著者
田口 知弘
出版者
朝日大学
雑誌
朝日大学一般教育紀要 (ISSN:13413589)
巻号頁・発行日
no.35, pp.45-61, 2010-01-31

言語は伝達手段としてだけでなく、平和的、敵対的手段にも利用される。日々の生活の中で、言語は潤滑油としてコミュニケーション手段の大きな役割を担っている。日常言語は人と人を結び付ける共鳴力を持っている。さらに言語は国家政策の根幹を握り、国の外交交渉手段として舵取り的な役割を果たしている。それによって国際関係がスムーズに展開している。言語は日常レベルから高レベルの外交言語まで幅広く、言語領域、職種、社会層によって異なっている。国際化とグローバル化が進む中で母語の存在は最も重要である。現在、大国言語支配になっているが故に、母語の魔力と同一言語の民族連帯感は消し去ることはできない。言語は権力と隣合わせで、言語は権力によって利用されやすい。メディアは権力維持のためサポート手段に利用されやすいのである。メディアは体制に従順ではなく、報道の<真実性>と<客観性>に主点を置くべきである。それに基づいて市民は判断基準を決めることができる。なぜならそのメディア情報を信頼しなければならないからである。報道は客観報道原則と知的誠実さがなければならない。言語環境は経済的に豊かな社会から貧困社会まで幅広く、言語習得できる範囲が異なっている。経済的余裕がなければ他言語を学ぶこともできない。他言語を学ぶことはその国への寛容さ、文化的尊敬の念と関心がなければ他言語を習得しないであろう。この地球上で日々武力紛争が頻繁に起こり、対話によって平和的方法で解決している。他方で、敵対的手段として、言葉による介入が感情的に紛争をエスカレートさせ、対立を激化させている。言語は表と裏がある。そこで言語が言語を攻撃的手段として利用されないよう抑止する役目が必要である。
著者
森下 伊三男 服部 哲明 亀谷 みゆき 米田 真理
雑誌
朝日大学一般教育紀要 = Journal of Liberal Arts and Science Asahi University (ISSN:13413589)
巻号頁・発行日
no.46, pp.1-17, 2022-03-31

朝日大学教養教育開発室(以下「開発室」という。)は、発足から一般教育課程における英語教育の在り方について調査研究をおこない、その成果を「朝日大学一般教育紀要第42号」[1 ]にて報告した。その後、一般教育に限らず、大学教育の場における日本語教育の在り方について調査検討を行い今日に至っている。本稿は、開発室が2019年1 月31日付で学長に提出した報告書を基に、更に日本語教育についての方向性を開発室で検討しまとめたものである。本学の教養教育は、人文科学・社会科学・自然科学・語学・保健体育等の広い分野・領域を占めているが、本稿では、それらの教養教育に限らず、専門教育を含めたあらゆる教育活動において日本語教育を推進していくための指針を検討した。その結果として、縦軸に「文字情報」・「音声情報」、横軸に「理解する(Input)」・「表現する(Output)」をとり、そこにさまざまな日本語活動をマッピングし、それらの活動を有機的に結び付ける図を作成した。その図をベースに何種類かの科目について、本来の科目指導とともに付帯的に指導できる日本語活動とその流れを具体的に示した。それらの図を活用することにより、朝日大学での日本語教育活動がますます充実し、学生の日本語力増強に繋がることを期待している。
著者
山田 昇司
出版者
朝日大学
雑誌
朝日大学一般教育紀要 (ISSN:13413589)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.27-66, 2014-02-28

I started teaching English about thirty-five years ago. First I taught just as my teachers taught. But I had to give up my teaching style at my second workplace, a techinical high school. The students hated my teaching and my class almost broke down. But luckily I met TM Method then, which was invented by Mr. and Ms. Terasima. It is a quite unique way of English teaching. It says, for one, in reading why not give a syntactical marker to the sentence and a meaning for every word, and in pronouncing add a rhythm marker and katakana for each word. After adopting this method they began joining the class and even feeling happy in learning. Here in this university, where I started teaching eight years ago, I have been designing my English lessons on the basis of TM Method.In this article I analyzed my oral classes of Les Miserables in the first semester of 2013, quoting some of my students' essays on their own learning. Here are some of the doctrines of this method whose efficacy I reaffirmed in this article-(1)Teach not all, but only the basics of English grammar (text or sound), especially for those who have had defeated experiences in their English learning. (2)Choose a moving and enlightening subject matter appropriated for university students. (3)Make the most difficult but motivating tasks and arrange them in a proper order. (4)Put in some collaborative tasks so that the students can enjoy learning together. (5)Design the 90-minute period with a change enbedded in the fixed pattern. (6)Give the learners repeated chances to try for the skill tests so that they can feel that they have done enough. I hope that I am successful in showing in this article how this method worked out to grow the motivated learners of English.
著者
于 日平
雑誌
朝日大学一般教育紀要 = Journal of Liberal Arts and Science Asahi University (ISSN:13413589)
巻号頁・発行日
no.44, pp.11-23, 2020-03-31

