著者
関谷 直人
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.1-18, 2010-07

講演(Lecture)「黒人霊歌」は主に18世紀から19世紀にかけて奴隷としてアフリカからアメリカ大 陸に連れてこられた人々の経験から生み出されたキリスト教音楽である。作者不詳のある種の「Folk song」である黒人霊歌は、単に彼らアフリカン・アメリカンの苦難と喜びを表現した素朴な「生活の歌」であるだけでなく、アフリカ南部から自由の地である北部への脱出に対する希望を表した非常に「政治的」な要素も持っている。本講演では、そうした「黒人霊歌」の重層的な性質を考慮にいれながら、その特徴と機能について言及する。また、米国におけるアフリカン・アメリカンがおかれていた状況や、当時の白人教会における教会音楽の状況に触れながら、「黒人霊歌」がその時代のアメリカのキリスト教会全体に与えたインパクトについて考察し、それが現代の日本のクリスチャンにとって持っている意味を述べて結論とする。"African American Spirituals" are Christian music that emerged among the African Americans who were brought from Africa to the United States as slaves in the eighteenth and nineteenth centuries. This anonymous music, which resembles "folksongs," is not only the music of daily life in which African Americans expressed their sorrows and joys but also the political songs through which they dreamed of escaping to the north, the land of freedom. I explore the character and the function of "African American Spirituals" by referring to the multilayered nature of the music in this lecture. I observe how such music impacted contemporary white Christian churches by examining the situation of African Americans and the music of white churches in the sixteenth to nineteenth centuries in the United States. I close my lecture by mentioning what "African American Spirituals" mean to contemporary Japanese Christians.P.1の要旨の文中に誤りあり (誤)アフリカン・アフリカン → (正)アフリカン・アメリカン
著者
李 元重 リ ウォンジュン Lee Wonjung
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.103-121, 2014-06

論文(Article)日本基督教会は、1904年釜山より在朝日本人を対象にして朝鮮伝道を開始した。伝道は在朝日本人が多い町を中心に進展して、1915年朝鮮中会が建設された。植民地における教会として営みに困難があったものの、教勢は1930年まで8独立教会、4伝道教会、4伝道所、会員は2,000名近く伸びた。朝鮮の3.1独立運動の際には、相対的に日本帝国の無断統治を批判したこともあったが、在朝日本人教会の信徒はそもそも植民地支配の支配層であり、その政策の実行者であった。The Church of Christ in Japan (CCJ) inaugurated the Korea mission at Pusan in 1904, mainly for the Japanese in colonial Korea. They expanded their mission to the cities where Japanese towns are located. They could establish "Chosen Presbytery" in 1915. Located in alien colony, they had difficulties in managing churches. However, they could increase to 8 self-supported, 4 half-supported and 4 dependent churches with almost 2000 members by 1930. During the 3.1 Independence Movement in 1919, the CCJ in Korea criticized the Japanese military rule, which was very limited though. The members of CCJ in Korea were of the ruling class and took active role in Japanese colonial rule.
著者
橋本 滋男
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.65-78, 1999-12

論文
著者
森 孝一
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.78-99, 2002-03

論文
著者
高田 太
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.40-57, 2006-12

神学と哲学との間の境界線はいかに画定されるのか。本論文の目的は、『純粋理性批判』の「超越論的方法論」における哲学体系の叙述と1783年の神学講義を中心にして、その時期のカントの哲学体系において定められうる神学と哲学の境界線について考察すると同時に、カント自身が両領域をいかに画定したのかを究明するところにある。カントは常に神学を形而上学として哲学体系の中に位置づけており、そういった位置を持たない宗教論と区別していた。形而上学としての神学は、超越的形而上学として内在的形而上学と区分されている。しかし哲学はあくまで両形而上学を包摂する。形而上学としての神学は合理神学と称され、カントはこれに啓示神学を対置している。しかしこの合理神学と啓示神学の間の境界線は、本来は哲学部と神学部という大学行政上の区分に過ぎない。合理神学はその行程の終わりに高次の啓示や神秘といったものに行き当たる。ここに哲学としての合理神学が越えることのできない境界線が存する。その境界線は本来の合理神学と啓示神学との、また合理神学と宗教論との境界線である。
著者
韓 守信
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.15-37, 2007-06

