著者
小林 健彦 KOBAYASHI Takehiko
出版者
新潟産業大学附属東アジア経済文化研究所
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.45, pp.41-78, 2015-06

日本列島の中では、文献史資料に依って確認を取ることが可能な古代以降の時期に限定してみても、幾多の自然災害―気象災害、津波や地震災害、火山噴火、伝染病の蔓延等―に見舞われ、その度に住民等を苦しめて来た。現在の新潟県域に該当する地域に於いても、当該地域特有の気象条件より齎される雪害を始めとして、大風、大雨、洪水、旱魃、地震、津波、火山噴火、そして疫病の流行といった諸々の災害が発生当時の民衆に襲い懸かっていた。しかし、民衆はそれらの災害を乗り越えながら現在に続く地域社会を形成し、維持、発展させて来たのである。日本人に依る地域社会の形成は、災害に依る被害とその克服の歴史であると言っても差し支えは無いであろう。筆者は従前より、当時の人々がこうした災害を如何にして乗り越え、対処をして来たのかという、「災害対処の文化史」を構築するのに際し、近年自然災害が頻発している現在の新潟県域を具体的な研究対象地域の一つとして取り上げながら、その検証作業を行なっている処である。本稿では、平安時代より鎌倉時代にかけての時期に発生し、当該地域に甚大な被害を齎したとされる、「謎の巨大地震」に関し、新潟県出雲崎町と同長岡市所在の「宇奈具志神社」に就いて、その事例検証作業と共に、当時の人々に依る対処法とに就いて、検討を加えたものである。
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = BULLETIN OF NIIGATA SANGYO UNIVERSITY FACULTY OF ECONOMICS (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.59, pp.43-80, 2021-10

日本では、古来、様々な自然災害―大雨、泥雨、洪水、浸水、土石流、地滑り(陸上・水底)、地震、津波、火山噴火、大雪、雪崩、紅雪、雹、台風(大風)、暴風雨、竜巻(辻風)、落雷、高波、高潮、旱害、低温、高温、蝗害、黄砂、飛砂、塩害、山火事等、そして、人為的災害―疫病流行、戦乱、火災(失火)、盗賊・海賊、略奪行為の発生等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、人々はその都度、復旧、復興させながら、現在へと至る地域社会を形成、維持、発展させて来た。日本は湾曲した本州部分を主体とした島嶼国家であり、その周囲は水(海水)で囲まれ、高山地帯より海岸線迄の距離が短い。自然地形は狭小な国土の割には起伏に富む。その形状も南北方向に湾曲して細長く、本州部分の幅も狭い。日本では、所謂、「水災害」が多く発生していたが、それは比較的高い山岳地帯が多くて平坦部が少なく、土地の傾斜が急であるというこうした地理的条件に依る処も大きい。つまり、日本では古来、日常生活に適した安全な土地は少なく、折角営んでいた集落も被災し、消滅する可能性が大きかったと言うことができ得る。古代宮都の設定条件の1つとして盆地地形が選択されていたのも、中国由来の都城設計思想上に依る理由以外にも、そこへ流れ込む大河川が少なく、かつての日本でも頻発していたであろう「水災害」に対しては、比較的安全であったという現実的な事情も大きく関係していたことが想定されるのである。ただ、こうした地理的要因に依る自然的な災害も、人の活動に伴なう形での人為的な災害等も、発災当時の日本居住者≠日本人に無常観・厭世観を形成させるには十分な要素として存在したのである。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近世以前の段階でも、文字情報を自由に操ることのできる限られた人々に依った記録、就中(なかんづく)、災害記録は作成されていた。特に古い時代に在って、それは宗教者(僧侶、神官)や官人等に負う処が大きかったのである。正史として編纂された官撰国史の中にも、古代王権が或(あ)る種の意図を以って、多くの災害記録を記述していた。ここで言う処の「或る種の意図」とは、それらの自然的、人為的事象の発生を、或る場合には自らの都合の良い様に解釈をし、加工し、更に、政治的、外交的に利用し、喧伝することであった。その目的は、正確な記録を取ること以上に、それらを独占し、災害対処能力を持ち得る唯一無二で、広域的版図を持った王権として、自らの「支配の正当性、超越性」を合理的に人民へ主張することであったものと考えられる。それは又、自らの政権が国を代表する王権であるとした意思表示でもあり、自負でもあったものと類推されるのである。日本に於ける「公儀」意識成立の瞬間であった。時期が新しくなり、取り分け、カナ文字(特にひらがな)が一般化する様になると、その文体とは関わり無く、私的記録としての個人日記(私日記)や、読者の存在を想定した日記、物語、紀行、説話集等、文学作品の中でも、各種の災害情報が直接、間接に記述される様になって行った。前者では、自らの住居が在る都や、自らの所領が存在する等、所縁(ゆかり)や権益関係のある場所に関わる発災、被災状況の記録が主体であるが、後者では、そうした関係性は殆(ほとん)どの場合には見られない。ただ、文学作品中に描写された災害情報が全て事実であったとは言い難い。しかしながら、それも最初から嘘八百を並べたものではなく、素材となる何らかの事象(実際に発生していた災害)を元にして描かれていたことは十分に考えられるのである。自らが被災したか、否か、現認情報であるか、伝聞情報かを問わず、そうでなければ、読者、受け手の共感を得、興味を引くことは困難であったものと考えられる。従って、文学作品中には、却って真実としての、当時の人々に依る対災害観や、ものの見方が反映され、包含されていたことが想定されるのである。筆者がかつて、『災害対処の文化論シリーズ Ⅰ ~古代日本語に記録された自然災害と疾病~』〔DLMarket Inc(データ版)、シーズネット株式会社・製本直送.comの本屋さん(電子書籍製本版)、2015年7月1日、初版発行〕に於いても指摘をした如く、都が平安京(京都市)に移行する以前の段階に於いては、国政運営に際して「咎徴(きゅうちょう)」の語が示す中国由来の儒教的災異思想の反映が大きく見られた。しかしながら、本書で触れる平安時代以降の段階に在って、表面上、それは影も形も無くなるのである。その理由に就いては、はっきりとはしていない。それを補うかの如く、人々に依る正直な形での対自然観、対災害観、対社会観の表出が、古記録や文学作品等を中心として見られる様になって来るのである。本稿では、以上の観点、課題意識より、日本に於ける対災害観や、災害対処の様相を、意図して作られ、又、読者の存在が意識された「文学作品」―「今昔物語集」をその素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものである。作品としての文学、説話の中に如何なる災異観の反映が見られるのか、或いは、見られないのかに関して、追究を試みることとする。これに加えて、それらの記載内容と、作品ではない(古)記録類に記載されていた内容に見られる対災害観との対比、対照研究をも視野に入れる。ここでは、既刊である『災害対処の文化論シリーズ Ⅷ 日本の古典に見る災害対処の文化論 ~日本的無常観の形成~』(販売:シーズネット株式会社、2021年6月30日初版発行)とも合わせて、日本の古典中に出現していた災異の様相を垣間見たものである。
著者
金 光林
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.54, pp.63-70, 2019-10

