出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.15-39, 2015-03-31

西洋鉱物学の移入によって始まった我が国の鉱物学において、最初の困難な課題の一つは和語、漢語、外来語、およびこれらの混種語が存在した鉱物名を一つに定めることであった。その最初の試みは小藤文次郎他編『鉱物字彙』(明治二十三年〔1890〕刊)である。その書で選定された鉱物名を語種によって分類すると、漢語がその七割程を占める状態であったが、それから八十五年後の森本信男他編『鉱物学』(昭和五十年〔1975〕刊)では外来語が逆転して半数以上を占め、編著者は将来は外来語名を使うことが望ましいと述べている。しかし、その書に用いられている漢語名の多くは現在もなお用いられている。これは効果的に用いられている漢語語基の働きによるものであり、将来も漢語名は用いられるものと推測される。
著者
西田 瞳 NISHIDA Hitomi
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.83-109, 2015-03-31

本研究では、ファッション行為には自己主張性、自己顕示性、競争性の3 つの心理学的要因が影響すると仮定して、ファッションにおける他者比較の心理を明らかにするためにアンケート調査を実施した。調査結果は因子分析を行い、次の4 つの因子を抽出した。 因子1:自己主張性尺度が多く含まれる「自己主張の因子」 因子2:個性についての質問が多く含まれる「個性化の因子」 因子3: 同じものを好み、流行に合わせることについての質問が多く含まれる「模倣的・同調」の因子 因子4: 競争心尺度と自己顕示性尺度の項目が多く含まれる「競争心+自己顕示の因子」 その上で、それぞれの因子においてもっとも負荷量の高かった項目に基づいて因子にあてはまる者とあてはまらない者の間でt 検定を行うことで、調査協力者の内部構造の分析を試みた。その結果、自己主張の高い人たちは、個性的なファッションアイテムを好むことが示された。個性化願望の高い人たちは、注目されるのが好きであることが示された。模倣性の高い人たちは、友達とファッションを真似されたり真似したりすることで自信を高めることが示された。競争心の高い人たちは、流行のファッションアイテムを取り入れることで魅力的になれると感じたことが示された。また、みんなと同じで自分を隠したいという者は、圧倒的に少数派であった一方、みんなと同じだけど誰よりも魅力的な自分やみんなとは違う魅力的な自分を追い求める形でファッションを楽しむ者が多数派であることが示された。 Tarde やSimmel の時代から100 年程度経った今でも人間の本質は、そうそう変質するものではない。現代のように、ファッションの選択肢が格段に増えてきても、多くの人は、なおみんなと同じということにこだわりを持ちつつも、みんなと同じ中でなおかつ自分が一番でいたいという自己顕示性を求め、自分や他人と競争を続けているのである。
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.25-61, 2015-03-31

巷間、「日本語教師は食べていけない」といわれることがあるが、この言説が生まれたのは90年代初頭である。それ以前にも非常勤で日本語を教える人たちを指して同じようなことがいわれることがあったが、関係者の間に限られ広く流布されていたわけではない。いわれるようになった理由は、不法滞在者を防ぐために法務省が入国審査を厳格化した結果、数多くの日本語学校の経営が悪化、倒産・閉校が相次ぎ方々で教師の労働条件悪化が起きたからである。 その後、震災・サリン事件、アジア通貨危機、「10万人計画」失敗などが重なり、90年代の後半にはこの言説が日本社会に定着したものと思われる。それには、バブル崩壊後の日本社会全般の閉塞感・ニューカマー対象のボランティア日本語指導の広がりも雰囲気として作用したものと考えられる。
著者
稲垣 信子 INAGAKI Nobuko
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.37-51, 2013-03-29

昭和四十八年に発掘され「誈阿佐ム加ム移母」といった句が含まれる木簡は、近江大津宮時代のものとされているが、訓点の起源、句の形の訓点形式、「誈」の字体、「動詞終止形+ヤモ」の形からその可能性は低いと考えられる。また、yaの用字に用いられた「移」は、出土周辺遺跡の特徴から渡来系集団に用いられていたものであることを推定する。
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.19-29, 2017-03-31

