著者
伊勢田 哲治
出版者
名古屋工業大学 技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-36, 2016

フォード・ピントの設計上の欠陥の事例は, その設計のもとになったとされる非倫理的計算を示す「ピント・メモ」とともに, 日本の技術者倫理教科書の中で頻繁に言及されてきた. しかし、この事例についての「通説」には多くの不正確な点があり, とりわけ, 「ピント・メモ」は実はピントの設計に直接は関係しない文書であることが分かっている. この問題についての注意喚起はすでになされているが, 技術者倫理教育コミュニティの反応はそれほど敏感とはいえない. 本論文では「通説」の不正確な部分をより一次資料に近い文献をもとに確認するとともに, 現行の技術者倫理教科書でこの事例がどのように扱われているか, 具体的に検討し, 分類する. さらに, 現行のさまざまな取り上げ方に長短があることを踏まえ, 本論文で「フィクション派」と名付ける, 別の取り上げ方を提案する.
著者
斉藤 了文
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-20, 2006
被引用文献数
1

テクノロジーを理解する枠組みを提案する。その基本は、「人工物に媒介された倫理」である。人工物をつくるエンジニアにとって、その責任とか、人工物を使うユーザの位置づけを考える上で、人工物に媒介されているという観点は興味深い論点を含んでいる。 さらに、テクノロジーが使われている社会とその制度の記述を基に考察を進める。その基本が、不法行為法の変遷である。このポイントは、過失に焦点を当てると、それを通じて自律的な人間というユーザの位置づけができなくなる、ことである。この場合に、社会的行為者として責任を取ることのできるものは、メーカーつまり法人という「奇妙な人工物」になってしまう。また、エンジニアも専門家団体の一員として(医師や弁護士のように)損害賠償責任を負うことになれば、テクノロジーと共に暮らす社会の責任ある行為者となりうる。
著者
斉藤 了文 サイトウ ノリフミ Saito Norifumi
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.129-135, 2012

大石敏広『技術者倫理の現在』と比屋根均『技術の知と倫理』の二つの著書の批評を通じて,技術者倫理について考えていく. 3 つの方向で論じて行く. まず第一に,この 2 著の感想,もしくは概観を通じて,技術者倫理の研究の方向性について,そして各著作の論点の幾つかについて取り上げる. 第二に,新たな現代的事例に対して,新しい技術者倫理の著者たちは,どう応えるのだろうか.ここでは,東電の福島原発の吉田所長の事例を提示してみる. 第三に,補足的ではあるが,私自身このごろまた考えている技術論,技術の知識に関して,比屋根さんの論点から触発された論点や議論を提示してみたい.
著者
藤木 篤 杉原 桂太
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.23-71, 2010

本稿では、日米両国における工学倫理の教科書の変遷過程を概観し、その後のわが国に適した教科書を作成する上での課題について述べる。アメリカにおける近年の出版動向を確認すると、従来アメリカ式の工学倫理の特徴とされたプロフェッショナリズムはさらに強調され、同じく特徴として挙げられてきた個人主義的傾向は勢いを弱めつつあることが明らかになる。一方わが国の教科書は、アメリカに強く影響を受けているにもかかわらず、上記の点、すなわちプロフェッショナリズムを前提とする社会契約モデルを採用するか否か、また個人主義的傾向をとるか否かについて、執筆者ごとのスタンスの違いが表れるため、未だ標準化という方向へ向かっていない。こうした状況は、工学倫理導入当初からわが国において議論され続けてきた問題、すなわち「専門職概念をどのように受容するべきか」という問題へと帰着する。つまり、わが国で技術者が置かれている実際の立場と、社会契約モデルが前提とする技術者像の間に乖離があるために、両者の間に齟齬が生じ、結果的にこのような複雑な状況を生み出しているのである。したがって、われわれは今後、技術者の社会的地位とその責任について議論を行う必要がある。日本に適した工学倫理の教科書を作成するためには、我々はあらためてこの問題に向き合わねばならない。
著者
瀬口 昌久
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-21, 2009