世界の各国の姓氏について調べてみると、大概は少数の姓氏に人口が集中する現象が見られる。東アジアの場合もこのような現象は明確に現れる。中国おいて人口が少数の有力な姓氏(大姓)への集中する要因は次のように考えられる。(1)まずは、由緒があり、多様であり、広く分布していることに関連がある。(2)大姓は歴史上において国姓であることが多く、国の支配者の姓であるために当該王朝においては勢力を誇り、また王朝の支配者は賜姓という手段を使い、国姓を広めた。(3)門閥氏族制度は有力氏族増加の重要な要因となった。(4)中国の前近代の一夫多妻制により、社会的地位と経済的優越は子孫の生育にも有利に働き、名門氏族の子孫繁盛の土壌を作った。(5)家系を重んじる意識、同姓村落の形成、共同体内部での婚姻などの要因も、社会的に有力な姓氏への偏中を助長したと考えられる。朝鮮(韓国)とベトナムの姓氏における有力な姓氏への集中現象にも中国と近似する要因が見られる。日本の姓氏が中国、朝鮮、ベトナムのように数百程度に集約されず、約30万個もあるといわれるが、これについては次のような要因が考えられる。(1)日本の姓氏は地名、職業名、物象名などに由来したが、その中の多数が地名に由来している。それぞれの地域の多様な地名に由来したために自ずと姓氏の数が多数になったと思われる(2)日本の家族制度は中国、朝鮮、ベトナムの場合に比べて血縁によって続くという意識が濃厚ではなく、そのため姓氏の分化が常に行われ、それが多数の姓氏に発展する素地となった。(3)日本の政治体制が中国、朝鮮、ベトナムのような中央集権型ではなかったので、古代社会の場合を除くと、中央の政治権力による姓氏への影響力(王権により賜姓・改姓)が薄く、これも姓氏が多様化する一因にもなったと考えられる。(4)明治時代に入り、「平民苗字必称義務令」が発布され、江戸時代までに公に苗字(名字)を名乗ることができなかった平民層も苗字を持つことが義務化されたために、極めて短期間に平民たちが馴染みのある地名から多数の苗字を新しく作ったことが日本の姓氏の数を増加させた。
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.54, pp.91-121, 2019-10