百人一首業平歌の初句に関して、「ちはやふる」と清音で読むか、「ちはやぶる」と濁音で読むかという問題が存する。従来は全日本かるた協会の読みを尊重して、「ちはやぶる」と読むことが通例だった。ところが最近「ちはやふる」というマンガが流行したことにより、書名と同じく清音で読むことが増えてきた。そこであらためて清濁について調査したところ、『万葉集』では濁音が優勢だったが、中古以降次第に清音化していることがわかった。業平歌は『古今集』所収歌であるし、まして百人一首は中世の作品であるから、これを『万葉集』に依拠して濁音で読むのはかえって不自然ではないだろうか。むしろ時代的変遷を考慮して「ちはやふる」と清音で読むべきことを論じた。
著者
筒井 はる香 TSUTSUI Haruka
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.45-63, 2022-03-31

本論では、1950 年代から70 年代にかけて活躍した作曲家で、同志社女子大学学芸学部音楽学科の創設に深い関わりのある中瀬古和(1908-1973)の生涯と創作活動を辿る。これまでに発行されたいくつかの記事から中瀬古和の略伝や教育活動を伺い知ることができるが、音楽活動に関しては十分に語られてきたわけではない。とりわけ創作活動については、作品の全貌が明らかになっていないことから、作曲家としての評価や、戦中・戦後日本の音楽史における位置づけが正当になされているとは言い難い。そこで本論では、中瀬古和の生涯に関わる文献資料を調査し、1)修業時代、2)演奏活動、3)創作活動、4)作品の初演の4 点に焦点をあてて論じた。修業時代については、同志社女学校時代、アメリカ留学を経てベルリンでパウル・ヒンデミットPaul Hindemidth(1895-1963)に師事した時期までに受けた音楽教育について述べた。演奏活動については、ドイツ帰国後の1930 年代から50 年代にかけてチェンバロ、パイプオルガン、ピアノの奏者として活動していたことを確認することができた。1950 年代以降、演奏活動はほとんど見られなくなり、それに代わって自作品を定期的に発表するようになった。創作活動については、未完やスケッチ、消失曲を含め65 作品あり、このうち20 作品が京都を中心に初演されたことが確認された。なお現存する47 作品をジャンルごとに分類したところ、聖書を題材とした日本語による宗教的声楽作品が創作活動のなかで大きなウエイトを占めていたことが明らかになった。このことは戦争体験の他、中瀬古和自身がキリスト者であったことが少なからず影響していたと言えるだろう。また、日本語による宗教的声楽作品を創作することこそが彼女の作曲家としてのアイデンティティであったと推察される。
著者
吉海 直人 YOSHIKAI Naoto
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.19-45, 2022-03-31

『源氏物語』の解釈に必要不可欠と思われる「練香」の薫り(嗅覚)について、十四の項目に分けてその基礎知識を論じ、そこから見えてくる薫りの特質や問題点に言及した。最大の問題点は、「練香」に関する同時代の資料が少なすぎることである。たいていは後世の資料を使って平安時代の香を説明していることを明らかにした。それは室町時代以降に発展した香道も同様である。香道では香木をそのまま焚く「組香」が主流なので、香道の知識で『源氏物語』を解釈することには無理がある。当然、「源氏香」も名ばかりで、『源氏物語』とは無縁の意匠であった。
著者
仲渡 理恵子 NAKATO Rieko
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.127-151, 2022-03-31

