著者
岩切 朋彦
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = BULLETIN OF KAGOSHIMA WOMEN'S COLLEGE (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.15-24, 2017-10

現在,福岡県の日本語教育機関では,ネパール人留学生が増加している.その誘因はネパールの経済的不振にあり,働きながら勉強できることが,日本が選ばれている理由である.一方,2020年を目途に政府が目標としている「留学生30万人計画」や,中国人留学生の減少によって学生確保に苦労している日本語教育機関,新規労働力の枯渇に苦しむ日本の労働市場など,日本側にとってもネパールの留学生を呼び込む要因が強くなっている.南北の経済格差を背景とするグローバルな移民現象の一部として留学という現象を捉えつつ,本稿では「働く留学生」をめぐって,就労制限の問題と社会相互作用の観点から,続稿へ向けた問題提起を行う.
著者
ミルン A. A. 吉村 圭
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = Bulletin of Kagoshima Women's College (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
no.58, pp.99-112, 2021

[訳者解題] 本稿では『くまのプーさん』(Winnie-the-Pooh)の著者として知られるA. A. ミルン(Alan Alexander Milne)が書いた,戦争と平和に関する論考『名誉ある平和』(Peace with Honour)6章から8章までの翻訳を行う.1 本稿で扱う6章から8章では,主に本書の副題(an Enquiry into the War Convention)にもある戦争というものが行われるに至る「慣習」が議論の中心となる.「戦争への慣習」(The War Convention)と題された6章では,庭の破壊をする侵入者の寓話が描かれている.その中では,仮に自身がその庭をこよなく愛する所有者で,その侵入者による破壊を阻止する唯一の手段が偶然手元にあった爆弾を投げることだったときに,家族もろとも爆弾で庭を爆破するかどうかという問いが投げかけられる.通常はそのようなばかげたことをするものなどいるはずがないのだが,しかしそれを実行に移すのが,「感傷にとりつかれた愚か者たち」(sentimentally obsessed idiots)であるとミルンは指摘する(44).この寓話は当然のことながら,他国による侵攻とそれへの反撃という戦争の比喩になっており,ここで言われる「感傷」とは,戦争やそこでの死に対して「英雄」や「名誉」といった言葉で語られるときに呼び起こされる感情のことを指している.日本でも戦国時代の刀と刀で体をぶつけあう戦いのあり方が英雄的でロマンチックな行為として語られることがあるが,本書で言及されているように,同様の価値観が少なくともボーア戦争まではイギリスにもあったようである(49).ミルンはこの「感傷」こそが習慣的に繰り返されてきた戦争の1つの要因であると考えていた.ミルンは庭の寓話によって,庭を破壊されることに対する「本能的な武力の利用」(instinctive use of force)ではなく,例えばその侮辱行為に対して自身の面子が保たなければならないという,決闘の時代から脈々と受け継がれてきた「慣習的な武力の利用」(conventional use of force)こそが戦争を誘発するものの正体だと指摘しているのである(40). そして7章では,戦争へと若者たちを駆り立てる号令として利用されてきた多くの詩の一節を引き合いに出しながら,その「感傷」がこれまでの歴史の中で戦争を正当化してきたと述べている.ミルンは第一次大戦を「ほとんどコミカルといってもいいほどに非英雄的なもの」(almost comically unheroic)(52)と捉えている.