著者
竹田 伸一
出版者
名古屋大学大学院文学研究科
雑誌
名古屋大学人文科学研究 (ISSN:09109803)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.33-46, 2014-03

キリスト教美術において、最も古く原初的な蛇の図像はアダムとエバを誘惑した楽園の蛇である。蛇の図像は古代から中世に至るまでは普通の動物として描かれるのが常であったが、8世紀から16世紀にかけては想像上のドラゴンや異種を合体させたような動物などが盛んに描かれた。今回取り上げるのは、14世紀前半に遡る絵付聖書物語の『人間救済の鏡』(Speculum humanae salvationis)の絵である。その楽圏の蛇は多くの図像の中でも最も奇妙なものと苦える。なぜなら、エバを誘惑する楽園の蛇が女の顔と翼を持つ鳥のような体の姿で描かれているからである。このように描かれる楽園の蛇は他に例がなく、『人間救済の鏡』の独特な図像と言える。この蛇の体はバシリスクのものとすることが妥当と考えられるが、これまでなぜバシリスクの姿で描かれるようになったかの経緯を解明した研究はない。本研究は女の顔とバシリスクの体を持つこの独特な図像を、創世記3章15節と詩編91篇13節に関連する文字テクストと蛇やバシリスクを踏みつけるキリストやマリアの図像テクストの両面からその解明を試みるものである。
著者
深津 周太 FUKATSU Syuta
出版者
名古屋大学大学院文学研究科
雑誌
名古屋大学人文科学研究 (ISSN:09109803)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.33-46, 2009-02 (Released:2018-02-21)

17世紀書写の大蔵流虎明本に存在する「ナ」の1例について、従来の見解ではこれを呼びかけの感動詞と解釈するのが一般である。ただし、同時期の他の文献を合わせても類例を見出せないことなど未詳な部分も存在し、あくまで消極的な認定が行われているにすぎない。本稿では他の呼びかけ感動詞の使用実態と照らし合わせながら、当該の「ナ」がそれらとどのような関係にあるかを実証的に提示し、呼びかけ感動詞としての解釈が困難であることを主張する。さらに統語的な条件を根拠に、間投助詞や終助詞、禁止の意味をあらわす副詞としての可能性を否定する。それを踏まえて、この「ナ」はその出現位置(文頭)からして感動詞とみなさざるを得ないが、それは積極的に他者への呼びかけの意味を持つものではないと結論づける。
著者
杉淵 洋一 SUGIBUCHI Yoichi
出版者
名古屋大学大学院文学研究科
雑誌
名古屋大学人文科学研究 (ISSN:09109803)
巻号頁・発行日
no.39, pp.89-104, 2010-03

1926年、有島武郎『或る女』の前篇部分が、駐仏外交官の好富正臣と駐日経験のあるアジア研究家アルベール・メーボンの手によって翻訳され、パリの書肆アーネスト・フラマリオン社より上梓されている。本論では、日本における唯一の文学の師として有島を慕っていた芹澤光治良の回想文などを手掛かりに、この翻訳本が出版された背景、翻訳をめぐる人物達の日本-フランス間における交流を炙り出し、当時の日本語の小説がフランス語に翻訳されていく一過程を、翻訳テクストを作り出していく共同(協働)体というものを念頭に置きながら明らかにすることを狙った。また、その点から、有島武郎が日本文学の変遷において担った役割を再考するとともに、有島武郎の文学作品がフランスに発信されることによって、一部のフランスの知識人階級にインパクトを与えたであろう可能性を、フランス語に訳されたテクストと原書とを比較することによって提記した。
著者
青木 啓将 AOKI Hiroyuki
出版者
名古屋大学大学院文学研究科
雑誌
名古屋大学人文科学研究 (ISSN:09109803)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.109-116, 2009-02

刀匠とは日本刀の刀身を鍛造する制作者である。刀匠たちの多くは材料鉄を購入しているが、岐阜県関市のA刀匠はこれを購入することなく、自家製鉄をおこなう数少ない刀匠の一人である。A刀匠がこだわる自家製鉄は、材料鉄を購入するよりも手間がかかるが、A刀匠のウリになりつつある。筆者は本稿を、A刀匠の自家製鉄について報告するものであるとともに、民俗学の生業研究において提起される、人びとが生業から得る楽しみに着目する生業研究に向かうための布石としたい。
著者
釋 七月子
出版者
名古屋大学大学院文学研究科
雑誌
名古屋大学人文科学研究 (ISSN:09109803)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.1-14, 2014-03

自分史を書く人は、60歳代、70歳代中心の高齢者層に多く、幼少期から青年期にかけて戦争を体験している人も少なくない。それゆえ自分史を考える際、戦争体験を避けては通れない。本稿では、自分史作家・鈴木政子の作品を分析することにより、自分史における「戦争体験の継承」についての考察を試みた。鈴木政子は満州からの引揚者の一人で、子どもの頃に戦争を体験している。自分史を書く過程で、鈴木の戦争体験に対する考え方は「思い出したくない過去の出来事」から「現在の問題」へと変化し、生きている戦争体験者として自分の体験を次代に伝える義務がある、という認識に至る。また自分にも戦争の責任があるという加害者意識も芽生える。さらに鈴木は満州の収容所で行われた「ソ連兵や中国兵による強姦」という事実を明らかにする。悲惨な過去を引きずりながら生きてきた女性たちの代わりに書かれた『わたしの赤ちゃん』は、同時に鈴木の自分史の集大成でもあった。