著者
下郡 剛 川満 和 仲村 真
出版者
独立行政法人 国立高等専門学校機構沖縄工業高等専門学校
雑誌
沖縄工業高等専門学校紀要 (ISSN:24352136)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.27-69, 2023-06-29 (Released:2023-09-29)

前田高地での日米の戦闘は沖縄戦下屈指の激戦とされ、2017年映画『ハクソー・リッジ』公開後、休日の浦添城跡は、日本人・アメリカ人問わず、多くの人が訪れる場所になっている。しかしながら前稿(1)で指摘したように、日本兵が呼ぶ「前田高地」は前田集落北側高地のみを指し、浦添城跡の大部分はこれに含まれない。前田高地陣地壕群は、頂上部・中腹部・麓部の3つに分類でき、前稿では麓部の壕について検討した。東から順に、缶詰壕、兵員壕、乾パン壕である。 本稿では、高地中腹部と頂上部の陣地壕群について検討する。本来、中腹部と頂上部は分けて検討するのが望ましいのだが、頂上部に壕がひとつしかないため、併せて検討してゆきたい。まず中腹部の壕からである。
著者
崎原 正志
出版者
独立行政法人 国立高等専門学校機構沖縄工業高等専門学校
雑誌
沖縄工業高等専門学校紀要 (ISSN:24352136)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.11-29, 2022-08-31 (Released:2022-10-03)

首里・那覇を例にして、沖縄語の「品詞」および「文の部分」に関して、主に「名詞・動詞・形容詞・副詞」が表す「修飾語」および「規定語」の記述を行う。村木新次郎(2012)『日本語の品詞体系とその周辺』に従えば、品詞は、「文の材料としての単語の語彙=文法的な特徴による分類」であり(p.51)、文の部分とは、「当該の文を構成している要素」で、「1つの単語が文の部分になることもあるが、単語の結合体が文の部分となることもある」(pp.50-51)。これらの定義を基に、鈴木重幸(1972)『日本語文法・形態論』も参照し、これらふたつの先行研究の共通点や相違点などの比較・分析を行いながら、日本語の品詞体系とその周辺、および文の部分について再確認する。また、琉球諸語の品詞体系については、下地理則(2018)『南琉球宮古語伊良部島方言』を参照し、全体の整理を行った後、先述の村木(2012)にしたがって、沖縄語の品詞および文の部分について記述する。
著者
木村 和雄
出版者
独立行政法人 国立高等専門学校機構沖縄工業高等専門学校
雑誌
沖縄工業高等専門学校紀要 (ISSN:24352136)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.73-83, 2022-08-31 (Released:2022-10-03)

地震学的には不明な点が多い琉球弧中央部について、琉球国史『球陽』の読解からその地殻変動像の復元を試みた。その結果、対象地域では18世紀後半に巨大地震が続発していたことが示唆された。1768年の地震では、地盤の強固な首里で建造物や陵墓などが損壊し、時の尚穆王が王殿からの退避を余儀なくされたほか、慶良間諸島の座間味島では津波による家屋流失の後、旧阿佐村が移転を強いられるなど、大きな被害を生じた。いわゆる八重山津波として知られる1771年の震災では、沖縄島、慶良間諸島、久米島で先島より強い地震動が表現されており、那覇にも強度1程度の津波が到達していた。また西表島では余震または誘発された地震による液状化が起きている。1791年には津波地震と思われる、地震動の記述を欠いた大規模な潮位変化が沖縄島内各地で記録された。特に中城湾に面した与那原では津波の高さが10mを超えたとされる。これらの地震・津波は、その現象の強さと空間的広がりから、プレート境界を震源とするM8 級かそれ以上の巨大地震によって引き起こされた可能性が高い。また、それらの地異が集中した期間の前後約100年間には、匹敵する地震・近地津波の記述が無いことから、琉球海溝では巨大地震が続発する数十年の活動期と百年スケールの静穏期とが繰り返されていると考えられる。
著者
渡邊 謙太
出版者
独立行政法人 国立高等専門学校機構沖縄工業高等専門学校
雑誌
沖縄工業高等専門学校紀要 (ISSN:24352136)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.31-45, 2022-08-31 (Released:2022-10-03)