第一次大戦における兵士たちは,英雄のように戦場で壮絶に散ったのではなく,その多くは負傷や毒ガスの後遺症に苦しみながら,しかしベッドの上で死んだのである.1千万の戦死者のうち,800万人は,次に犠牲になるのが自分ではなく自分の戦友であってほしいと願いながら,「英雄的なことを成し遂げる前に殺されてしまった」(did nothing before they were killed)(53)という.しかしそれでもなお,彼らの死は終戦記念日の度に繰り返し行われるの祈りやスピーチ,勲章,あるいはこの章で繰り返し引用されるホメロスの「国のために死すことは甘美にして望ましいもの」という一節によって美化され,神聖化される.このようにして第一次大戦における死は,英雄的と語られてきた過去の戦争と同様に美化され,その美しき死への「感傷」によって,地獄を経験したはずのヨーロッパは同じ過ちを繰り返そうとしている.ミルンはここでこのような警鐘を鳴らしているわけである. 1940年,ミルンは『名誉ある平和』への補足として小冊子「名誉ある戦争」(War with Honour)を執筆した.その中でミルンは,自身が『名誉ある平和』を書いた目的について「読者たちに,先人の目を通した伝統的戦争観ではなく,現在の戦争を自分自身の目で見てほしかった」(I wished my readers to look at modern war with their own eyes, not at a tradition of war through the eyes of their ancestors)(6)と語っている.2 また『名誉ある平和』の10章では,勇敢な物言いで戦争について雄弁に語る者たちこそ,望めばいくらでもその機会があったはずなのに戦争で死ぬことがなかったものたちだと皮肉を込めて述べている(100).このように,自身で戦争を体験していないものたちが,「感傷」によって美化された戦争について語り,そしてそれが繰り返されることをミルンは恐れていたのである. ミルンは自身の具体的な戦争経験について多くを語った作家ではないが,7章3節では,その戦争体験の一端を覗き見ることができる.そこでは同じ連隊の部隊に参加するために,一緒にフランスへ行くことになった物静かな青年兵士について書かれている.この青年は両親から持たされた防弾チョッキを身につけるべきかどうかを悩んでいたのだが,結局それを着ていようがいまいが関係はなく,彼は連隊合流前に敵軍の爆撃によって粉みじんに吹き飛ばされてしまったという.戦場を直に経験したミルンに,このようにあっけなく戦死した大勢の戦友がいたことは想像に難くない.そしてミルンは「自分自身の目で」目撃したその戦友たちの死を,覚悟を持って「コミカルといってもいいほどに非英雄的」だったと表現しているのである.そしてその覚悟とは,彼らの死が美化され「感傷」に訴えかける道具として,次の戦争に利用されないようにするための覚悟なのである. ミルンはこれまで英文学研究史上重視されてこなかったきらいがある.そしてこの『名誉ある平和』もまた,一部のミルン研究者を除けばあまり語られることはなかった.しかし本書は平和主義者として第一次大戦という人類史上最初の歴史的事件を経験し,それが二度と繰り返されないよう願った作家が書いたものであり,それは当時を生きた人間の精神を示す重要な資料としても評価することができるのである.ここに邦訳を掲載することで,ミルンの当時の願いが現代というこの時代に広く知られるための一助となればと考えている.[解題注記]1 本稿では『名誉ある平和』の初版(Methuen, 1934)を元に引用,翻訳を行う.『名誉ある平和』の概要については拙訳『名誉ある平和〈1〉』の「訳者解題」にて詳しく述べている.2 「名誉ある戦争」は第二次大戦下に書かれたものである.この中でミルンは,ナチスの支配に置かれることは戦争よりも悪しき状態として,ナチスとの戦争を支持している.邦訳については拙訳「名誉ある戦争」参照.
著者
吉村 圭
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = BULLETIN OF KAGOSHIMA WOMEN'S COLLEGE (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
no.58, pp.113-126, 2021-02-28