日本(列島)は南北に湾曲して細長く、又、列島部分の幅も狭い。そこに横たわる自然地形も狭小な国土の割には起伏に富む。又、島嶼部も夥しく存在する。従って、日本に於いては歴史的にも、地震や火山噴火と言った地盤に関わる自然災害だけではなく、津波や高潮、高波、大雨、洪水、土石流等と言った「水災害」の影響をも大きく受けて来たという特質がある。日本の古代王権は、或る種の意図を以って、そうした自然災害を文字情報としての記録に残すことを行なって来た。ここで言う処の「或る種の意図」とは、それらの自然的な事象の発生を、或る場合には自らの都合の良い様に解釈をし、加工し、政治的に利用、喧伝することであった。その目的は、災害対処能力を持ちうる唯一の王権として、自らの「支配の正当性」を合理的に主張することであったものと考えられる。それでは、韓半島の場合にはどうであろうか。筆者が『災害対処の文化論シリーズ Ⅰ ~古代日本語に記録された自然災害と疾病~』〔DLMarket Inc(データ版)、シーズネット株式会社・製本直送.comの本屋さん(電子書籍製本版)、2015年7月1日、初版発行〕に於いても指摘をした如く、「咎徴(きゅうちょう)」の語が示す中国由来の儒教的災異思想の反映はその一例である。ところで、本稿に先立って刊行した『災害対処の文化論シリーズ Ⅵ 韓半島における災害情報の言語文化 ~倭国に於ける災害対処の文化論との対比~』〔単著書、販売:シーズネット株式会社(2019/2/1)〕で主たる素材として扱った「三国史記」は、韓半島で現存する最古の記録書とされており、新羅国(新羅本紀12巻)、高句麗国(高句麗本紀10巻)、百済国(百済本紀6巻)3ヶ国の事績を体系的、時系列的に記したものである。3か国の本紀の他にも、年表3巻(上、中、下)、志9巻、列伝10巻、合計50巻よりなる。西暦1145年、高麗国の仁宗(第17代国王)の命に依り、金富軾等19名の史官等が編纂、担当し、進上したとされている。李王朝の中宗代(1506~1544年)に慶州で刊行された木版本が刊本としては現存最古のもので、その影印本が流布している。「三国史記」は、中国大陸で行なわれていた正史編纂事業を大いに意識して作成されたらしく、その意味に於いては、日本に於ける六国史、取り分け、「日本書紀」的存在であったのかもしれない。それ故に、その編纂に際しては、東アジア世界に特有の、特定の歴史観、国家観、対外観、宇宙観、そして、対自然(災害)観等が色濃く反映されていた可能性もあり、史料としての取り扱いには慎重であるべきであって、慎重な史料批判も必要とされた。つまり、正史である以上、そこに記された事象に曲筆、虚偽、隠蔽、粉飾、宣伝等の作業が存在していることも十分考慮されたのである。又、記録の特性上、編纂者の故意ではないものの、結果としてその事象が偽であったり、偏見や誤解が包含されている可能性に就いても、排除をすることは出来ないとした。それでは、「三国遺事」の場合に在っては、どうであろうか。「三国遺事」は、新羅国、高句麗国、百済国に関わる古記録、伝承、神話等を収集、編集し、そこに就いての遺聞逸事を記した書物である。高麗王朝期に、一然(いちねん。普覚国師。1206~1289年)に依り撰述され、一部分はその弟子であった無極が補筆したとされる。全5巻より成る。本稿では、そうして成立した「三国遺事」に記された、自然災害、人為的災害関係記事の内容、編纂意図や位置付けを、言語文化、文化論の視角より探ってみることとする。「三国遺事」に於いては、如何なる対自然災害観や、災害対処の様相が記録されていたのか、いなかったのかを追究することが本稿の目的とする処の1つである。更には、こうした素材を使いながら、韓半島に於ける災害対処の様相を文化論として構築をすることが出来得るのか、否かを検証することも2つ目の目的として掲げて置く。本稿では、そうした観点、課題意識より、韓半島に於ける対災害観や、災害対処の様相を文化論として窺おうとしたものである。シリーズ後半部分に当たる本稿では、気象、その他の事象に関わる記事を中心として、検証作業を進めて行くこととする。尚、本稿に於いて使用する「三国遺事」は、昭和3年(1928)9月に朝鮮史学会が編集、発行した刊本であり、昭和46年(1971)7月に国書刊行会より復刻、発行された『三國遺事(全)』である。更に、史料引用文中の読み方や現代語訳等に関しては、金思燁氏訳『完約 三国遺事』の記載に依った部分が存在することを明示しておく。
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.58, pp.55-83, 2021-06

