著者
南 修平
出版者
一橋大学
雑誌
一橋社会科学 (ISSN:18814956)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.113-140, 2008-12

一八〇一年に創設されたブルックリン海軍造船所は、最盛期には約七万人もの労働者を抱える巨大施設であった。数々の歴史的艦船を建造し、港湾都市ニューヨークの繁栄を支えた同造船所は、そこに働く労働者や地域の人々の誇りであったが、第二次大戦後ニューヨークの港湾風景は次第に変化し、一九六六年造船所は閉鎖される。本論文では、造船所を巡る一連の変化が持つ歴史的意味を、そこに暮らし、労働する人々の生活世界を通して考察する。とりわけ、労働現場に焦点をあて、造船所で働く熟練工たちが保持していた秩序や価値観、男性主義的文化の存在を明らかにし、労働者間でつくられていた絆の持つ意味を論じる。また、家族やコミュニティと労働者たちとの関係についても考察を進め、造船所を中心に存在していた労働者の生活世界全体を明らかにする。造船労働の中心は高い技術を持つ熟練工であり、それらはほとんど白人男性で占められていた。巨大な艦船の建造という国家的事業に携わる白人男性熟練工は、自らの仕事に強い誇りと自信を抱いていた。しかし、新工法の登場による合理化の圧力は、彼らが維持してきた秩序を揺るがし始めた。白人男性で占められてきた熟練労働は次第に不要となり、労働力の流動化が進んだ結果、黒人などの非白人労働者の割合が増加、コミュニティ環境も大きく変化していた。もはや白人男性熟練工中心に築かれてきた生活世界は維持しえず、それは彼らをとりまく人種やジェンダーなどの社会関係の変化を示していた。また、この時期ニューヨークには公民権運動や反戦、フェミニズムなど様々な社会運動が現れるが、ブルックリン造船所の閉鎖はまさにそうした時代の予兆であった。
著者
尹 秀麗
出版者
一橋大学
雑誌
一橋社会科学 (ISSN:18814956)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.151-181, 2008-06

本論文では、大連市の行政区域をAブロックとBブロックに分けて、Aブロックの主要市部を中心に、生活ごみの処理現状を明らかにし、ごみ処理の有料化政策やごみの焼却処理を導入する是非を検討した。大連市では生活ごみの処理は埋立法を中心として行なわれており、ごみには生ごみや埋立ごみ(無機物質)は大半を占めているため、「高水分・低カロリー」という性格を持っている。ごみ分別が普及しないため、資源物の混入率が高く、地域ごとにごみ組成の相異が存在している。ごみ処理の有料化を、ハルビン市及び日本の日野市との比較を通して考察した。大連市ではごみ処理有料化の導入はごみの減量化を図るというよりは、ごみ処理にかかるコストの住民負担を意図したものである。大連市の現状では、ごみの焼却処理やごみ処理の有料化を安易に導入するよりも、ごみ分別の徹底、生ごみのリサイクル、リサイクル資源の回収などを優先して実施する必要性を指摘した。