[訳者解題] 本稿では,A. A. ミルン(Alan Alexander Milne) が1934年に著した平和に関する論考『名誉ある平和』(Peace with Honour)の9章から11章の翻訳を行う.1 9章では戦争支持者たちが戦争を自らの死と結び付けて考えず, 思考停止状態で「戦争の習慣への追従」(subservience to the war convention)(89)をしていることに対して,10章では第一次大戦を経験せず悠々と生き延びたものたちが,経験したことのない戦争について勇ましく雄弁に語ることに対して,11章では当時戦争の口実として用いられた「人間の本質」(Human Nature)という言説が持つ矛盾に対して,それぞれに批判が行われている. 中でも9章では,ミルンが著した掌編「アルマゲドン」("Armageddon")と同じ言い回しや描写が随所で用いられており,その点が極めて意義深いものといえる.「アルマゲドン」とは,1914年8月5日号の「パンチ」誌に掲載された物語であり,日付を見てわかるようにその号は,イギリスがドイツへ宣戦布告し,事実上の大戦への参戦を表明した8月4日の翌日に発行されている.執筆期間を思えば,まさに大戦前夜に書かれた作品なのである.その中では第一次大戦が勃発するまでの経緯が極めて風刺的に描かれている.2 物語の冒頭では,ポーキンスというキャラクターが「英国に必要なものは戦争だ[…].俺たちはたるみきっているよ[…].俺たちを目覚めさせるためには,戦争が必要なんだ」(what England wants is a war […]. We 're flabby[…]. We want a war to brace us up)(87)と述べ,戦争のない現状を嘆く場面がある.これとほぼ同じ言説が『名誉ある平和』9章に用いられている――「英国はたるんでいるよ.目覚めるためには戦争が必要だ」(England is getting slack. What she needs is a war to wake her up)(88).同箇所でこの発言は1914年の初夏にある愛国主義者が語るのを実際に聞いたものだと説明されている.つまりまさにミルンが「アルマゲドン」が書かれた頃に耳にしたものであり,その言葉は20年後に『名誉ある平和』が執筆されるまで,ミルンの心に残るほどの衝撃があったことが分かる. また同じく9章では,戦争の暗雲がたちこめるときに,ある国の「旗」(flag)が冒涜され,その「威信」(prestige)が脅威にさらされ,「編集長と新聞社長が扇動的な記事を書き始める」(Here are our editors and newspaper proprietors preparing their leading articles)のだと説明されている(87).一方「アルマゲドン」の中では,エッセンランドという架空の国の「愛する国旗」(our beloved flag)への「侮辱行為」(insult)によって,その国の「威信」(prestige)が脅かされ,論説記者が愛国心を煽る扇動的な記事を書くというストーリーが描かれている(88).単語や筋書きレベルでの類似はもちろんそうであるが,国旗が侮辱されたからという理由で扇動的に愛国心があおられ,国の「威信」を守るためという口実で戦うことが美化された上で戦争が始まるというこの作品に描かれた戦争勃発への過程は,『名誉ある平和』で言われる「戦争への習慣」そのものであるといえる.つまり大戦が勃発したまさにそのときに執筆された「アルマゲドン」には,『名誉ある平和』の土台ともいうべきミルンの戦争への考えがすでに映し出されているのである. ミルンは自伝の中で,「私は1914年より前も平和主義者だった」(I was pacifist before 1914)と述べているが(It's Too Late Now 211),「アルマゲドン」と『名誉ある平和』の類似から,この言葉に偽りはなかったことがわかる.しかし伝記的事実が示すように,そのミルンでさえも「戦争を終わらせるための戦争」(war to end war)という言葉を真に受けて,自ら戦場に身を投じざるをえなかったのである(It's Too Late Now 211).その事実から,第一次大戦という現在の我々には想像しえない歴史的事件に際しての,戦争への社会的ムードの高まりをうかがい知ることができる. ここで扱うミルンの『名誉ある平和』は,文学研究上これまで十分に議論されてきたとはいいがたいが,第一次大戦という時代に生きた人の精神の歴史を示す貴重な資料となるものであるといえる.そのためここにその一部の翻訳を掲載する.[解題注記]1 本稿での翻訳及び引用はすべて『名誉ある平和』の初版(Methuen, 1934)より行い,引用のページ番号もそれに準拠する.『名誉ある平和』の概要については拙訳『名誉ある平和〈1〉』内「訳者解題」参照.2 「アルマゲドン」に描かれた大戦勃発への風刺については拙著「第一次大戦のカリカチュアとしての『アルマゲドン』」にて詳細に議論している.
著者
渡邉 光浩 佐藤 和紀 柴田 隆史 堀田 龍也
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = Bulletin of Kagoshima Women's College (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
no.58, pp.127-132, 2021