異型花柱性は、被子植物に見られる性的多型で、長花柱花と短花柱花からなる二型花柱性と、それに中花柱花を加えた三型花柱性が知られている。花のタイプは遺伝型により決まり、一般に同じタイプの個体間の受粉では、種子を作らない(同型花不和合性)。そのため繁殖は送粉者(花粉の媒介者)に強く依存している。このような複雑な性表現である異型花柱性は、自殖を防ぎ、他殖を促進する植物の工夫と考えられている。チャールズ・ダーウィンによる1862 年の論文「On the two forms, or dimorphic condition,in the species of Primula, and on their remarkable sexual relations」以来160 年もの間、多くの研究者がこの現象を研究してきたが、今なお未解決の問題が多く残されている。 本総説では、まず異型花柱性について基本的な情報を解説し、続いてこれまで世界で展開されてきた異型花柱性に関連する研究テーマについて整理して紹介した。さらに、日本の在来植物を対象とした異型花柱性研究の文献についてシステマティック・レビューを行い、対象分類群の年代による変化や地理的傾向を示した。最後に日本の在来植物を対象とした異型花柱性に関する研究の主要なテーマになると考えられる異型花柱性の「適応的意義と維持」と「進化的崩壊」について、今後の研究課題を検討した。 南北に広がる島嶼国日本では、冷温帯から亜熱帯までの気候があり、一つの植物種が地域によって異なる送粉者と共生関係を結んでいる例もあり、繁殖生態や花形態の地域間比較等、今後も様々な研究の展開が考えられる。
著者
下郡 剛 しもごうり たけし 総合科学科
出版者
沖縄工業高等専門学校
雑誌
沖縄工業高等専門学校紀要 = Bulletin of National Institute of Technology, Okinawa College (ISSN:24352136)
巻号頁・発行日
no.15, pp.58-68, 2021-03-16

縄といえば、中国の影響を強く受けた結果、独自の文化が花開いた、というのが一般的なイメージではなかろうか。そしてそれを象徴するのが首里城ということになろう。しかしこれは、薩摩侵攻後、中国との冊封関係を維持するため、琉球自らが中国化政策を推し進めた結果であり、それ以前の琉球文化は、圧倒的に強く日本からの影響を受けて歴史的な展開を見せてゆく。文献史学からの琉球の時代区分は、一六〇九年の薩摩侵入以前の古琉球期と、以後の近世期に区分されるが、日本からの影響は、古琉球期により強く見られ、近世期にそれが中国風へと変容してゆく。例えば、平成に復元された、我々が目にしていた首里城は、一七一五年、近世期のものを再現したものである。であるから、その姿は中国の紫禁城を思わせ、中国風ということになる。首里城以外に、沖縄の歴史と文化を象徴するとされるもう一つの文化財に、万国津梁の鐘があろう。王国時代、首里城の正殿に掲げられていたこの鐘には、銘文が刻まれており、「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀をあつめ、大明をもって輔車となし、日域をもって唇歯となす。この二つの中間にありて湧き出ずるの蓬莱島なり。舟楫をもって、万国の津梁となし、異産至宝十方刹に充満す」とする。銘文末尾には年次もあり、西暦で一四五八年、古琉球期のものである。銘文冒頭で「琉球国は南海の勝地にして」としているわけであるが、東西南北の方角は、あくまでも基点に対する相対的な位置関係である。琉球を「南海」と言っているその基点は、あくまで琉球の北方にあり、これは日本からの目線で書かれた銘文ということになる。つまり、古琉球期の文化財からは、日本との濃密な関係がうかがえ、近世期の文化財からは、中国との密接な関係がうかがえるということになる。古琉球期、このような文化交流の架け橋になったのが、仏教僧達であった。近世琉球仏教の基礎を確立したのは、古琉球期に日本から渡来した僧侶達であったが、古琉球期の僧侶達は同時に、琉球と日本の国家間交渉の役割をも果たしていた。特にその働きは、室町幕府で外交官として日中交渉に任じていた臨済宗僧侶に顕著に見られる。その僧侶達の手によって、仏教以外の様々な文化交流が進み、草書文字や茶などは近世琉球社会に深く浸透していくことになる。
著者
崎原 正志 親川 志奈子 さきはら まさし おやかわ しなこ 総合科学科(masashisakihara@gmail.com) 一般社団法人マッタラーハゲーラキッズクラブ(那覇市放課後児童クラブ)
出版者
沖縄工業高等専門学校
雑誌
沖縄工業高等専門学校紀要 = Bulletin of National Institute of Technology, Okinawa College (ISSN:24352136)
巻号頁・発行日
no.15, pp.9-21, 2021-03-16

本稿では、2012 年から2015 年に沖縄本島中南部を中心に活動していた「くとぅば・すりーじゃ☆にぬふぁぶし」の活動内容等について報告を行い、活動の総括を行う。第1章では、当該団体の概要および設立経緯について説明し、第2章で、実際の活動について詳細に記述する。第3章で会計報告を行い、最後の第4章では、本活動を通じての今後のしまくとぅば普及推進運動への展望および提言を行う。本稿が今後のしまくとぅば普及推進運動に有益な情報となれば幸甚である。