著者
内田 塔子
出版者
東洋大学ライフデザイン学部
雑誌
ライフデザイン学研究 = Journal of Human Life Design (ISSN:18810276)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.95-108, 2011

本研究は、大正期から大阪を本拠地として、先進的に児童愛護運動を全国展開した大阪児童愛護聯盟が、大正後期から昭和初期の時代に、どのような問題を子どもの喫緊の課題と認識し、それらの改善のためにどのような視点を重視していたのかについて、聯盟機関誌『子供の世紀』の内容分析を通じて明らかにしたものである。 『子供の世紀』所収の論考をテーマごとに分類・分析した結果、大阪児童愛護聯盟は、義務教育就学率はすでに高率であったものの乳幼児死亡率が依然として高率であった日本において、乳幼児死亡率の低減を最重要課題として育児知識の普及に取り組みつつも、それのみならず、母子保健・医療・教育・福祉・都市計画といった幅広い領域を視野に入れた総合性を備えていること、児童愛護の対象をすべての子どもに設定していることが明らかになった。The purpose of this study was to clarify what the Association of Osaka Child Protection thought as the urgent children's problems and what they thought was important to improve the children's situation in the Taishō and the Early Shōwa Era, by classifying the articles published in "The Century of the Child" which was the Journal of this association.It became apparent that, they considered their goal was to reduce the very high child mortality rate of Japan, and therefore, they tried to extend the knowledge of the child care to the parents. In addition, it also cleared that they covered many fields of study, such as maternal and child health, medical care, education, social welfare and city planning, and they focused on all children regardless of their physical, social or other conditions.
著者
是枝 喜代治
出版者
東洋大学ライフデザイン学部
雑誌
ライフデザイン学研究 = Journal of Human Life Design (ISSN:18810276)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.265-282, 2014

近年、在籍するすべての子どもが一人ひとりの教育的ニーズに沿った支援を受ける権利を保障する「インクルーシブ教育」への関心が高まりつつある。インクルーシブ教育は普通学校の中で、障害のある子どもが健常児と共に教育を受けることを基本としている。本研究では、1980年代以降、インクルーシブ教育を先導的に取り入れてきたイギリスの学校現場を訪問し、インクルーシブ教育のシステムや具体的な支援の現状について実地調査を行った。調査期間は2013年9月1日から9月8日までである。 特別支援学校の視察では、多様なニーズを抱える子どもに対し、個々人の特性やニーズに応じた個別のカリキュラムが用意され、各クラスにICT機器などが積極的に導入されていた。特に、スイス・コテージ・スクールでは、近隣の学校教員の研修のシステムが充実していた。また、インクルーシブ教育の具現化に向けて開設されたEducation Villageの視察では、障害のある子どもとない子どもがさまざまな教育の場を共有し、相互の交流が進められていた。 一連の実地調査から、日本におけるインクルーシブ教育システムの普及と共に包括的な教育システムを構築していくことの必要性などが示唆された。
著者
深谷 秀樹
出版者
東洋大学ライフデザイン学部
雑誌
ライフデザイン学研究 = Journal of Human Life Design (ISSN:18810276)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.349-363, 2013

日本人は議論が苦手だといわれる。それを解消するために、コミュニケーション・スキル教育の一環として、議論の技術を習得させることが意図されているが、その試みが一定の効果を上げるには相応の時間を要する。そこで、現状において、議論がどのようにおこなわれているのかを検証することが重要となる。 本稿では、映画『12人の優しい日本人』(1991年公開)を取り上げ、作品の中で描かれた議論の検証を通して、議論に対する日本社会の現状をとらえ、その中でより有意義な議論をおこなうための方法を考察するものである。 本作品は、アメリカ映画の『十二人の怒れる男』(1957年公開)をもととして、当時の日本では存在していなかった陪審制度をテーマとしている。作品中では、年齢も職業もさまざまな12人の日本人が、ある殺人事件について、被告が有罪か無罪かを議論する。12人の議論に対する取り組み方はさまざまである。当然、中には論理的に主張することが比較的得意な者もいれば、日常まったく議論というものをしたことがない者もいる。しかし、12人が陪審員として集められたからには、全員の意見を総合した上で、評決を下さなければならない。 ここで重要なのは、一見論理的に見える主張をしている者であっても、その主張が常に正当とはいえない場合があるということ、また反対に、主張することが苦手な者の意見にも、事件を捉える上で重要な要素が含まれている場合があるということである。本作品では、法律や裁判についてある程度の知識を有する者が、意見を言うことが苦手な者に加勢することにより、事件の真相にせまっていくという展開がなされている。このことは、話が得意な者の意見だけを採用するのではなく、話が不得手な者からも意見を引き出すことが重要であることを示唆しているのである。