日本語入力スキルの指導について,国内外のタイピングや日本語入力スキルの実態・指導に関わる論文の調査等の結果をレビューした.これらのレビューから示唆される日本語入力スキルの指導方略を(1)教科等の授業において練習時間を設ける(2)ホームポジションの位置と各キーの位置を覚えさせることから始め,後から速度や精度を高める(3)ローマ字での入力について①濁音・拗音②訓令式・ヘボン式にこだわらないこと③かな・英数,半角・全角の切替・変換を指導する(4)意図的に活用する機会を設けたり,主体的に活用できるようにしたりする,の4点に整理した.
著者
岩切 朋彦
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = Bulletin of Kagoshima Women's College (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
no.54, pp.37-49, 2018

「働く留学生」をめぐる諸問題について,前稿で提起した問題に答えるために,本稿では福岡市の日本語学校に通うネパール人留学生に対して行ったインタビュー調査をもとに,留学生の日常生活をエスノグラフィとして描いていく.留学生たちはアルバイト先において,学校教育では経験できない言語的かつ文化的な学びを得ており,他者との相互作用を通じて複雑な文化的アイデンティフィケーションの過程を経ていることが明らかになった.このことから,留学生の就労制限の緩和は,学習効果への影響という側面から考えてもそれほど問題はないと結論付けた.むしろ,就労を通した「状況的学習」という観点から見れば,地域コミュニティとの社会的相互作用を経ることで,来るべき移民社会へ向けた過渡段階として,多文化共生の社会的素地を作り上げているとも言えるのである.
著者
宮里 新之介
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = Bulletin of Kagoshima Women's College (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
no.52, pp.145-152, 2017

本研究では, 幼稚園教諭や保育士資格の取得を目指す短大生が, 実習においてどのような困難感を持つのかを検討した. その結果, 「子ども対応困難感」 の記述が多く, 特に子どもの 「反社会的な言動」 「活動への子どもの取り組み」 「他児とのケンカ」 「発達の遅れ」 といった問題に対応する際に困難感を持った学生が多いことが示された. また, 「子ども」 「保護者」 「職員」 「指導案・日誌・記録の書き方」 への困難感を短大生と保育士とで比較した結果, 「保護者対応困難感」 と 「職員対応困難感」 において保育士が短大生よりも有意に高かった. これは, 教育実習では保護者対応の機会が少なく, また"職員"が実習生, 或いは保育士にとってどういう存在なのかということの違いから生じると考えられた. 短大生が保育者として保育現場で働く際にこれらの困難感が高まることが想定され, それに対応するための授業実践を如何にするかについて考察した.
著者
新村 元植
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = Bulletin of Kagoshima Women's College (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
no.52, pp.83-92, 2017

台湾で小学校から実施されている公教育は日本と同様に6・3・3・4制であるが, その中でも本稿では小学校での音楽教育に注目する. まず, 小学校では表現系の教科である美術 (図画工作) や音楽, 演劇要素を含む身体表現を統合し, 2000年から 「芸術と人文」 に教科を統合した. 本稿では 「芸術と人文」 の概要を紹介し, 15年ほど経過したこの教科が現在においてどのように機能しているのか, その問題点は無いかを検証した. その結果, 訪問した前金小学校では週3校時実施している内容は統合以前と変わらず, 音楽2校時, 美術1校時であった. そして, 身体表現を含む演劇的要素は教師が不足しており毎週実施する教科授業としては実施していなかった. また, 一部の公立小学校においては各才能に秀でた児童を集めて才能教育クラスを設置して専門的な教育を実施している. この中でも音楽才能教育について紹介し, その成果について検証した. 訪問した小学校では, 教師が児童の才能を育成する充実した教育が実施されていたが, 児童の費用負担など, 日本の公教育とは相違する教育方法が選択されていた.
著者
大重 康雄
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = Bulletin of Kagoshima Women's College (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
no.50, pp.27-37, 2015

第22回 APEC (アジア太平洋経済協力) 首脳宣言で 「北京アジェンダ」 を採択し 「アジア太平洋自由貿易圏 (Free Trade Area of the Asia-Pacific:FTAAP) 実現に向けたロードマップが示された. 同時に環太平洋パートナーシップ協定 (TPP:Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement) や東アジア地域包括的経済連携 (RCEP:Regional Comprehensive Economic Partnership) などの広域型の FTA/EPA が重層的に交渉を開始しておりメガ FTA の時代を迎えている. これまで日本の農水産物輸出は極めて少なく, 大幅な輸入超過となっていた. しかし FTA/EPA 交渉が加速している現状, 農林水産業も 「産業内貿易」 としての可能性を見直しグローバル・バリュー・チェーン構築するなどメガ FTA を活用した積極的な取組が望まれる. 鹿児島県は第1次産業に特化した県であるが, 豊富な食品素材の付加価値高めないままに市場に供給している現状がある. 現在取り組まれている畜産品輸出の状況や, 水産物輸出に関した先進的事業にも触れ産業の付加価値とは何かを考察し, 今後の鹿児島県産農水産物輸出の方向性について考察する.
著者
高島 まり子
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = BULLETIN OF KAGOSHIMA WOMEN'S COLLEGE (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.85-95, 2014

