著者
中澤 秀一
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.59-77, 2012-03

介護労働安定センターによる平成 21年度の実態調査では,平成 20-21 年の 1 年間における訪問介護員,介護職員の離職者の内,8 割前後は勤務年数が 3 年未満の者となっている。その上位理由は,低賃金が取りざたされているが,それ以上に事業所への不満や人間関係が挙げられている。しかし,このような状況に対する事業所及び介護福祉士養成教育における対応や教育は不十分である。そこで,これらの負担軽減を考える教育の方向性について検討することを目的とし,介護労働安定センターの平成 21 年度介護労働実態調査,厚生労働省平成 21 年度介護従事者処遇状況等調査結果,介護福祉士養成教育新カリキュラムの分析及び,現在介護福祉施,設で勤務するA大学及びB短期大学の卒業生への質問紙調査を実施した。その結果,バーンアウトの要因及び精神的負担軽減に関する教育の方向性が明らかになった。
著者
櫻井 圀郎
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.22, pp.125-135, 2012-03

法人は解散すると清算法人となり,清算結了に至るまで,清算の目的のためには存続するが,本来の法人としての事業活動はできなくなる。その点は,宗教法人であっても異なることはない。地下鉄サリン事件などを惹起した宗教法人オウム真理教は 1995 年 10 月 30 日の 東京地方裁判所の解散命令(1996 年 1 月 30 日確定)によって解散しているはずであるがその後の 1999 年 12 月 27 日に施行された無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律によってオウム真理教は規制対象とされており,最近では2011 年 8 月 1 日に公安調査庁が全国 27 カ所のオウム真理教施設に立入検査を行っている。この,一見,矛盾する,ありえない現象は,宗教法人の特殊性にあるのであるが 本項では,その点について言及し,宗教法人解散後の宗教活動の可能性について論及する。
著者
坂本 正路
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.81-112, 2009-03

憲法89条には「公の支配に属しない慈善事業に対し、これ(公金)を支出してはならない」いう条文があるため、キリスト教社会事業が國の補助金を受けるのは誤りであるという論がある。しかし、同じ条文の許にある私学が国の補助金を受けることが認められているのならば、キリスト教社会事業も同じように受ける事が出来ると考える。キリスト教社会事業には自由権があり、法の規制は受けないが、施設利用者にも宗教に対する自由権が存在するので、その権利を侵害しない範囲での自由権である。89条は「慈恵事業」から「社会事業」への条文の訂正、あるいは20条の補足的条文であるので削除も考えられる。
著者
岩田 三枝子
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.53-79, 2014-03

1990 年TCU 設置と同時に開設された国際キリスト教学科(以下、国キ)は、2013 年3 月には第20 期生の卒業を迎え、国キ卒業生は総計276 名となった。 TCU が掲げるキリスト教世界観を土台として国際化時代にふさわしい人材育成を目指してきた国キであるが、この20 期生の卒業を一つの節目として、国キ学が掲げてきた理念が卒業生たちにどのような形で実現されているかを知るためのアンケート調査を実施した。 本調査報告では、初めに、これまでの刊行物等の資料をもとに、国キがどのような理念のもとに創設されたのかを探り、その理念がどのように国キ生たちに反映されてきたかを卒業生の進路結果から検討する。それにより、国キ創設期から現在まで受け継がれてきた国キの使命を確認する。その後、国キ卒業生へのアンケート結果から、国キの特色でもある異文化理解科目や語学科目、また海外語学研修や異文化実習の経験が、卒業生たちの卒業後の歩みの中でどのような形で有効化されているかを探り、その特徴的な点を検討する。以上を踏まえて、最後に国キ専攻の今後のさらなる発展のための課題を述べる。
著者
稲垣 久和
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-19, 2012-03

人間が生きること,それも「善く生きること」は哲学の出発点にあった。そのために,今日では道徳,倫理だけでなく,政治,経済,教育,福祉が関わる。これら全体が関わるところに現代人の「幸福な生活」が可能になる。21世紀の文明の変転期には,枢軸時代の大思想を再解釈していく必要性が出てきている。キリスト教と同時に,東アジアの伝統と対話しつつ儒教の「天と良心」,仏教の「慈悲と四諦(=苦集滅道)」の認識を深めて欲望をコントロールしつつ,他者と地球環境を配慮(ケア)するような「ケアの倫理」の確立に向かいたい。倫理を発想するスタイルとしては,「正義の倫理」は孤立した抽象的個人の見地に立ち,普遍的原理を結論するだが「ケアの倫理」は,具体的状況における対人関係を前提として,奉仕と同情に基づいた判断をする。 学問は内容が学際的であればあるほど哲学的な認識論と存在論が明らかにされなければ,ただの総花式の寄せ集めになってしまう。経済,政治,法律,道徳,倫理。宗教まで扱わねばならない今日の福祉学には,ますますその傾向が強くなっている。では今日の福祉学の背景となる哲学とは何か。われわれは公共哲学に基づいた福祉。すなわち公共福祉を提起したい。 キリスト教の果たすべき社会的責任とは,十字架の贖罪愛を通した common grace から来る。アリストテレス的な「友愛」をさらに上から"引っ張る"アガペーの隣人愛をもって,キリスト者は「よきサマリア人」としてのケアの倫理を社会に実践する主体となるべきだ。これは NPO 等の中間集団で発揮され市民社会の原動力となる。賀川豊彦の協同組合運動も現代の市場経済のゆがみを是正しようとした。そして彼の行動はキリストの十字架の贖罪愛から来ているのであり,すべての現代の希望もまたここから出てくるのである。
著者
石戸 光
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.20-28, 2012-03