ファイル共有ソフトWinnyを自己のホームページ上で公開し、それをダウンロードした者が犯した著作権法違反を幇助した罪に問われて開発者が起訴された事件は、一審の京都地裁では有罪、二審の大阪高裁では逆転無罪となり、司法判断に大きな違いが生じ、検察の逮捕や司法判断の妥当性をめぐって社会的関心を広く集めて盛んに論じられている。Winnyの事件には、ソフトウェアの技術開発者に著作権法(公衆送信権)違反の幇助罪を適用したことが、司法判断として妥当かという法的解釈にとどまらず、インターネットの発展した世界でのデジタルコンテンツの著作権のあり方や、技術開発者が負うべき責任の範囲や判断について重要な問題が含まれている。本論では、一審と二審判決について検討し、アメリカのMITの学生は通信詐欺で起訴されたラマッキア事件と対比し、新しい技術開発における技術者が負う倫理的責任のガイドライン設定の問題を考察する。
著者
杉原 桂太
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.37-57, 2016

今日,自動走行車が社会的期待を集めている。本稿では,自動走行技術を社会的に望ましいものとするために,アクターネットワーク理論(Actor-Network Theory:ANT)による構築的テクノロジー・アセスメント(Constructive Technology Assessment:CTA)を自動走行車に適用する必要性について技術者倫理(Engineering Ethics)の視点を踏まえて考察する。自動走行技術については正の側面だけではなく負の側面も指摘されている。社会的に望ましい自動走行車像を描き出すには、技術者と行政,市民が議論する場が必要である。
著者
斉藤 了文
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.129-135, 2012

大石敏広『技術者倫理の現在』と比屋根均『技術の知と倫理』の二つの著書の批評を通じて,技術者倫理について考えていく. 3 つの方向で論じて行く. まず第一に,この 2 著の感想,もしくは概観を通じて,技術者倫理の研究の方向性について,そして各著作の論点の幾つかについて取り上げる. 第二に,新たな現代的事例に対して,新しい技術者倫理の著者たちは,どう応えるのだろうか.ここでは,東電の福島原発の吉田所長の事例を提示してみる. 第三に,補足的ではあるが,私自身このごろまた考えている技術論,技術の知識に関して,比屋根さんの論点から触発された論点や議論を提示してみたい.
著者
瀬口 昌久
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-21, 2009

ファイル共有ソフトWinnyを自己のホームページ上で公開し、それをダウンロードした者が犯した著作権法違反を幇助した罪に問われて開発者が起訴された事件は、一審の京都地裁では有罪、二審の大阪高裁では逆転無罪となり、司法判断に大きな違いが生じ、検察の逮捕や司法判断の妥当性をめぐって社会的関心を広く集めて盛んに論じられている。Winnyの事件には、ソフトウェアの技術開発者に著作権法(公衆送信権)違反の幇助罪を適用したことが、司法判断として妥当かという法的解釈にとどまらず、インターネットの発展した世界でのデジタルコンテンツの著作権のあり方や、技術開発者が負うべき責任の範囲や判断について重要な問題が含まれている。本論では、一審と二審判決について検討し、アメリカのMITの学生は通信詐欺で起訴されたラマッキア事件と対比し、新しい技術開発における技術者が負う倫理的責任のガイドライン設定の問題を考察する。
著者
藤木 篤 杉原 桂太
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.23-71, 2010

本稿では、日米両国における工学倫理の教科書の変遷過程を概観し、その後のわが国に適した教科書を作成する上での課題について述べる。アメリカにおける近年の出版動向を確認すると、従来アメリカ式の工学倫理の特徴とされたプロフェッショナリズムはさらに強調され、同じく特徴として挙げられてきた個人主義的傾向は勢いを弱めつつあることが明らかになる。一方わが国の教科書は、アメリカに強く影響を受けているにもかかわらず、上記の点、すなわちプロフェッショナリズムを前提とする社会契約モデルを採用するか否か、また個人主義的傾向をとるか否かについて、執筆者ごとのスタンスの違いが表れるため、未だ標準化という方向へ向かっていない。こうした状況は、工学倫理導入当初からわが国において議論され続けてきた問題、すなわち「専門職概念をどのように受容するべきか」という問題へと帰着する。つまり、わが国で技術者が置かれている実際の立場と、社会契約モデルが前提とする技術者像の間に乖離があるために、両者の間に齟齬が生じ、結果的にこのような複雑な状況を生み出しているのである。したがって、われわれは今後、技術者の社会的地位とその責任について議論を行う必要がある。日本に適した工学倫理の教科書を作成するためには、我々はあらためてこの問題に向き合わねばならない。
著者
井上 能行
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.57-76, 2006

日本では「技術者に悪い人はいない」というイメージがある。たとえば、耐震偽装事件でもっとも責任があるはずの姉歯建築士への非難の声はそれほど大きくはない。一方、技術が絡んだ事件や事故では、社長が記者会見して頭を下げるだけで、技術者がきちんと説明することは少ない。技術者が自ら、わかりやすい言葉で説明をすることも社会的な責任だと考える。
著者
瀬口 昌久
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.1-30, 2017