日本では、古来、様々な自然災害―大雨、洪水、土石流、地滑り、地震、津波、火山噴火、雪害、雹、暴風雨、高波、高潮、旱害、冷害、蝗害等、そして、人為的災害―疫病流行、戦乱、盗賊・海賊、略奪行為の発生等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、彼らは忍耐を伴ないながらも、その都度、復旧、復興しながら、現在へと至る国家や、その基盤となって来た地域社会を形成、維持、発展させて来た。世界史的に見ても、日本はあらゆる災害の多発地であったし、その様相は現在でも変わりは無いのである。ここに住む限りに於いては、そうした災異は誰にでも降り懸かって来ていたのである。それ故の、独特で、固有の感性=対災異観を、ここに住み続けて来た人々は伝統的に醸成して来たと言うことができる。本稿では、今回、同時に発表している別稿(本誌掲載「「土左日記」に見る災異観 ~祈りのかたち~」)と共に、日本に於ける対災異観や、災害対処の様相、及び、思想を、意図して作られ、又、読者の存在が想定された「文学作品」を素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものである。作品としての文学に、どの様な災異観の反映が見られるのか、否かに関して、追究を試みた。今回、具体的な素材としては、紀貫之の筆に依るものと見られる「土佐日記」を取り上げ、そこに見られる「年中行事と習俗」を元にしながら、対災異観を明らかにしたものである。
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.58, pp.27-54, 2021-06

日本では、古来、様々な自然災害―大雨、泥雨、洪水、浸水、土石流、地滑り(陸上・水底)、地震、津波、火山噴火、大雪、雪崩、雹、台風(大風)、暴風雨、竜巻(辻風)、落雷、高波、高潮、旱害、低温、高温、蝗害、黄砂、飛砂、塩害、山火事等、そして、人為的災害―疫病流行、戦乱、火災(失火)、盗賊・海賊、略奪行為の発生等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、彼らは忍耐を伴ないながらも、その都度、復旧、復興しながら、現在へと至る国家や、その基盤となって来た地域社会を形成、維持、発展させて来た。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近世以前の段階に在って、人々は口承、地名、石造物等の方法論を以って、そうした災害情報を後世へ伝達するべく、多大なる努力を払っていたものと見られる。カナ文字(ひらがな)が一般化する様になると、記録としての個人の日記や、読者の存在を想定した物語、説話集、日記、紀行等、文学作品の中でも、各種の災害情報が直接、間接的に記述される様になって行った。しかしながら、文学作品中に描写された災害事象が全て事実であったとは言い難い。ただ、最初から嘘八百を並べたものでは読者からの支持を得られる筈も無く、その作成に際しては、素材となる何らかの事象(実際に発生していた災害事象)を元にして描かれていたことは十分に考慮されるのである。従って、文学作品中には却って、真実としての、当時の人々に依る対災異観や、思想が包含されて反映され、又は、埋没していることも想定されるのである。本稿では、こうした点に鑑み、日本に於ける対災異観や、災害対処の様相、及び、思想を、意図して作られ、又、読者の存在が想定された「文学作品」を素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものである。作品としての文学に、どの様な災異観の反映が見られるのか、否かに関して、追究を試みた。今回、具体的な素材としては、紀貫之の筆に依るものと見られる「土佐日記」を取り上げ、そこに見られる「祈りのかたち」を明らかにしたものである。
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = BULLETIN OF NIIGATA SANGYO UNIVERSITY FACULTY OF ECONOMICS (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.57, pp.81-103, 2021-01

日本では、古来、様々な自然災害や人為的災害が人々を襲い、人々はその都度、復旧、復興させながら、現在へと至る地域社会、国家を形成、維持、発展させて来た。日本は列島、付属島嶼を主体とした島嶼国家であり、そこでは「水災害」が多く発生していたが、こうした地理的理由に依る自然災害や、人々の活動に伴う形での人為的な災害等も、当時の日本居住者に無常観・厭世観を形成させるに十分な要素として存在したのである。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近世以前の段階でも、文字を自由に操ることのできる限られた人々に依った記録、就中(なかんづく)、災害記録は作成されていた。特に古い時代に在って、それは宗教者(僧侶や神官)や官人等に負う処が大きかったのである。正史として編纂された官撰国史の中にも、古代王権が或(あ)る種の意図を以って、多くの災害記録を記述していた。ここで言う処の「或る種の意図」とは、それらの自然的、人為的事象の発生を、或る場合には自らの都合の良い様に解釈をし、加工し、政治的、外交的に利用、喧伝することであった。その目的は、災害対処能力を持ちうる唯一の王権として、自らの「支配の正当性、超越性」を合理的に主張することであったものと考えられる。それ以外にも、取り分け、カナ文字(ひらがな)が一般化する様になると、記録としての私日記や、読者の存在を想定した物語、説話集、日記等、文学作品の中に於いて、各種の災害が直接、間接に記述される様になって行った。ただ、文学作品中に描写された災害が全て事実であったとは言い難い。しかしながら、それも最初から嘘八百を並べたものではなく、素材となる何らかの事象(実際に発生していた災害)を元にして描かれていたことは十分に考えられるのである。従って、文学作品中には却って、真実としての、当時の人々に依る対災害観や、ものの見方が反映され、包含されていることが想定される。都が平安京(京都市)に移行する以前の段階に於いては、「咎徴(きゅうちょう)」の語が示す中国由来の儒教的災異思想の反映が大きく見られた。しかしながら、本稿で触れる平安時代以降の段階に在って、それは影も形も無くなるのである。その理由に就いては、はっきりとはしていない。しかしその分、人々に依る正直な形での対自然観、対災害観、対社会観の表出が、文学作品等を中心として見られる様になって来るのである。本稿では、以上の観点、課題意識より、日本に於ける対災害観や、災害対処の様相を、意図して作られ、又、読者の存在が意識された「文学作品」を素材としながら、文化論として窺おうとしたものである。作品としての文学に如何なる災異観の反映が見られるのか、見られないのかに関して、追究を試みた。今回、具体的素材としては「伊勢物語」を取り上げながら、この課題に取り組んだものである
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.57, pp.123-178, 2021-01

