著者
久世 濃子 五十嵐 由里子
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.58-59, 2014 (Released:2014-08-28)

ヒトでは、骨盤の仙腸関節耳状面前下部に溝状圧痕が見られることがあり、特に妊娠・出産した女性では、深く不規則な圧痕(妊娠出産痕)ができる。妊娠時に仙腸関節をつなぐ靭帯がゆるみ、出産時に軟骨が破壊されることで、妊娠出産経験のある女性で特徴的な圧痕が形成される、と言われている。直立二足歩行に適応して骨盤の形態が変化し、産道が狭くなった為にヒトは難産になった、と言われている。妊娠出産痕もこうしたヒトの難産を反映した、ヒト経産女性特有の形態的特徴であると考えられてきた。しかし、妊娠出産痕と異なるタイプの圧痕は、男性や未経産の女性でも見られ、その形成要因は明らかではない。またヒト以外での種で、耳状面前下部に圧痕があるかどうかを確かめた報告はない。そこで本研究では、圧痕がヒトに特有な形質なのか否かを明らかにし、圧痕の形成要因について新たな知見を得ることを目的とした。博物館等に収蔵されていた動物園由来で妊娠出産等の履歴がわかる大型類人猿3属(ゴリラ:7個体、チンパンジー:15個体、オランウータン:10個体、合計33個体)の耳状面前下部を観察し、圧痕の有無や、その形状を調べた。その結果、ゴリラとチンパンジーの雌雄で、耳状面前下部に圧痕がある個体が観察され、特にゴリラでの溝の出現頻度は71%と高かった(チンパンジー40%、オランウータン20%)。またゴリラの経産雌1個体とチンパンジーの経産雌3個体で、ヒトの妊娠出産痕に近い、不規則な形の圧痕が観察された。以上より、耳状面前下部の圧痕はヒト特有のものではなく、大型類人猿に共有される形質であることが初めて明らかになった。大きな体で体幹を垂直にした姿勢をとることが多い、大型類人猿の形態や運動様式が、骨盤に負荷をかけることで圧痕が生じている可能性がある。今後はさらにサンプル数を増やし、圧痕の形成要因等について考察を深めることを計画している。
著者
盛 恵理子 島田 将喜
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.31, 2014 (Released:2014-08-28)

日本の伝統芸能猿回し(猿舞師)では、サルは調教師であるヒトの指示を聞き、観衆の面前で様々な芸をすることができる。しかしサルは芸が初めからできるわけではない。では、「芸ができるようになる」とはどのようなプロセスなのだろうか。エリコ(第一著者)は調教師として茨城県の動物レジャー施設、東筑波ユートピアにおいて、餌を報酬としたオペラント条件付けによる芸の調教を行っている。アカネと名付けられたニホンザル(4歳♀)に、今までやったことのない芸「ケーレイ」を覚えさせるべく調教を行ったアカネはすでに「二足立ち」、「手を出すと前肢をのせる」などができていた。7日間(1日20分間)の調教を行い、その全てをビデオカメラに記録した。動画解析ソフトELANを用いアカネとエリコのパフォーマンスを、ジェスチャー論の枠組みを援用し、コマ単位で分析した(坊農・高橋 2009; Kendon 2004; McNeill 2005)。ストローク長(右手がアカネの場合右背側部、エリコの場合右大腿部で静止してから額に付き静止するまでの動作時間)と、開始・終了同調(エリコのパフォーマンス開始・終了コマに対する、アカネのパフォーマンスの遅れ)の調教日ごとの平均値・標準偏差を算出した。アカネ・エリコ双方において、ストローク長の標準偏差は後半になるにつれ小さくなっていき、平均値は最初と最後でほとんど変化が見られなかった。開始・修了同調は、後半で平均値は0に近づき、標準偏差は減少した。古典的モデルによればエリコは「情報」を教える側であり、芸ができるのでばらつきは最初から小さいと予想されたが、予想とは逆に、エリコもアカネの変化に合わせて自分のパフォーマンスを変化させていたことが示唆される。調教とはサルとヒトの双方が状況と互いに他のパフォーマンスに応じて自分のパフォーマンスを調整し同調させてゆくプロセスのことであり、芸を完成させていく異種間相互行為であると考えられる。
著者
田島 知之
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.66, 2014 (Released:2014-08-28)