文に対する定義は次の2点で意見の一致が見られていると言えよう。1)コミュニケーショ ンの基本的単位であり、構造的にも意味的にも完結体をなしていること、2)文は表出内容の「命題」と話し手の心的態度の「モダリティ」という二つの部分から構成されていること、と。 1 しかし、具体的に日本語文において「命題」と「モダリティ」はそれぞれがどのように形作られ、両者がどのように結合されていくのか、それは文レベルにおいて、意味伝達のために用いられる[主―述]構造とどのように関わっているのかについては、解釈が大きく分かれている。言語活動は、話し手が記号を使って能動的に意味表出を行う主観的で創造的な活動である以上、文レベルにおいて構造的に「何について述べるか」と「どのように述べるか」という分け方には、すでに話し手の表出意図が含まれていると考える。本研究では、日本語文を対象に、具体的に[文内容・モダリティ]の結合・融合の仕方を三段階に分けることにする。第一段階 =[主―述]構造によって表される「命題」で、その結合体に話し手の表出意図が示されている;第二段階 =「述部の実質的内容に対する話し手の認定」を示すもので「、対事的モダリティ」を表す;第三段階=話し手が「対事的モダリティを含む述部内容」を相手―聞き手または読み手―に差し出す心的態度を示すもので、「対人的モダリティ」を表す。このように「対事的モダリティ」も「対人的モダリティ」も「述部内容」を特徴づけるもので、[主―述]文構造において「主部内容」と結合して意味表出的に一体化するのである。
著者
山田 昇司
雑誌
朝日大学一般教育紀要 = Journal of Liberal Arts and Science Asahi University (ISSN:13413589)
巻号頁・発行日
no.41, pp.19-43, 2017-03-31

This article is, in a way, a record of my English teaching in which I used the story of Garshin’s The Signal . It means that I wrote here in detail how the lesson was prepared, designed, conducted and reviewed. And at the same time I also analyzed in the light of pedagogical aspect the following points : the requirements of good material for English teaching, the relation between worksheet form and the designing of 90 minutes, the important role of translation for training thinking power, etc. The description starts from how I met this story. I was then reading a couple of Russian writers that are said to have influenced DAZAI Osamu, a Japanese writer, and encountered this story. I was deeply moved by the story that I strongly wanted to use it in my English class. What I had to do first was to find out the English text. I successfully met three English versions and chose one for my teaching material, though some lines were replaced by the other one for some reasons. For this reading material I devised a new type of worksheet so that my students could learn by themselves, both in translation and pronunciation. And next I designed the 90 minutes lesson like this : the first 30 minutes for translation, the second 40 minutes for reading aloud and the last 20 minutes for copying English and Japanese in phrase unit. After the translation was over, I gave the students a reading report, a kind of an assignment in which they write their own thoughts and feelings. I picked out a few good essays and made worksheets for writing. This worksheet had two roles : one is to learn how to change word (very often phrase) order from Japanese to English, and the other is to think again the true meaning of the story. I found among the students’eaasys a very impressive one that made me change my earlier views on the theme of the story. Lastly I want to say that this lesson has contibuted to fostering global citizens in any way because Russian writers are seldom seen in English textbooks. I believe that the students have realized that people are moved in the same way even if their nationalities differ.
著者
田口 知弘
出版者
朝日大学
雑誌
朝日大学一般教育紀要 (ISSN:13413589)
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-14, 2011-01-31