副詞「せいぜい」「たかだか」「たかが」は、さまざまな観点から研究されているものの、意味の相違や使い分けなどが明確にされているとは言いがたい。本稿は、日本語書き言葉コーパスから、各々100 用例を抽出し、文型による構文的展開を分析し、相互置換の可否及び副詞「せめて」「少なくとも」との関連性から考察したものである。その結果、「せいぜい」は9 種の構文的展開があり、数量詞を伴う後接語が多い点から「最大限の見積もり」の意味が強く表れ、「せいぜいM(=Maximum:話し手の主観による最大限の見積もり)だ/ない/だろう/下さい」とモデル化できた。「たかだか」は7 種の構文的展開で使用でき、数量を伴う後接語もあることから「最大限の見積もり」の意味を有するが、「マイナス評価」を含む傾向があり、人の行為を述べる際には用いられにくく、モデル化は「たかだかM+NE(=Negative Evaluation:話し手の主観的なマイナス評価)だ/ない/じゃないか」となった。「たかが」は特有の定型化された用法を有し、後接する語にさして数量詞を伴わないため、「見積もり」より「マイナス評価」が全面に表れ、話し手自身の自虐及び聞き手への非難から「たかがNE じゃないか/のに/のくせに」とモデル化できた。最大限を表すとされる「せめて」「少なくとも」はあくまで話し手の主観であったが、「せいぜい」「たかだか」「たかが」は話し手が聞き手を強く意識して、最大限やマイナス評価を伝える副詞であると結論付けることができた。
著者
丸山 敬介 MARUYAMA Keisuke
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-38, 2016-03-31

『月刊日本語』(アルク)全291冊を分析し、「日本語教師は食べていけない」言説の起こりと定着との関係を明らかにした。 創刊直後の88~89年、日本語学校の待遇が悪くてもそれは一部の悪質な学校の問題であって、それよりも日本語教師にはどのような資質が求められるかといった課題に興味・関心が行っていた。ところが、91年から92年にかけて待遇問題が多くの学校・教師に共通して見られる傾向として取り上げるようになり、それによって読者たちは「食べていけない」言説を形作ることになった。 90年代後半には、入学する者が激減する日本語学校氷河期が訪れ、それに伴って待遇の悪さを当然のこととする記事をたびたび掲載するようになった。「食べていけない」が活字として登場することもあり、言説はより強固になった。一方、このころからボランティア関係の特集・連載を数多く載せるようになり、読者には職業としない日本語を教える活動が強く印象付けられた。 00に入ってしばらくすると、「食べていけない」という表現が誌上から消えた。さらに10年に近くなるにしたがって、日本語を学びたい者が多様化し、教師不足をいく度か報じた。しかし、だからといって教師の待遇が目立って好転したわけではなく、不満を訴える教師は依然として多数を占めていた。そう考えると、言説はなくなったのではなく、むしろ広く浸透し一つの前提として読者には受け止められていたと考えられる。
著者
オルショヤ カーロイ Orsolya Károlyi
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.49-59, 2017-03-31

百人一首の初英訳は1865 年に、F. V. Dickins 氏によって作られた。Dickins 自身がその後、2 回も翻訳を試み、その他も数多くの英訳が作られ、その数はこれまで20訳以上に上っている。それらの英訳のほとんどに歌のローマ字翻字も記されており、17 番の在原業平の歌の翻字を調べてみたところ、歌の枕詞「ちはやぶる」が濁音で表記される翻字もあれば、清音で表記されるものもあった。日本においての享受史を調べてみたところ、以前「ちはやぶる」を清音で表記する時期もあった。例えば、明治・大正時代のものだと思われるかるたの札を見てみると、ほとんどが清音表記になっている。そこで本稿においては、「ちはやぶる」のローマ字翻字と、英語圏、また日本における享受について検討し、この枕詞を濁音ではなく、清音で表記するべきだと結論付けた。
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.29-41, 2012-03-30