英雄の死と再生を描く太陽神話縮図の下半円を C.G. ユングは 「夜の航海」 1 (night sea journey) と呼び, 自我が無意識の深みに下降し, 死を経た後に無意識から新たな心的エネルギーを供給されて意識面に再生するまでの精神的再生過程を象徴する元型と考えた. この過程は意識と無意識の統合を目指し, 様々なイニシエーションに死と再生の儀式として組込まれてもいる. 筆者は1850年刊行のナサニエル・ホーソーン作 『緋文字』 にこの元型的過程を見出したが 2, 時空を超えた2000年のデンマーク映画 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』 3 にそれを見出し, その意味と 『緋文字』 との関連性を同年に論じた 4 (以後, これを拙論<Ⅰ>と記す.). ところが, 2001年に公開されて当時の我が国の映画史上最高の2,340万人もの観客動員を記録し, 2002年ベルリン国際映画祭最高賞の 「金熊賞」 と2003年米国アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞した宮崎駿監督作品 『千と千尋の神隠し』 (以下, 『千尋』 と表記する) が, 全編これ 「夜の航海」 と言ってもよい内容であることは, 日本を舞台に日本人を描いた作品であるだけに一層嬉しい発見であった. あらすじを述べ, 『緋文字』 と比較しつつヒロインの 「夜の航海」 をり, ホーソーン的な意識と無意識の統合過程が現代の我々にとって持つ意味を再考してみたい.
著者
内田 豊海
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = Bulletin of Kagoshima Women's College (ISSN:02868970)
巻号頁・発行日
no.50, pp.19-26, 2015

本研究は, 国際教育開発において, 理念と実状の乖離を見ようと試みたものである. リテラシーは教育開発における重要な理念として, 様々な議論を通し発展してきた概念である. 一方, その指標となる識字率は, 数値化すべく, 学歴の有無で判断するというように単純化されている. そこで本研究では, 基礎教育無償化により, 就学率が飛躍的に上昇したマラウイ共和国において, 理念的概念としてのリテラシーを, 生徒がどこまで習得しているかを把握すべく, インタビュー調査を開発・実施した. その結果, 生徒は文章を読み書きすることはできるものの, その内容を理解するに至っていない場合が多く見受けられた. 生徒の身につけたリテラシー能力は, 表面的なものであり, 求められている理念的なものとは大きく乖離している現状が浮き彫りになった. より実態に見合った理念の再構築, および教育の質向上による乖離の解消を再考することが求められよう.
著者
大重 康雄 オオシゲ ヤスオ Yasuo Oshige
雑誌
鹿児島女子短期大学紀要 = BULLETIN OF KAGOSHIMA WOMEN'S COLLEGE
巻号頁・発行日
vol.49, pp.65-75, 2014-03-20

本研究は, 学生のキャリアに関する意思決定を支援する方法ついて述べたものである. 研究方法として, 就職活動を控えた一般企業を進路先とする本学教養学科学生に, 夏休み明けの段階でどのような意識で, 就職を考えているかアンケート調査を行い, その不安材料・ニーズに対しキャリア支援を行い, その効果を確認する手法である. アンケート結果では, 約6割がまだ進路が不明確であり, 大まかに進路を決めている学生も含めて全体の9割が自分の就職に不安を感じている結果が出ている. 学生の就職に対する不安材料 「希望業種・職種が不明確」 および企業選択で重視する条件 「仕事の質・量が自分にあっているか」 であり, この二つは, いずれも職業選択の自分とのマッチングということに集約できる. 「VRT カード」 を使った職業レディネス・テストを試行として希望学生に実施したが, 課題への対抗策として有効なツールの一つであることが, 今回の受検者に関して認められた.