著者
高原 秀介
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.157-170, 2009-03

1.「民主化の推進」(1)ラテンアメリカから始動した「民主化の推進」(2)安全保障の観点から重視された「民主化の推進」2.「反帝国主義」(1)世紀転換期のアメリカとウィルソン(2)ウィルソンと「反帝国主義」3.「民族自決主義」(1)「14ヵ条」に見られる「民族自決主義」の真意(2)ウィルソンの「民族自決主義」のあいまいさ4.「単独行動主義」(1)ウィルソン外交に見られる「単独行動主義」おわりに
著者
西村 佳子 西田 小百合
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.177-192, 2013-03

確定拠出年金導入企業は、加入者に運用資産メニューを提示し、加入者は制約の下で運用を行う。本 稿では、雇用主(企業)側の行動を明らかにする第一歩として、企業型確定拠出年金担当者に対するア ンケート調査のデータを用いて、雇用主の確定拠出年金提供に対する姿勢(熟練度や熱心さ)と提供さ れる選択肢の関係について分析を行った。分析の結果、他の退職給付制度や年金からの資金の移換がな く、確定拠出年金の導入時期が遅く、担当者の熱心でかつ熟練度が高く、従業員数が少ない企業は、元 本確保型金融商品に偏らない運用資産メニューを提示する傾向があることがわかった。反対に、移換資 産があり、確定拠出年金の導入時期が早かった企業は、確定拠出年金の運用資産メニューに占める元本 保証型金融商品の割合が高い傾向があることが明らかになった。1.はじめに2.確定拠出年金導入企業が加入者に与える影響3.確定拠出年金導入企業に関する分析4.おわりに
著者
齊藤 健太郎
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.239-258, 2013-03

イギリスにおける熟練労働者への技能習得の訓練は、19 世紀以来の「自由な労働市場」の枠組みを背 景に、使用者・労働者双方のボランタリズムによって形成されてきた。これは、20 世紀初頭から漸進的 に導入された一般的な職業訓練でも同様であり、政府が職業教育に介入することは20 世紀中半に至るま で稀であった。しかし、第二次大戦後、1960 年代より、福祉国家的諸政策の展開から、職業訓練にも政 府が積極的に介入するようになる。その後、1980 年代、この傾向はサッチャリズムと市場主義的な新自 由主義政策の展開によって減速し、保守党政権の末期には、伝統的な職業訓練である徒弟制度の再編と 拡大という形をとりつつ、使用者主導のボランタリズムが再生する。1997 年に政権についた「新しい労 働党」は、この方向を維持しつつ、徒弟制度の拡大をはかるが、訓練の到達度はむしろ後退した。さら に、2010 年に政権についた連立政府において、その政策全体における職業訓練の優先順位はむしろ低下 し、イギリスにおける職業教育は現在、多くの困難に直面している。
著者
松川 克彦
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.249-272, 2014-03

山本五十六提督はアメリカ駐在武官も勤め、同国の実力を熟知していたが故に、アメリカとの間の戦争に反対であったといわれている。したがって日独伊三国同盟にも反対であった。しかしながら、日米関係が緊張してくると、アメリカ太平洋艦隊の基地真珠湾を攻撃する計画を作成、その計画実現に向けて強引な働きかけを行った。 これをみると、山本は果たして本当に平和を望んでいたのかどうかについて疑問が起こってくる。一方で平和を望みその実現に努力したと言われながら、実際にはアメリカとの戦争実現に向けて最大限の努力を行った人物でもある。 本論は山本が軍令部に提出した真珠湾攻撃の計画が実際にどのようにして採択されたのか。それは具体的にはいつのことなのか。またその際用兵の最高責任者、軍令部総長であった永野修身はどのような役割を果たしたのかについて言及する。これを通じて、もし山本の計画が存在しなければ、あるいはこれほどまでに計画実現に執着しなければアメリカとの戦争実現は困難だったのではないだろうかという点について論述する。 日米開戦原因については多くの研究の蓄積がある。しかしながら山本五十六の果たした役割についてはいまだに不明の部分が多いと考える。それが、従来あまり触れられることのなかった山本五十六の開戦責任について、この試論を書いた理由である。
著者
岩埼 周一
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.201-230, 2014-03

本稿の課題は、軍事史研究においてややもすれば受動的な存在として扱われがちな地域社会の立場から、兵役と兵站の問題を軸として、近世のハプスブルク君主国における軍隊と社会をめぐる諸関係を逆照射して考察することにある。 近世において増大の一途を辿った兵力需要に対応するため、ハプスブルク王権は支配下の諸地域の諸身分の協力をあおぎ、平民から兵士を募るようになった。改革を重ねる中で、徴募は次第に強制的な色彩を強め、場合によっては地域社会の人口動態や構造を変化させるほどの影響をもたらした。 こうした動きに対し、民衆は徴募逃れや逃亡といった形によって抵抗した。しかし、地域社会においては階層分化が進行しており、上層に属する人々ほど徴募を免れる可能性が大きかった。これに対し下層に属する人々は、徴募を免れる手段をほとんど持たなかったばかりか、領主および都市・村落共同体による、徴募を口実とした「厄介払い」や身代わりの強要に怯えなければならなかった。しかし一方、生活環境が劣悪な地域には、兵役に生活改善のチャンスをみいだす人々も存在した。 兵站に関する負担は、近世になると、しばしば臣民の生活を脅かすまでに重いものとなった。国家や諸身分、そして領主は負担の軽減に一定の努力をみせたものの、十分なものとはならなかった。また、領主は在地権力としての立場から、兵站に関する諸負担を領民を統制する手段として利用した。これは徴募においても同様である。総じて、軍事負担をめぐる問題は、地域社会における領主権力の強化に利用されたといいうるであろう。 ただし、地域社会にとって、軍は一義的に問題をもたらす存在ではなかった。領邦防衛と消費者という二つの役割により、軍は地域社会の構成員として、徐々にその地歩を固めてもいったのである。