Sherwood Anderson (1876-1941) は Winesburg, Ohio (1919) において、25のエピソードを通して孤独に苦しむ人々を描いた。架空の町ワインズバーグに暮らす人々は、それぞれが孤独の苦しみにあがいている。その中でも、典型的な孤独の様相をみせるのが、"Adventure" の Alice Hindman である。彼女は恋人が去った後、ワインズバーグで10年以上彼を待ち続け、ある日、自らの状況に耐えきれなくなり、何も身につけずに雨の中を走り出すという冒険を経験する女性だ。Alice はこの冒険にいたるまでの間に、彼女なりに孤独から逃れようと工夫を凝らしている。その1つが "inanimate objects"「生命のないもの・無生物」に愛着を抱くようになることだ。彼女は他人に触られるのも許せないほど家具などの無生物に執着する。今回は、この Alice の "inanimate objects" に対する愛着に注目する。本論では、Alice がかつての恋人や自らを生命のないもの、すなわち、無生物のようにとらえている様子がないかをみることで、彼女にとっての無生物がどういった意味を持つのかを検証した。Alice は無生物を変化しないもの、いわば、恒久的なものとしてとらえることで、孤独の苦しみから逃れようとしている。"inanimate objects" に注目することで、孤独の中でもがき続けるしかなくなる Alice の無力さや弱さが明らかになるだろう。
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.1-11, 2012-03-30

1947年以降の国会会議録のデータを用いた通時的分析を行い、何らかの意味で程度的と言いうる名詞全般について「高い、大きい、多い、強い、深い、濃い、重い、大(ダ)、濃厚(ダ)」の各形容詞と共起頻度の推移を調査し、どのような組み合わせの共起頻度が上昇したか/下降したかを分析した。その結果、特に、「高い」との共起頻度が上昇した語、「多い」との共起頻度が下降した語が顕著に多いことが分かった。
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-22, 2013-03-29

ドラブルは、2006年までに17作の長編小説を出版しているが、それぞれに趣向をこらし、実験的な試みを行ってきた。第16 作目のThe Red Queen: A Transcultural Tragicomedy(2004)でも、副題に「文化を横断する、ジャンルを横断する」という趣旨の副題を付けることで、実験的な意図を明らかにしている。 ドラブルは、この副題が小説中で普遍性を提示するために必要だったと語っている。しかしながら、時代を超えて生きる女性とか、普遍的な人間性を有する女性という前提は、文化相対主義のポストモダンの時代には支持されない考え方であろう。そこで、この2つのもの(普遍性と相対性)の共存の可能性を探ったのがドラブルの意図であったと考えられる。本稿では、時代、国、文化を横断するという試みを通して、連続性と不確実性の混在という結論に至る経緯を分析した。以下に小説の構成とあらすじを記しておく。 小説のPart 1 Ancient Timesでは18世紀の朝鮮王朝のプリンセスの宮廷内の回想、Part 2の1つ目のModern Timesではイギリス人女性で生命倫理学の研究者Barbara Halliwell(以下、Babsと略す)の韓国ソウルでの学会の出来事、Part 2の2つ目のPostmodern Timesではイギリス帰国後のBabsの生活の変化、という具合に、小説は時間的・空間的な区分を設けた3 部構成となっている。本稿では小説の引用箇所で便宜的にPostmodern TimesをPart 3と明記した。 Babs は1 年間のオックスフォード大学での研究休暇を終えようとしている時に、送り主不明の書籍の贈り物を受け取る。それは200年前の朝鮮王朝の王の息子(思悼世子 (サドセジャ))の正室、恵慶宮 (ヘギョングン) によって書かれた『回想録』(英語訳)であった。Babsがこの本を夢中になって読むのは、韓国のソウルで開催される学会へと向かう機中である。朝鮮王朝時代のプリンセスは墓場から出現した幽霊となって、時代や国を往き来できる存在である。Babsもこの『回想録』を読むことで、知的、精神的に2つの時代と2 つの文化を横断する。要するに、この作品は、200 年の時代の隔たりの中で、古い物語と21 世紀の現代が交差するという設定の上で抽出できる「女の物語と歴史」の真価を披瀝する試みを行っていると言える。