EUや東アジア共同体の構想など国際共同体の構築が盛んであるが,これは「国家主権」を上位機構に移転する形でなされる。「主権」は旧約聖書(イザヤ書9章6節)にある通り「主のもの」であったが,近代政治思想家ホッブズの著作『リヴァイアサン』の影響を主要な転換点として,神の主権から国家の主権へと「主権」の意味合いが変遷した。歴史的に,例えば英国では,英国政府という人間の統治機構に(神の代理として,という留保は付くものの)「主権」がいわば「移譲」された。キリスト教の持つ宗教的権威すなわち神の主権が王の世俗的権威すなわち国家主権の枠(内に位置するような状況が現出したのである。しかし人のエコノミー(共同体規範)と神のエコノミー(経綸)とは等価ではありえず,現代の国際共同体は人の統治に余る諸問題を抱えている。神の経綸が人の共同体規範において再確認される必要がある。
著者
大和 昌平
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.24, pp.109-139, 2014-03

日本におけるキリスト教と仏教の出会いは、16 世紀半ばのフランシスコ・ザビエル来日に遡る。本稿は、イエズス会宣教師の書簡を主な資料としての、キリシタン時代最初期におけるキリスト教と仏教の対論についての考察である。
著者
稲垣 久和
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.24, pp.140-164, 2014-03

日本のプロテスタントはその神学の営みの初期から世界観的思考を排除してきたし、そのことに気づいてこなかった。プラグマテイズムというよりもむしろ日本的霊性に影響されていたのである。民衆は仏教的救済観つまり「此岸から彼岸への移行」というレベルの福音の提示には何の魅力も感じていない。救済論中心の福音把握では仏教に基いた"日本的霊性"を凌駕することは不可能である。人間観と社会観と自然観において福音の包括性の豊かさを日本人民衆のニードに応じて提示する努力が必要であり、そのために十字架の贖罪愛を強調した賀川豊彦はモデルとなる。かつ、少子超高齢化社会に合ったケアの神学の開発が望まれる。またそれに見合う"愛の実践"が今後の日本宣教の課題である。
著者
加藤 喜之
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.24, pp.1-24, 2014-03

本論文では、17 世紀のネーデルラント改革派教会における正統主義神学者のひとりであるペトルス・ファン・マストリヒト(Petrus van Mastricht、1630-1706)による、デカルト主義者たちとの哲学と神学の関係についての議論に注目する。ファン・マストリヒトは、当時のプロテスタント教会において、最も影響力をもった神学者の一人であり、彼の生涯はデカルト主義との論争に満ちていた。ファン・マストリヒトとデカルト主義者たちとの論争に注目することにより、中世と近代のはざまで、それまで社会と学問の紐帯として機能していたキリスト教神学が新科学の宇宙観によってどのような挑戦をうけ、その挑戦に対してどのように応答したのかをみていく。特に、この思想的に激動の時代において、いかにして神学が諸科学の女王という座を失っていったかをみていきたい。だがそれと同時に、中世的な神学を退けた思想も実は、神学的な要素を多く含んだものであったことを示していく。 第1 節では、ファン・マストリヒトの最大の論争相手であった、17 世紀中盤から後半にかけてのデカルト主義の発展をみる。第2 節では、このあまり知られていない神学者であるファン・マストリヒトの生涯と思想を簡単に紹介する。第3 節では、ファン・マストリヒトの『デカルト主義の壊疽』(1677)を、分析する三つの理由と方法論を論じたい。そして第4 節では、この『デカルト主義の壊疽』から、特に哲学と神学の関係という主題に注目して、ファン・マストリヒトによるデカルト主義批判をみていきたい。This paper focuses on Petrus van Mastricht (1630-1706) of the DutchReformed Church and his controversy with the seventeenth-centuryCartesians concerning the relationship between philosophy and theology.Van Mastricht was one of the most influential orthodox Reformedtheologians of his day. He was involved in many philosophico-theologicaldebates with the Cartesians throughout his career. By focusing on thedebate between Van Mastricht and the Dutch Cartesians, the paperexamines how the new cosmology of the early modern period challengedChristian theology that functioned as a social and intellectual bond and howtheology responded to the challenge. Particularly, it focuses on the declineof the role of theology as the queen of science. At the same time, the paperalso shows that early modern cosmology was a theological project as well. The first section examines the development of Cartesianism in the DutchRepublic during the mid-seventeenth century. The second section introducesthe relatively unknown theologian, Petrus van Mastricht, and his thought.The third section discusses three reasons for examining Van Mastricht'sNovitatum cartesianarum gangraena (1677), as well as the methodologyused. The fourth and main section examines, by focusing on the relationshipbetween philosophy and theology, Van Mastricht's criticism of Cartesianism.