「研究活動の不正行為への対応等に関するガイドライン」を受けて,多くの大学では研究資料の10年間保存を決めている。本論文では,研究資料10年間の保存という設定の妥当性を検討し,次にデータの保存に関して過去の研究不正と企業におけるデータ改ざん事件を概観したうえで,名古屋工業大学で行った「研究情報の適正な取り扱いを促す研究倫理教育を推進するプロジェクト」をもとに,電子化された研究資料の適正な保管の課題について論じる。
著者
小出 裕章
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-44, 2014

「原子力発電所は決して大事故を起こさない」と宣伝されてきた.しかし,残念ながら福島第一原子力発電所で破局的な事故が起きた.どこにどのような責任があり,一人ひとりの人間,特に技術者が原子力に対してどのように向き合うべきか論じる.
著者
中島 秀人
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-14, 2008

本稿では、ラングドン・ウィナーの「人工物の政治」という観点を批判的に発展させ、「技術者倫理」が「技術倫理」へとさらに展開されるべきことを論じる。古代において、プラトンやアリストテレスは技術と政治を相関するものと捉えた。だが、産業革命期にこの視点は失われ、技術、そして科学技術が人間を支配する傾向が生じた。さらに、冷戦によりリニア・モデルが優勢になると、人工物は必然的な知識としての科学の成果であるという理解がなされた。しかし、1980年代以降、リニア・モデルの限界が理解され始めた。近年では、科学を担う科学者だけでなく、技術者の役割の重要性が認知されるようになった。このような変化は、作られた人工物の社会的影響だけでなく、どのような人工物を作り出すのかを倫理的に検討する条件を生み出している。
著者
比屋根 均
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.51-77, 2012

本稿は,筆者が技術者倫理教科書『技術の知と倫理』において取組んだ,技術者に無意識のうちに倫理的配慮の足りない判断をさせる要因の追究について,その後の発展も含め纏めたものである.無意識的な要因によって倫理的配慮を不足させていることは,従来の技術者倫理が倫理的想像力を増すことで配慮を行き届かせる戦略を採っているにも関わらず,誠実に仕事に取組む多くの技術者からは不評であり続けており,しかし非倫理的と受け取られるような不祥事や社会対応が続いているという事実から浮かび上がる.本稿ではその無意識的な要因を次の 4 つに分けて論じる.1.学習生活と社会人生活とのギャップへの無自覚,2.判断を誤らせる科学・技術の真実性への誤解,3.独善的態度にさせる判断の客観性への錯覚,4.感じ方の主観性への認識の欠落,である.1 では,長年の学習生活で身につけてきた生活術が,社会人・技術者生活には通用しないこと,及びその認識の浅さが,誤った判断や行動の原因になりえることを指摘する.2 では,理論優先の科学・工学等の教育が,現実よりも理論的であることを真実と感じてしまう性癖を生んでいることを指摘する.3 では,科学的・工学的判断は正しく客観的な価値判断でもあるかのように錯覚している可能性を指摘する.4 では,技術者が本質的に全く客観的には判断できる存在ではないことを明らかにする.本稿は,このような無意識的な要因を指摘し理解させることを,技術者倫理の必須の内容とすべきことを,結論として主張する.
著者
中里 公哉
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.143-171, 2007

航空会社の技術者は、最も人命の安全に関わる仕事に携わっているといえる。航空機整備の責任者を長く務めた技術者としての経験を通し、日航ジャンボ機墜落事故などのさまざまな飛行機事故の分析と教訓から、いかにしてヒューマン・エラーを防止し、航空機の安全を守るかについて論じる。
著者
瀬口 昌久
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-28, 2007

法律で義務づけられた障害者用施設等を完了検査後に撤去して営業していたホテル東横インの不法改造問題は、経営倫理の欠如や単なる法令違反に尽きない大きな倫理的問題を提起した。それはハートビル法や建築基準法などの法令違反にとどまらず、バリアフリーやユニバーサルデザインという社会の根幹的なデザインに関わる倫理問題である。本論は、まず東横イン不正改造問題の事例を検証し、次に「ユニバーサルデザイン政策大綱」の理念のもとに「ハートビル法」と「バリアフリー法」が統合された「バリアフリー新法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)」の可能性と問題点を、「障害をもつアメリカ人法」との対比を軸に考察する。