著者
西村 貴裕
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
no.5, pp.55-69, 2006

1933年の政権獲得後、ナチス・ドイツは次々と動物保護、自然保護に関する立法を実現していった。本稿はそれらの法律、すなわち「動物の屠殺に関する法律」、「動物保護法」、「帝国森林荒廃防止法」、「森林の種に関する法律」、「帝国自然保護法」といった法律の成立過程、内容を分析する。「動物の屠殺に関する法律」、「森林の種に関する法律」がナチスの病理を表現するものである一方、「動物保護法」、「帝国自然保護法」は、当時の水準からすれば極めて進歩的な法律であった。これらの立法過程には帝国森林監督官たるヘルマン・ゲーリングが深く関与した。彼の意図は、動物・自然保護を促進させることよりも、むしろ広範な社会層の支持を取り込むことにあった。こうした立法事例は、動物保護・自然保護と全体主義思想との関連、自然思想と全体主義思想との親和性について再検討する必要があることを、我々に教えている。
著者
ヴェッテンゲル ミヒャエル 西村 貴裕
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第Ⅰ部門, 人文科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.45-70, 2017-02

本稿は,Michael Wettengel, Staat und Naturschutz 1906-1945. Zur Geschichte der Staatlichen Stelle für Naturdenkmalpflege in Preußen und der Reichsstelle für Naturschutz, in: Historische Zeitschrift, Bd. 257 (1993), S. 355-399 の全訳である。1945年までのドイツで,国家が自然保護にどのようにかかわったのかが分析されている。国家による自然保護機関の設置とその活動(1906年に設立されたプロイセン国立天然記念物保全局,その後継の帝国自然保護局),自然保護をめぐる法制度の状況,それらを生み出した背景などが中心的テーマである。要約は筆者自身によるもの(66頁「IX 要約」)を参照されたい。末尾に「解題」として訳出の意図等を記し,また筆者ミヒャエル・ヴェッテンゲル教授の簡単な紹介をしている。Dieser Aufsatz ist die Übersetzung von Michael Wettengel, „Staat und Naturschutz 1906-1945. Zur Geschichte der Staatlichen Stelle für Naturdenkmalpflege in Preußen und der Reichsstelle für Naturschutz", in: Historische Zeitschrift, Bd. 257 (1993), S. 355-399. Eine kurze Erläuterung vom Übersetzer wurde hinzugefügt.
著者
西村 貴裕
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第II部門 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.1-18, 2012-02-29

本稿は,自然保護をめぐる議論が戦前・戦中にどのようなイデオロギーと結びつき得たかを分析するものである。国立公園制度の意義について,雑誌『国立公園』(1929~44年,1943年からは『国土と健民』と改称)誌上に掲載された論考を追い,国立公園が「国民精神」の涵養のため,あるいは戦争に耐え得る心身を作る「鍛錬」のため利用されるべきだと主張されるに至った経緯を分析する。さらに,こうした日本の言説に対応するドイツでの郷土保護・自然保護をめぐる言説を紹介し,その対比を若干試みる。In diesem Artikel analysiere ich die Entwicklung des Diskurses über die Bedeutung des Nationalparks in Japan während der Kriegszeit anhand der Zeitschrift "Nationalpark" (1929-1944). Hier wird gezeigt, daß genau der Diskurs, den Thomas Lekan als "Militalisierung von Natur und Heimat" bezeichnete, gab es auch in Japan. Darüber hinaus war der Diskurs in Japan gut vergleichbar mit dem in Deutschland während der Nazi Zeit. Diese Tatsache zeigt, daß wir über die Bedeutung des Naturschutzes tief reflektieren müssen.