本研究では、「満州事変」以降の半島兵站基地化期における朝鮮総督府の宗教政策についての分析を、非西欧系宗教と西欧系宗教との比較を用いて分析した。日本は、韓国合併および武断統治期、三・一運動および文化統治期と同様に、それぞれの宗教に対して異なった方法論を用いた。それぞれの宗教に対する政策は、同一の統治理念に依拠していたにもかかわらず、具体的な適応方法と過程において顕著な差異を見せていた。総督府は、既存の宗教を用いて「心田開発運動」を展開した。ここには、自らの統治体制にとって好都合な価値観および宗教心を半島全体に植えつけようとする意図があった。総督府は、韓国人が主導する非西欧系宗教(仏教、儒教)に対しては直接的に介入する「直線的な政策」をとった。その一方で、宣教師が中心となった西欧系宗教(キリスト教)に対しては、宣教師の存在と働きに配慮する「迂回的な政策」をとった。総督府にとって、半島における西欧列強の代表および象徴である宣教師は、決して無視できない存在であった。このような背景のゆえに、この時期におけるキリスト教政策の方法と内容は、仏教政策や儒教政策と大きく異なっていた。
著者
青木 保憲
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.113-130, 2009-06

1940年代から始まった「新しい福音主義」は、ビリーグラハムの活躍と相俟って発展していく。しかし彼らに分裂をもたらしたのが「聖書理解」の問題であった。「新しい福音主義」を立ち上げたH.オッケンガやH.リンゼルは、「聖書は無謬である」という主張に基づいて、聖書が真実を語っているとする世界を生み出そうとした。しかし次の世代であるD.ハバード、ダニエル・フラー、そしてP.ジェウェットは、聖書の権威を守りつつも、社会に適応する神学を構築するために高等批評を受け入れていくのであった。前者は「新しい福音主義」の第一世代であり、社会に「歩み寄ろう」とした世代である。そして後者は、実際に一歩「歩み寄った」世代ということになる。当時は、この両方が混在していたのである。
著者
朴 俊緒
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.52-70, 2004-09

論文(Article)「人間が神の像の通りに創造された」という創世記1 章の記事は、初代教父時代からバルトとブルンナーの「接触点」(Anknüpfungspunkt)論争に至るまで、多くの神学的論争や解釈の主題となってきた。本論文の主題は以下の通りである。「神の像の通りに」は古代近東地域で王を指し示す慣用句であった。神は人間を「王」のような高貴な存在として創造され、地上の王が王国を統治するように、人間に被造物の世界を統治させられた。したがって、人間の自然に対する統治には、「責任ある管理者」としての責務がある。In the voluminous annals of the biblical interpretation, the issue of Imago Dei has long been the crux theologorum from the early church to the current age as witnessed by the heated debate between Barth and Brunner over the Anknüpfungspunkt. The main thesis of the paper is that Imago Dei was an idiomatic expression during the first and second millennium B.C.E. in the Ancient Near East from Egypt to Mesopotamia signifying a "royal figure," i.e. a king. That God created human being in the "image of God" means God created human being as a royal figure, the supreme being among God's creatures. As a king in ancient times had dominion over his kingdom, human being, as a royal figure, is entrusted with the responsibility to rule over the natural world as God's steward/stewardess on earth.翻訳:韓 守賢監訳:徐 正敏
著者
枝光 泉
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.209-227, 1999-03

論文
著者
原 誠
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.1-25, 1997-03

論文
著者
隅谷 三喜男 原 誠
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.95-114, 2001-03

対談