オランウータンの雄には、二次性徴が発達した大型のフランジ雄と、未発達で小型だが生殖能力のあるアンフランジ雄の2形態が存在し、それぞれ異なる繁殖行動をとると考えられている。群れをつくらないオランウータンの生活様式において、アンフランジ雄は、フランジ雄が雌と近接していない間に交尾を試みていると考えられる。本研究では、行動観察からアンフランジ雄の交尾成功について調べるとともに、DNA分析を用いてそれが実際に繁殖成功に結びつくかどうかについて調べた。2010年から2012年にかけて、マレーシア・サバ州セピロク・オランウータン・リハビリテーションセンター周辺の森林内において、自由生活下のボルネオオランウータンの雄4頭(フランジ雄1頭、アンフランジ雄3頭)と、受胎可能な経産雌3頭を対象として個体追跡法による行動観察を1331時間おこなった。並行して、調査地で生まれた子ども8頭を含む28頭からDNA試料を採取し、12領域のマイクロサテライトマーカーを用いて父子判定をおこなった。フランジ雄は受胎可能な経産雌と最も長い時間近接していたが、3頭のアンフランジ雄も経産雌との交尾に成功していた。アンフランジ雄は未経産雌とも交尾していたが、フランジ雄では観察されなかった。受胎当時に調査地周辺に存在していた全てのアンフランジ雄の試料が採取できた7頭の子のうち、未経産雌による初産の子は1頭であり、アンフランジ雄が父親となったのはその1頭のみであった。フランジ雄が経産雌との間で高い繁殖成功を収めた一方で、アンフランジ雄はフランジ雄が不在の間に経産雌に対して交尾を試みるだけでなく、受胎可能性は低いと考えられるが未経産雌を交尾相手とすることでフランジ雄との競合を避け、繁殖成功を得ていることが示唆される。
著者
河野 穂夏 山田 一憲 中道 正之
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.60-61, 2014 (Released:2014-08-28)

神戸市立王子動物園で飼育されているアビシニアコロブス(Colobus guereza)集団を2011年12月から2012年10月まで11カ月間観察し、2頭の成体メスによる3回の出産を記録した。アビシニアコロブスの妊娠期間は約160日であるが、出産直前になっても妊娠メスの腹部が大きく膨らむことはなく、出産前に外見で妊娠を判断することは困難であった。また、アビシニアコロブスの繁殖に季節性はないと言われており、発情時に特有の音声を発したり、性皮が明らかに腫脹することもないため、観察からメスの繁殖状態を推察することは難しい。本研究では、出産日から逆算し、妊娠状態とメスの社会行動の関連を検討した。妊娠していないと推察される期間には83%であった成体メスと集団内の他個体との接触率は、出産の2カ月前には40%まで減少した。集団内のどの他個体とも接触および近接していない割合は、妊娠していないと推察される期間には4%であったが、出産の2カ月前には41%まで増加した。これらの傾向は、対象となった3回の出産いずれにおいても確認された。これらの結果から、アビシニアコロブスのメスは妊娠、出産といった繁殖状態によって、集団内の他個体との関係性を変化させている可能性が示唆された。さらに、成体メスの行動を観察することによって、外見からだけでは判断できないメスの妊娠を推察できる可能性が示された。観察期間に、集団には4頭から7頭の未成体が存在した。誕生時期が異なる5頭の子の行動を月齢ごとに解析すると。子が母親に抱かれている割合は加齢に伴って顕著な減少を示したが、子ども同士での社会的遊びの生起率は加齢に伴う増減を示さず。5頭の子で観察月ごとに似た傾向を示した。社会的遊びは子ども同士で同期していること、社会的遊びの生起率は少なくとも28カ月齢までの子の発達段階を示す指標とはならないと考えられた。
著者
友永 雅己
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.72-73, 2014 (Released:2014-08-28)

