伴した症状を見出し,それらの症例に対し主として肩部の有痛部への1% lidocaineブロックないしneucoline Pのブロックを施行したところ,肩こりの改善と平行して耳閉感の消失あるいは改善をみたので報告し,併せて肩こりからの耳閉感の発生要因について考察を加えた。
著者
高橋 良
出版者
医学書院
雑誌
耳鼻咽喉科 (ISSN:03869679)
巻号頁・発行日
vol.23, no.5, pp.182-186, 1951-05
著者
市原 正雄 上野 正一郎
出版者
医学書院
雑誌
耳鼻咽喉科 (ISSN:03869679)
巻号頁・発行日
vol.30, no.12, pp.959-965, 1958-12-20

序言 音響性外傷を主としたC5 dipに関する研究は近年,各種中毒,頭部外傷,スポーツ後等にも出現する事が認められているが,余等は身心共に極度に疲労すると思われる徹夜麻雀時に於ける聴力を時間の推移と共に検査し,聊か興味ある知見を得たので茲に報告し,諸賢の御批判を乞わんとする次第である。