日本では、古来、様々な自然災害―大雨、洪水、土石流、地滑り、地震、津波、火山噴火、雪害、雹、暴風雨、高波、高潮、旱害、冷害、蝗害等、そして、人為的災害―疫病流行、戦乱、盗賊、略奪行為の発生等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、人々はその都度、復旧、復興しながら、現在へと至る地域社会を形成、維持、発展させて来た。日本に於ける地理的理由に起因した形での自然災害や、人の活動に伴う形での人為的な災害等も、当時の日本居住者に無常観・厭世観を形成させるに十分な要素として存在したのである。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近世以前の段階でも、文字を自由に操ることのできる限られた人々に依った記録、就中(なかんづく)、災害記録は作成されていた。特に古い時代に在って、それは宗教者(僧侶や神官)や官人等に負う処が大きかったのである。カナ文字(ひらがな)が一般化する様になると、記録としての個人の日記や、読者の存在を想定した物語、説話集、日記等、文学作品の中でも、各種の災害が直接、間接に記述される様になって行った。ただ、文学作品中に描写された災害が全て事実であったとは言い難い。しかしながら、素材となる何らかの事象(実際に発生していた災害)を元にして描かれていたことは十分に考えられるのである。従って、文学作品中には却って、真実としての、当時の人々に依る対災害観や、ものの見方が包含されて反映され、又は、埋没していることも想定されるのである。本稿で触れる平安時代以降の段階に在っては、人々に依る正直な形での対自然観、対災害観、対社会観の表出が、文学作品等を中心として見られる様になって来るのである。以上の観点、課題意識より、本稿では日本に於ける対災害観や、災害対処の様相を、意図して作られ、又、読者の存在が意識された「文学作品」を素材としながら、文化論として窺おうとしたものである。作品としての文学に如何なる災異観の反映が見られるのか、見られないのかに関して、追究を試みることとする。又、それらの記載内容と、作品ではない(古)記録類に記載されていた内容に見られる対災害観との対比、対照研究をも視野に入れる。
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.55, pp.37-66, 2020-02

倭国へ漢字を公伝させたとする韓半島・朝鮮半島に於いても、残存する信憑性の高いものは少ないものの、古来、種々の記録類が作成されていたものと推測される。その中に於いても、種々の災害記録が残されている。そうした自然災害、人為的災害に対する認識は、災害情報の記録にも反映され、更には、倭国・日本へも影響を与えていたのであろうか。本稿では、そうした問題視角より、韓半島に於ける対災害観や、災害対処の様相を文化論として窺おうとしたものである。東アジアに所在していた古代王権は、或る種の意図を以って、そうした災害を文字情報としての記録に残すことを行なって来た。ここで言う処の或る種の意図とは、それらの事象発生を、或る場合には自らの都合の良い様に解釈をし、加工し、政治的、外交的に利用、喧伝することであった。その目的は、災害対処能力を持ちうる唯一の王権として、自らの支配の正当性、超越性を合理的に説明することであったものと考えられる。それでは、韓半島の場合にはどうであろうか。韓半島に於ける正史である「三国史記」は、中国大陸で行なわれていた正史編纂事業を大いに意識して作成されたらしく、日本に於ける六国史、取り分け、「日本書紀」的存在であったのかもしれない。その為、その編纂に際しては、東アジア世界に特有の、特定の歴史観、国家観、対外観、宇宙観、そして、対自然(災害)観等が色濃く反映されていた可能性もあり、史料としての取り扱いには慎重であるべきであって、慎重な史料批判も必要である。それでは、「三国遺事」の場合に在っては、どうであろうか。「三国遺事」は、新羅国、高句麗国、百済国に関わる古記録、伝承、神話等を収集、編集し、そこに就いての遺聞逸事を記した書物であり、高麗王朝期に、一然(いちねん。普覚国師。1206~1289年)に依り撰述され、一部分はその弟子であった無極が補筆したとされる。本稿では、そうして成立した「三国遺事」に記された、自然災害、人為的災害関係記事の内容、編纂意図や位置付けを、言語文化、文化論の視角より探ってみることとする。尚、本稿に於いて使用する「三国遺事」は、昭和3年(1928)9月に朝鮮史学会が編集、発行した刊本であり、昭和46年(1971)7月に国書刊行会より復刻、発行された『三國遺事(全)』である。又、「三国史記」は、朝鮮史学会を編者、末松保和氏を校訂者とした第三版、即ち、末松保和氏をして「朝鮮史學會本三國史記」と言わさしめた刊本であり、昭和48 年(1973)2月に国書刊行会より復刻、発行された五版である。更に、史料引用文中の読み方や現代語訳等に関しては、金思燁氏訳『完約 三国遺事』の記載に依拠した部分が存在することを明らかにしておく。その場合には「完約」として明示する。
著者
小林 健彦 KOBAYASHI Takehiko
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.48, pp.21-41, 2017-01

