著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-16, 2003-03

クロアチアにおける地方制度の歴史と現状を概観するとともに,とくにユーゴスラヴィア建国以降,地方制度がマイノリティ問題とどのような関わりを持ったかについて検討した。クロアチアにおける地方自治は,一九九二年に現行制度が発足した当初には多くの制約を受けており,自立性に乏しいものであったが,二〇〇一年の諸改革を経て,少なくとも制度的には自治権の拡大という方向で大いに改善された。それはクロアチアにおける伝統的な地方制度を継承しつつ,ヨーロッパ連合の基準への適合を意識した全く新しい地方制度となっている。また,マイノリティ問題についても,かつての差別的な政策が撤回され,言語・教育などの同権に向けた法的整備が進み,とくに地方レベルではそれらが着実に成果をあげている。セルビア人間題はなお未解決であるが,今後はヨーロッパ連合加盟との関わりにおいて解決がはかられると思われる。国家の統一を損なわない範囲で,いかに効果的に分権化を推進するかが,当面の課題となるであろう。
著者
高橋 善隆
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.41, pp.A77-A92, 2008-03

2005年にAFL-CIOは分裂し、1955年以来統一されていたアメリカ労働運動のナショナル・センターが大きく分断されることになった。1995年のスウィニー執行部成立以来、ソーシャル・ユニオニズムの復権が評価されていたが、ソーシャル・ユニオニズム内部の対立が鮮明化した構図となっている。本論では(1)ビジネス・ユニオニズムとソーシャル・ユニオニズムの対立というアメリカ労働運動の歴史的背景、(2)戦後期に優位を確立したビジネス・ユニオニズムがアメリカ社会の制度設計に残した負の遺産、(3)ビジネス・ユニオニズムの失墜、ソーシャル・ユニオニズムの復権という状況下で活力の中心となっている「ヒスパニック系移民の動向」について検討する。さらにアメリカ労働運動の変容とナショナル・センターの分裂が、アメリカ政治全体にどのような影響を及ぼすことになるのか考察してみたい。
著者
山田 徹雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.38, pp.45-65, 2005-03

ドイツ再統一以降に行われた航空輸送インフラストラクチャーの整備過程において、ミュンヘン空港における輸送能力の進展は著しく、ドイツのみならず、EU内においても同空港はその地位を高めてきた。連邦政府、州政府、ミュンヘン市が資本参加するミュンヘン空港有限会社は、1992年に新空港「フランツ・ヨゼフ・シュトラウス空港」を筆頭執行役員(当時)ヘルムゼンのもとで完成させ、ヨーロッパにおける代表的国際空港へと成長させた。この間、ルフトハンザ・ドイツ航空はミュンヘンをフランクフルト・アム・マインと並ぶハブ空港とする決定をし、2003年に創業を開始した空港第二ターミナルは、ルフトハンザ・ドイツ航空とミュンヘン空港有限会社の共同出資、共同経営によって実現した。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A57-A74, 2010-09

「嘘」という言葉の日常的使用における曖昧性を解明する意味で、最初に話し手側の立場に限定し、その上で11の基準に基づいて分析を実施した。具体的には、非事実性(反事実性)、自己認識性、意図性、欺瞞性、隠蔽性、目的性、悪意性、不利益性、自己保護性、拡張性(連鎖性)キャンセル性(修正・訂正、取り消し・撤回)の11基準である。以上の分析によって、全てが解明されるというわけではない。更なる基準の追加、聞き手側からの視点、1対1の関係以外の1対複数、複数対複数などの分析が必要になってくると言えるからである。ただ、嘘の解明を厳密にすることが果たして必要なのか、むしろ曖昧さにこそその本来の意義があると言えないのか、その他の疑問が当然生じてくるのであり、従って今回の分析は、それ以降に続く分析の第1歩としてではなく、あくまでもこれ自体で完結する分析として位置づけられるものである。更なる展開は、全体的な方向性を見た上でのことになろう。