ヒトでは、同一の顔写真が上下に並べられた場合、下の方が太って知覚される(あるいは上の方がやせて知覚される)。この現象は北岡(2007)やSunら(2012)が独立に見いだされている。この現象を北岡(2007)は「顔ジャストロー効果」とも呼んでいる。これは、現象的にはジャストロー図形と同じ方向の錯視が生じているためである。最近、顔の内部の要素よりも輪郭線が重要であるという報告もなされているが(Sunら, 2013)、この顔ジャストロー効果がなぜ生じるのかについては、まだまだ不明な部分が多い。一つの可能性は、顔刺激の処理様式によるものであろう。また、比較認知科学的な観点からの研究も全く行われていない。そこで、本研究では、ヒトとチンパンジーを対象に、ジャストロー錯視と顔ジャストロー錯視について検討し、2種類の錯視の関係と種間差について検討した。タッチスクリーン上に2つの図形(長方形、ジャストロー図形、またはチンパンジーとヒトの顔写真)を上下に並べて提示し、より横幅の短い(やせた)方の図形を選択することが、チンパンジーおよびヒトの参加者には要求された。その結果、ヒトではジャストロー図形、ヒトの顔、チンパンジーの顔、いずれにおいても、従来報告されていた錯視(上の方がより短く/やせて知覚される)が見られたのに対し、チンパンジーでは、ジャストロー錯視のみが見られ、顔ジャストロー錯視は生じなかった。この結果は、ヒトとチンパンジーにおける顔処理のある側面における種差を反映しているのかもしれない。
著者
山田 一憲
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.71, 2014 (Released:2014-08-28)

ニホンザルはマカクの中でも厳格な優劣関係をもつ専制的な種であるとされている。とりわけ餌付け集団は、給餌によって個体間の争いが頻繁に生じるため、より厳格な優劣関係をもたらすと考えられている。淡路島ニホンザル集団(兵庫県洲本市)は、1967年より淡路島モンキーセンターによる管理と運営が継続されている餌付け集団である。淡路島集団は、他集団との比較研究から、個体間の凝集性が高く攻撃性が低いという、寛容な行動傾向を示すことが明らかになっている。発表者は、2000年より勝山ニホンザル餌付け集団(岡山県真庭市)を対象とした調査を行っており、2009年からは淡路島集団においても調査を開始した。本報告では、勝山集団の観察経験と比較すると「稀な行動」に思われる淡路島集団での観察事例を報告する。定量的な検討を行うには観察事例が足りないが、淡路島集団の特異性を示唆する事例に注目することで、淡路島集団の寛容性を理解する手がかりとし、ニホンザルの行動の多様性を議論することをめざす。
著者
辻 大和 伊藤 健彦
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.37, 2014 (Released:2014-08-28)

霊長類の寒冷地への適応は、古くから多くの研究者の関心を集めてきた。しかしこれまでの研究の多くは、環境適応を行動特性の面だけから評価することが多く、それを生息地内部の食物量や物理的要因と関連付ける視点が欠けていた。本研究は、ニホンザル(Macaca fuscata)の寒冷地への適応メカニズムの解明を目指し、彼らの食性の空間パターンを説明する、生息地の生態学的特性の関係を明らかにすることを目的とした。文献データベースを用いて先行研究の文献を収集し、日本全国の13箇所から19群のニホンザルの食性データ(採食時間割合)を抽出した。同時に各調査地の緯度・経度・標高(地理的要因)および平均気温・年間降水量・年間降雪量・植生指数(NDVI)などの環境要因を収集した。GLMMによる解析の結果、地理的要因に関しては、ニホンザルは高緯度・高標高の調査地で葉や樹皮・冬芽の採食割合が高かった。また、高緯度の調査地で食物の多様性が高かった。このような空間パターンは、主に環境要因によって説明できた。すなわち、ニホンザルは平均気温が低く、降雪量が多く、年間降雪期間が長い調査地で樹皮・冬芽の採食割合が高く、果実の採食割合が低かった。NDVIが低い調査地でも果実の採食割合が低かった。そして気温が低い調査地、年間降雪期間が短い調査地で食物の多様性が高かった。本研究により、ニホンザルの生態適応は、生息地の食物環境に応じた採食行動の柔軟な変化によって達成されたことが示唆された。とくに、降雪の影響が強かったことから、ニホンザルの採食戦略を決定するうえで、冬の厳しさが重要な役割を果たしていると考えられた。
著者
毛利 恵子 清水 慶子
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.52, 2014 (Released:2014-08-28)

