著者
友成 有紀
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.1179-1183, 2012-03-25

パーニニ文法学者は文典Astadhyayi (A)に何らかの技術的問題点が見つかった場合,常に詳細な説明(vyakhyana)を行いその排除に努めてきた.それらの問題は基本的にパーニニ文法学者の扱うべき課題であったが,Brhati (B)およびNyayamanjari (NM)という非文法学者による著作にそれらが批判されている箇所が存在する.前主張としてのヴェーダ批判の文脈に現れるこの批判は,内容としては大略パーニニ文法学者の著作,特にMahabhasyaの部分的な焼き直しに過ぎない.しかし,それらの議論がBおよびNMといった著作に取り上げられているという事実はなお一考の価値を有するものである.なぜなら,これらの議論の存在は,プラクリヤー文献と呼ばれるのAの注釈書群-これらはそれ以前の注釈書とは方法論的/性格的に一線を画する-が登場する舞台背景を我々に示し出す可能性を有しているからである.
著者
桂 紹隆
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.902-894, 2013-03-20
著者
鈴木 隆泰
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.1154-1162, 2006-03-25

「吉祥天女品」は『金光明経』の中で,呪句の使用や世間的利益を求める儀礼の執行が最初に表明された章である.そこに見られる儀礼は,「仏教儀礼を応用したもの」と「ヒンドゥー儀礼を導入・受容したもの」の二種に大別され,どちらの場合も,『金光明経』の編纂者や護持者たちが従来実践していた諸儀礼を,攘災招福を目的として応用,あるいは導入・受容したものとなっている.防護呪パリッタを発達させた南伝仏教との比較や「吉祥天女品」に見られる在家者への意識,そして「この『金光明経』には世・出世間,仏教・非仏教を問わず,様々な教義や儀礼があり,しかもこの『金光明経』が一番勝れている」という『金光明経』「四天王品」の記述等も考慮に入れた結果,これまで便宜的に「〔大乗〕仏教の自立の模索の表れ」と仮定しておいた『金光明経』の持つ諸特徴を,「〔大乗〕仏教の生き残り策」と想定することが本研究を通して可能となった.『金光明経』の編纂者たちは,仏教に比べてヒンドゥーの勢力がますます強くなるグプタ期以降のインドの社会状況の中で,インド宗教界に生き残ってブッダに由来する法を伝えながら自らの修行を続けていくために,仏教,特に大乗仏教の価値や有用性や完備性を,在家者を含む支持者たちに強調しようとしたのである.覚りの伝承を旨とする出家者であっても,支持者たちの支援,特に在家者の経済的支援がなければ,修行を継続したり,伝法の使命を果たすことはできない.このように,『金光明経』をはじめとする種々の儀礼を説く経典は,律文献と同様,インド仏教の実像に迫るための有用な資料ともなりうるのである.
著者
上田 昇
出版者
JAPANESE ASSOCIATION OF INDIAN AND BUDDHIST STUDIES
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.918-911,1329, 2006-03-20 (Released:2010-03-09)
参考文献数
9

In connection with the first condition of hetu (logical reason) some classical Chinese and Japanese treatises dealing with Buddhist logic refer to an opponent who argues that every paksa-dharma necessarily pervades the paksa and there cannot be a paksa-dharma that exists only in a part of the paksa. Logically speaking, however, the position of the opponent, it seems to me, can be that of Dignaga. In order to understand the position, the present paper proposes a mass interpretation, according to which the paksa is considered to be a mass of a certain kind of substance designated by a mass term such as “a cup of blue water”, and the paksa-dharma is considered a property of the mass, such as “blue”.
著者
立入 聖堂
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.907-904, 2009-03-20
被引用文献数
1
著者
伊吹 敦
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.124-130, 2004-12-20