それぞれの言語圏にはそれぞれの価値観や物の見方・考え方が含有し、異なった言語観が背景にある。そこには国民性、地域色、同属性が根付いている。スウェーデンの〈オムソーリ(悲しみを分かち合う)〉など国民性が持つ価値観が生活の原点に生きている。市民生活を左右する言葉がその集団の文化と慣習の中に垣間見ることができる。さらに言語使用を掘り下げて考えると、結論から導く英語圏論法、プロセスからのドイツ語圏論法など、言語領域によって結論の導き方に差異がある。物事の決着方法や解決手段は様々であり、国民性に依拠するところが大きい。日本語は周囲の人々に配慮した感受性の高い言語である。英語圏の中にあって、日本的な寡黙さや謙虚さはあくまで日本的価値観であって、外国では日本的美徳は打ち消されてしまう。従って、日本語を話している時の人間的気質と英語を話している時の人間的気質が異なっている。自己責任社会であるアメリカでは対応の仕方も異なり、責任の取り方も大きく異なっている。日本語社会は目上に向かって反論したり異議をとなえるとぎくしゃくする要因になる。人が言葉によって周囲と馴染まないと人間関係がうまくいかず、集団枠からはずれてしまう。ドイツはアメリカと同じように移民族国家になりつつある。移住者が多くなってくると、多民族国家間にあるメンタリティの壁を越えるには、言葉の明白さがより一層必要とされるのである。
著者
海野 昭史
出版者
朝日大学
雑誌
朝日大学一般教育紀要 (ISSN:13413589)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.19-38, 2006

Cleanness(Purityと題されていることもある)は、Patience同様に、説教の例話として『聖書』、特に『旧約聖書』の物語を敷衍して語っている。Patienceは『旧約聖書』の中の「ヨナの書」(Ionas)を単独に扱っているのに対し、Cleannessは『旧約聖書』の複数の物語を取り上げている。したがって、両作品には、構成、それに伴う内容の取り扱いに差異が見られる。それで、今回は、Cleannessに見られる「内」と「外」を表すコントラストの機能を中心に考察し詩人の詩作の意図を論じてみたい。この作品には、タイトルに示されているように'clannesse'、またその反意語である'unclan-nesse'、およびこの2つの語に関連する表現が散りばめられている。それに伴い、'clannesse'の範疇に属するノエ、アブラハム、ロト、ダニエルそしてキリスト、'unclannesse'の世界の人々に属するルシファー、アダム、箱舟に入ることのできない人々、ソドムとゴモッラの人々、およびナブコドノゾル王の息子のバルタッサル王がそれぞれ対照的に登場している。ただ、ナブコドノゾル王については、状況によって'clannesse'と'unclannesse'の両面が見られる。こうしたコントラストに付随して見られる「内」と「外」の機能は作品の中で重要な役割を担っている。たとえ「外」を表す表現が使われていなくとも、「内」を表す表現が使われていれば、「外」を表す内容が暗示されている場合がある。また、その逆も有り得る。
著者
田口 知弘
出版者
朝日大学
雑誌
朝日大学一般教育紀要 (ISSN:13413589)
巻号頁・発行日
no.34, pp.67-88, 2009-01-31

今回は語学や文学に関わる分野の人々がどれほど言葉によって社会と格闘をしているか、言語に関係してきた者の一人として責任を感じている。時代に向けて何を伝えたいか。ここに言葉の本質、環境、自然保護、医療現場での医師と患者の関係などを列挙した。言葉を介して人が人と関わって生きていく言語表現とは何か。ここ数年、地球温暖化に警鐘を鳴らすドイツの現状を捉え、現在の環境問題に見られるドイツ語彙と文章に視点を当ててみた。とくにドイツは環境政策に大きな比重を置いており、それに関連する語彙増大は顕著である。EU の環境政策課題から発信されている多くの環境語彙は同じ地球上に住む人々にとって重大な意味が含まれている。語学に携わる者が社会貢献しているか、人々の生きる糧になっているか、思い当れば限りなく自分自身の社会的貢献度の低さを感じている。なぜここでこんな問題を取り上げるのか。言語に携わる者の使命として言語学分野の枠を越えるべきと問い始めたからである。もう一度人間の生きる原点に一歩踏み込み、生活者の立場からその言葉の重要性を吟味すべきと考えた。言語研究も一貫した研究が大切ではあるが、いま人類が悲鳴をあげ生き抜くために苦慮している。人は現実を直視し、日常生活に直面している社会認識から掛け離れてしまっては意味がない。日常性の中で生まれる社会認識に入り込んでいかなければならない。あえて今回《社会を利する言葉の力があるのか》を取り上げた。様々な言語作用から生み出された言葉の本質、環境問題、緩和医療を中心に文章と語彙を摘出し論及してみたい。