著者
富田 久仁子
出版者
岐阜大学
雑誌
岐阜大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2002, pp.111-122, 2003-03

現代日本語の他動詞の中には,「つなぐ」と「つなげる」のように,意味と語形に共通部分を有する他動詞の組み合わせが存在する。本稿においては,この「併存する他動詞」である「つなぐ」と「つなげる」の意味的な類似点と相違点を明らかにする事を試みた。まず,それぞれの語の複数の意味から多義的別義を導き出し,多義の構造を解明し,その語にそなわっている基本的意味を規定した。二つの語の基本的意味は,「つなぐ」が「本来は切れたり離れたりしていないものが2つに離れている場合,それらをひと続きにすること」であり,「つなげる」は「本来は別の2つのものをひと続きにすること」である。意味の違いはその対象が「ひと続きになることが,本来的に自然なことであるかどうか」という点にある。また,この二つの語の多義構造を検証するために,「自己制御性」概念を導入し「つなぐ」と「つなげる」に共通している意味を明らかにした。
著者
中須賀 徳行
出版者
岐阜大学
雑誌
岐阜大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2002, pp.13-21, 2003-03

日本語教育における連体修飾節の使用,特にそこでの普通形の使用に関する条件を検討するために,幾つかの日本語教科書や文法書を比較・検討した。従来の学説を比較し,日本語文法の教育において連体修飾を適切に位置づけることを提案した。特に,連体修飾節の中では通常普通形が用いられるが,丁寧さを強調する時には節内でも丁寧形の使用が可能であること,また辞書形と呼ばれるものには終止と連体の二つの機能があることを明示的に教育することを強調した。
著者
加藤 由紀子
出版者
岐阜大学
雑誌
岐阜大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2002, pp.97-109, 2003-03

「基本的な動詞「分かる」は,初級の日本語の教科書にも必ず登場するものでありながら,その説明は教科書の中で十分になされていない。しかし,その語の意味は,和語の例にもれず幅広く,そのふるまいも特殊である。このことが,使用の際に日本語学習者が混乱する原因となっている。本稿では,「分かる」を「知る」と対比させながら,英訳・辞書の意味記述・教科書の取り扱いを通して,その意味特徴を明らかにし,アスペクチュアルな意味における特徴も明らかにすることを試みた。これらの考察から,以下のことが判明した。(1)「分かる」と「知る」の混同の原因のひとつは,辞書や教科書の意味記述において,一つあるいは二つの語で,対象語を置き換えることにある。置き換えられた語と,対象語には微妙な意味のずれがあるのに,それが無視されているのである。(2)「分かる」は,「知る」より意味範囲が広く,従来考えられていた意味に加え,「感覚的に察知する」ことを表す「感覚の動詞」という要素がある。(3)「分かる」は,「分かった」時点に視点を置きながらも,そこに至る過程を視野に入れている「線の動詞」であるのに対して,「知る」は,「知った」瞬間だけが意識される「点の動詞」である。
著者
中須賀 徳行
出版者
岐阜大学
雑誌
岐阜大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2001, pp.3-15, 2002-03

「日本語廃止・英語採用論」として知られる森有礼の著作をとりあげ,実はホイットニー宛の書簡では漢文の廃止と「簡略英語」の日本への導入にとどまり,日本語の廃止までは考えていなかったものが,『日本教育論』序文では日本語の廃止にまで踏み込んだことを明らかにした。森の日本語廃止論に対して,馬場辰猪は英文で口語文法を体系的にまとめあげ,そのことによって教育を日本語で行うことが可能であることを具体的に示したが,彼はとりわけ母語の廃止によって言語エリートと一般民衆の間に亀裂が生じ,言語分裂国家が生じることに懸念を表明していたことをみた。森たちの日本語に対するこうした母語コンプレックスは,西洋との経済力をはじめとする文明的落差の意識を反映したものであり,「21世紀日本の構想」懇談会が2000年に国民的討論を呼びかけた「英語第二公用語論」もその線上にあることを考察した。その上で今後の日本における言語のありかたとして,多言語主義に基づく言語政策を提唱した。
著者
太田 孝子
出版者
岐阜大学
雑誌
岐阜大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2002, pp.23-43, 2003-03

淑明高等女学校は,1906年5月,朝鮮李王家の高宗皇帝妃と日本人淵沢能恵の協力によって,朝鮮人女子のために京城に創設された女学校である。植民地下の朝鮮において,朝鮮人と日本人の協力によって創られた私立高女は淑明高女が唯一のものである。しかし,日本人教師が多かったこともあり,朝鮮人女子のために創られた当初の理念や目的と,実際の学校運営の間にはしばしば齟齬(そご)をきたすことがあり,朝鮮教育史に残るような同盟休校事件(「'27淑明抗日盟休運動」)を始めとする抗日学生運動が幾度となく起こった。本稿では,淑明高女で起こった抗日学生運動関連の史資料を検証することによって,運動の目的と実態,運動を巡っての日本人教師,朝鮮総督府の反応を明らかにし,植民地下の女子中等教育が内包する課題を指摘した。
著者
橋本 慎吾
出版者
岐阜大学
雑誌
岐阜大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2000, pp.17-24, 2001-02

本稿は,初級前半教科書である『みんなの日本語I」の各課別の語彙頻度を調査した。特殊モーラについて分析した結果,次の3点が明らかになった。(1)促音登場回数は撥音,長音より少ない。(2)促音は各課の文法項目に関連する語彙に多く現れ,いくつかの大きなグループにまとめることができる。(3)促音について詳しく見ると,促音を含む出現頻度の高い語彙は各課1つ程度である。この3点から,従来から難しい音とされている促音の導入及び音声特徴としての練習は,必ずしも初級前半から行なう必要はないことを主張する。この主張に関連して,音声教育における「音声の問題」と「規則の問題」についても説明する。
著者
橋本 慎吾
出版者
岐阜大学
雑誌
岐阜大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.3-9, 2005-03

パラ言語情報は、言語情報に比べ、一回性が強い(再現性が弱い)と言われている。このパラ言語情報を定量的に分析するために、「3番テーブルの客」というテレビドラマを分析した。このドラマは、毎回同じ脚本を、異なる演者、異なる演出でドラマ化するというもので、異なる演者、異なる状況で発せられる同じセリフを数多く抽出することができる。本稿ではその中の「俺は遊びじゃ歌わない」というセリフを取り上げ、全長持続時間、基本周波数(以下F_0)最大値、F_0平均値、F_0最大値の位置を計測し、共分散分析を行った結果、持続時間とF_0の間に相関は見られなかったが、F_0最大値とF_0平均値の間に強い相関が見られることがわかった。