日本に於ける自然地形―平坦部、山岳、河川、湖沼、海洋等―や、自然的な現象―気象や地学的な現象等―、或いは、事物等に対して、それらが人間では無いにも拘わらず、それらに恰も人間であるかの如き日本語運用上の待遇格を与え、それに準じた日本語表現法を採用することが有る。一般的には、それらは「愛称、通称」であり、愛着を指し示す目的の手法であるものとも解釈される。ただ、そこにはそれらを擬人化し、人と全く同様な待遇を与えながら運用をして行く、といった要素は全く無いのであろうか。本稿では、そうした視角に立脚して、人間ではない、日本の自然地形や事物に対する人格化表現法の目的等に就いて考察を加えたものである。
著者
江口 潜
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = BULLETIN OF NIIGATA SANGYO UNIVERSITY FACULTY OF ECONOMICS (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.60, pp.59-76, 2022-03

プロ野球選手が「複数年契約」を結ぶならばその後成績は下がるであろうか。本稿はこの問いについて「情報の経済学」の一分野である「エージェンシー理論」に基づいて説明を行い、含意として複数年契約は選手のモラル・ハザードを誘発し、成績低下につながる可能性が高くなることを述べる。その後、実際にはどうであるかということを、複数年契約を結んだ代表的な9選手の打撃成績(打率成績)を用いて実証分析を行う。実証分析の結果としては複数年契約を結んだ後「打率が下がっている」と言えるかどうかは統計学的にも判断は難しい結果になっており、仮に「下がっている」と判断されたとしてもその「下がり幅」は(わずか)1分1厘程度である事が示される。またその際の本稿の実証分析の内包する問題点や課題についても言及する。
著者
黒岩 直
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = BULLETIN OF NIIGATA SANGYO UNIVERSITY FACULTY OF ECONOMICS (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.59, pp.29-42, 2021-10

本稿では貨幣の存在が失業を発生させるというケインズ的な見解のモデル化が検討される。検討の結果、物価・賃金がともに下落し続けるデフレ・スパイラルが一種の均衡として導かれる。本稿のモデルは形式的にはIS-LM 分析に近い枠組であるが、個々の最適化行動に基づくという点でミクロ的基礎を伴っている。分析を通じて、需要不足と失業を伴いながら物価・賃金が同率で下落し続けるという、安定的なデフレ・スパイラルが発生し、物価・賃金の迅速な調整により体系が不安定化するという主張が導かれる。
著者
絹川 ゲニイ
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = BULLETIN OF NIIGATA SANGYO UNIVERSITY FACULTY OF ECONOMICS (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.61, pp.13-24, 2022-06

エネルギーの利用と人類の文明が深い関係にあり,文明の発展と同時に使用するエネルギー源やその量が変わってきた.人間の社会経済活動において,電気エネルギーはもっとも欠かすことのできないものになっており,経済成長に沿ってその使用量が大幅に増え続けた.従来のエネルギー構成では,化石燃料が占める割合が非常に高く,日本の電源構成でも化石燃料は8割以上に上る.化石燃料の大量使用が大気中の二酸化炭素濃度を増加させ,地球温暖化を引き起こすとされている.現在では,地球温暖化への対応として二酸化炭素等の温室効果ガス排出を抑制することが世界規模で共通認識になってきた.経済活動や日常生活に大きな支障が生じるようなエネルギーの利用制限は現実的ではなく,環境保護の観点からエネルギー利用による環境汚染をなるべく低減していく努力が求められている.今後,経済と環境の好循環を作っていくためには,現在のエネルギー構成を変えて,化石エネルギーから非化石へシフトしていくことが鍵になる.非化石エネルギーの中で注目されているものとして水素エネルギーがある.水素をエネルギーとして利用する手段は燃料電池で,家庭用燃料電池,業務・産業用燃料電池,燃料電池自動車などがある.燃料電池では水素と酸素の化学反応を利用して電気をつくるため,生成物は水で,環境に優しく,発電効率も高い.水素エネルギー利用は,一次エネルギーのほとんどを海外の化石燃料に依存する日本のエネルギー供給構造を変え,大幅な低炭素化と政府が掲げる2050年カーボンニュートラル,脱炭素社会の実現に繋がる.
著者
星野 三喜夫
出版者
新潟産業大学附属東アジア経済文化研究所
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.44, pp.1-18, 2015-02