今日、尿を用いたホルモン測定法は、霊長類をはじめさまざまな動物で非侵襲的な内分泌動態モニタリング方法として使われている。しかし、飼育下での尿サンプルの採取・保存と違って野生群や放飼群においてのサンプル採取・保存は、①地面にしみこみ吸い取れないなどの採取方法での困難さ、②冷凍・冷蔵設備がないなどの保存における困難さ、また、③測定設備がある施設まで長距離輸送を強いられるなどのさまざまな問題があり、応用が難しい。そこで、それらの問題を解決するため、飼育下チンパンジーやマカクの尿を用いて測定法の開発をおこなった。尿を浸したろ紙からホルモン測定用サンプルを抽出し、これらに含まれる尿中の性ホルモンであるエストロゲン代謝物(Estrone conjugate, E1C)およびプロゲステロン代謝物(Progesterone glucuronide, PdG)量が測定可能かどうか調べた。その結果、E1C、PdGともに測定可能であった。また、これらの測定値はクレアチニンによる補正の結果、採取後冷凍保存した尿サンプルのホルモン測定値と比較して差は見られなかった。さらに、この尿を浸したろ紙を長期間保存したのち同様にホルモン測定をおこなった結果、常温での保存が可能であることが分かった。これらのことから、本方法を用いることにより、冷凍・冷蔵設備のない場所においても、採取した尿を用いた性ホルモン測定が可能となった。本法は霊長類のみならず他の動物にも応用可能であり、野生群の内分泌動態モニタリングに寄与できると考えられる。
著者
井上 英治 BASABOSE Augustin K. KAMUNGU Sebulimbwa MURHABALE Bertin AKOMO-OKOUE Etienne-Francois 山極 寿一
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第30回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.41-42, 2014 (Released:2014-08-28)

集団内の個体数を把握することは保全や生態を考える上で重要であるが、十分に人慣れしていない集団では、個体数の把握が難しいことがある。とくに、チンパンジーは離合集散をするため、個体識別なしに群れ全体の個体数を把握するのは困難である。本研究では、長期にわたり生態学的な調査がなされているが、十分には人付けされていないカフジビエガ国立公園のチンパンジー集団を対象に、ネストサイトで糞試料を採取し、DNA再捕獲法に基づき、個体数の推定を行なった。糞からDNAを抽出後、マイクロサテライト7領域を解析し、個体識別を行なった。合計で54のネストサイトから糞を採取し、計152試料で遺伝子型を決定できた。今回使用した7領域の多様性を調べたところ、個体識別には十分であることがわかった。全部で32個体分の試料が含まれており、そのうち24個体については2サイト以上から糞を採取できた。同一個体からの糞の再捕数からCapwireというソフトを用いて、個体の試料採取率が一定ではない2タイプの個体が含まれるというモデルのもと、最尤法で推定したところ、個体数は35個体(95%信頼区間 32-40)であった。この推定値から、集団の約9割の個体の遺伝子型が決定できたと考えられる。この推定値は、識別された個体数の累積曲線から見ても、妥当な値だと考えられた。チンパンジーのように離合集散するため個体ごとにDNA試料を採取できる確率が一定でないと考えられる状況でも、十分な試料数とそれを考慮したモデルを適用することで、適切な個体数推定を行なえたと考えられる。糞などの非侵襲的試料を用いたDNA再捕獲法による個体数推定法は、野生霊長類においても有益な方法であり、今後も保全や生態調査など様々な場面で適用されるであろう。