ルトワックの『The Rise of China』の「逆説的論理」(paradoxical logic)は抑止力の観点から貴重な示唆を与えてくれる。アジア太平洋の政治安全保障環境が大きく変化し、意図していない衝突の危険性が高まっているが、日本の主権や領土が脅かされつつある現状下、日本の平和と日本国民の安全を守るためには、一部マスメディアが企図するプロパガンダや情報操作に惑わされない視座が必要である。日本は、集団的自衛権行使のための諸法制を早期に整備し、日本の安全保障や外交政策を評価し世界標準の普遍的価値や利害関係を共有するアジア太平洋諸国、並びに同盟関係を有する米国との協調・協力関係を一層強化し、また不断の外交努力を重ねながら、危機管理の要諦である抑止力と不測の事態を回避する備えを強化すべきである。
著者
星野 三喜夫
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.54, pp.47-62, 2019-10

ベトナムは9,600万人の人口を擁し、平均年齢も31歳と若く、ポテンシャルの高い国である。成長が鈍化傾向にあるアジア諸国・地域の中で高い経済成長を続けている。またその地理的な優位性と魅力ある投資環境から、世界各国・地域の有力企業が豊富な労働力と安価な人件費を求めて生産拠点をベトナムにシフトさせている。ベトナム経済の好調要因は、このような豊かで若い労働力と活況な国内消費、TPP加盟や全方位外交による外国資本の呼び込み、理数系教育施策等に求められる。一方、同国国営企業の改革は実質的に進んでおらず、TPP発効を受け喫緊の課題となっている。他方、ベトナムの投資環境の魅力度の高さは企業アンケート調査からも明らかで、現地マーケットの今後の成長性や安価な労働力、優秀な人材等に有望理由が求められる。投資インセンティブとして税制優遇措置等も導入されており、大型案件を含め外国からの投資は着実に増加している。更なる外国投資誘因に向けた課題として、労働コストの上昇、法制運用の不透明性、管理職クラスの人材確保難、インフラ未整備等が挙げられ、今後これらの改善が望まれる。
著者
星野 三喜夫
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.52, pp.11-22, 2019-01

トランプ米国大統領の英語を主要歴代大統領や彼と大統領選で戦った候補と比較すると、文法は小学校5年から6年生レベル、語彙は8年生に届かない低いレベルである。また彼の英語には、繰り返しや口語的な誇張表現の多用が見られ、スラングや上品でない言葉も含まれる。トランプ大統領が自ら認めたと思われる、2018年5月24日付けの北朝鮮金正恩労働党委\n員長に宛てた首脳会談の「中止」を告げる書簡をチェックすると、語法や言い回しにおいて指摘すべき点が多々ある。英語を母語とする人が、たとえ米国の大統領であったとしても、必ずしも相応しい英語を書く訳ではなく、時には間違った、あるいは望ましくない英語を書いている。トランプ大統領がSNS等で書く英語は子供っぽく、また誇張表現や感情表現が多いが、スピーチライターが慎重を期して書き、トランプ大統領がゆっくり発している大統領選勝利演説や大統領指名受諾演説、一般教書演説等は英語学習において有用である。英語学習者はその点を踏まえて彼の英語を活用するのが良い。
著者
星野 三喜夫 Mikio HOSHINO
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.52, pp.11-22, 2019-01

トランプ米国大統領の英語を主要歴代大統領や彼と大統領選で戦った候補と比較すると、文法は小学校5年から6年生レベル、語彙は8年生に届かない低いレベルである。また彼の英語には、繰り返しや口語的な誇張表現の多用が見られ、スラングや上品でない言葉も含まれる。トランプ大統領が自ら認めたと思われる、2018年5月24日付けの北朝鮮金正恩労働党委員長に宛てた首脳会談の「中止」を告げる書簡をチェックすると、語法や言い回しにおいて指摘すべき点が多々ある。英語を母語とする人が、たとえ米国の大統領であったとしても、必ずしも相応しい英語を書く訳ではなく、時には間違った、あるいは望ましくない英語を書いている。トランプ大統領がSNS等で書く英語は子供っぽく、また誇張表現や感情表現が多いが、スピーチライターが慎重を期して書き、トランプ大統領がゆっくり発している大統領選勝利演説や大統領指名受諾演説、一般教書演説等は英語学習において有用である。英語学習者はその点を踏まえて彼の英語を活用するのが良い。
著者
権田 恭子 GONDA Kyoko
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.51, pp.27-53, 2018-07

本稿では、大学地域コラボ商品の販売イベントである「大学は美味しい!!」フェアへの出展を契機に、学内の個別の地域連携活動が横のつながりを持ち、大学全体の特色づくりとして位置づけられるようになった、新潟産業大学の実践事例を紹介し、今日、喫緊の課題である、大学におけるアクティブラーニング推進のために求められる、学内連携体制の構築という視点を提示したい。「大学は美味しい!!」フェアとは、全国各地の大学による"大学発"のうまいものを紹介、販売する新宿高島屋の人気催である。本学ではこのイベントに2013年開催の第6回から2017年開催の第10回まで、5年連続参加した。イベント全体としてはもともと農学部や家政学部の出店が多い中で、本学は経済学部として、地元産の農産物や銘菓等の地域に関わりのある商品に注目し、地域の企業と協力した商品開発によって、地域のPRや活性化を目指した。本学では複数のゼミナールが開発した商品を持ち寄り、その他に主に販売を担当するゼミナールを設け、学内横断的に分担、協力することで、このイベントへの参加が学内のさまざまな地域連携活動の成果発表の場として位置づけられ、大学の代表的な地域連携活動として認識されるまでになった。この実践事例から指摘できる点として、大学における地域連携、フィールドワーク型のアクティブラーニングの推進を促すためには、複数ゼミナールの参画、協働体制を教員間で自発的に構築することが有効であること、そのためには地域連携活動を正課の教育活動に位置づけるという新たな価値が大学全体として共有されることが重要である。既存の価値観や組織文化に留まらない、新たな組織の目的に向かって、組織全体と個人が共鳴しながら進化を遂げていく「進化型(ティール)組織」への転換が求められる。
著者
小林 健彦 KOBAYASHI Takehiko
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.51, pp.55-98, 2018-07

倭国へ漢字を公伝させたとする、隣地、韓半島・朝鮮半島に於いても、残存する信憑性の高いものは少ないものの、古来、種々の記録類が作成されていたものと推測される。その中に於いても、様々な災害記録が残されている。そうした自然災害に対する認識は、災害情報の記録にも反映され、更には、日本へも影響を与えていたのであろうか。本稿では、そうした観点より、韓半島に於ける対災害観や、災害対処の様相をシリーズ文化論として窺おうとしたものである。「三国史記」は、中国大陸で行なわれていた正史編纂事業を大いに意識して作成されたらしく、その意味に於いては、日本に於ける六国史、取り分け、「日本書紀」的存在であったのかもしれない。それ故に、その編纂に際しては、東アジア世界に特有の、特定の歴史観、国家観、対外観、宇宙観、そして、対自然(災害)観等が色濃く反映されていた可能性もあり、史料としての取り扱いには慎重であるべきであって、慎重な史料批判も必要とされるであろう。つまり、正史である以上、そこに記された事象に曲筆、虚偽、隠蔽、粉飾、宣伝等の作業が存在していることも十分考慮されるのである。又、記録の特性上、編纂者の故意ではないものの、結果としてその事象が偽であったり、偏見や誤解が包含されている可能性に就いても、排除をすることは出来ないであろう。取り分け、「三国史記」―「百濟本紀」に於いては、如何なる対自然災害観や、災害対処の様相が記録されていたのか、いなかったのかを追究することが本稿の目的とする処の1つである。更には、こうした素材を使って、韓半島に於ける災害対処の様相を文化論として構築をすることが出来得るのか、否かを検証することも2つ目の目的として掲げて置く。
著者
小林 健彦 KOBAYASHI Takehiko
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.49, pp.49-89, 2017-07

日本に於いては、同じ様な場所に於いて繰り返されて来た、殆んど周期的な地震の発生に依り、人的、物的にも多大な被害を被って来たのである。人々(当該地震に関わる被災者達)は、そうした大規模な震災の記憶を、文字情報としては勿論のこと、それ以外の非文字認知的手法―説話・伝承・地名・宗教施設・石造物・信仰等、としても残し、子孫への警鐘・警告、又、日常生活上の戒めとして来たのである。それは、日本社会で大多数の人々(為政者層、被支配者層の人々)に依って、或る事柄の記録が、文語資料として残される様になるのは、近世に入って以降のことであったからである。これは、寺子屋・郷学・私塾・藩校・藩学等に見られる教育機関の普及や、社会の安定、貨幣経済の成熟、農業振興等の理由に依る。それ以前の段階に於いては、文字を使用した形式での情報共有は困難であったのである。本稿では、そうした視角に立脚し、地震鎮めの効果を期待して実施されていた、「要石(かなめいし)信仰」に焦点を当てつつ、その太平洋沿岸諸地域と、日本海沿岸諸地域間での残存状況を比較、検討しながら、その差異の検証、分析や、その背景、経緯等に就いて考察を加えたものである。