1 0 0 0 OA 鳥獣魚写生図

著者
栗本丹洲<栗本丹州>//筆
出版者
巻号頁・発行日
vol.雷獣,
著者
荷田在満
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],

1 0 0 0 OA 千虫譜 5巻

著者
栗本丹洲
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],

1 0 0 0 OA 御六戦記

著者
古河古松軒<古川古松軒>//図
出版者
巻号頁・発行日
1807
著者
鹿持, 雅澄
出版者
巻号頁・発行日
vol.[2],
著者
橘, 成季
出版者
巻号頁・発行日
vol.[3],

1 0 0 0 OA 栗氏千虫譜

著者
栗本瑞見<栗本丹州>//〔著〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.第6冊,
出版者
巻号頁・発行日
vol.1冊, 1900
出版者
巻号頁・発行日
vol.2冊, 1900
出版者

図名は裏面裏書による。間宮林蔵の測量記録にもとづき幕府内部で作成されたものとみられる。幕府による蝦夷地の再直轄化に関連する安政ごろのものか。「間宮氏実測」という表現は「北蝦夷地分間図」と同じである。間宮の測量にもとづく高橋景保編の「蝦夷図」「日本図、蝦夷」(当館所蔵)と海岸線の形は類似するが小異もある。根室湾と国後島、色丹島辺がやや異なる。また「蝦夷図」は「はめこみ図」の形で遠望のウルップ島まで描くが、本図はエトロフ島西端部まで。間宮林蔵は伊能図への測量記録提供(文化14年ごろ)後も文政4年(1821)まで蝦夷地での測量を続けており、亀田半島、天塩川、阿寒湖周辺など道東部一帯など、伊能図の北海道に比べると内陸部に増補部分がみられる。増補は文政9年、10年ごろとされる高橋の図にも見られる。海岸線は墨、測線とみられる線は内陸部を通るもののみ朱線で表示されている。会所、番所、舟泊(規模別)、漁猟場、潮瀬など記号凡例は26種におよび、「蝦夷地」の範囲に関する付箋が3か所にある。
出版者

旧鳥羽藩主稲垣家旧蔵の城郭絵図集。全355面、同じ城の絵図が複数あるものもあり、城の数は220余。道、国順に23帙におさめる。諸藩の兵学者たちが藩用の甲州流兵学研究の資料として、江戸詰の期間などを利用し、つてを頼って写し集めた城郭図集の一例。寛文から貞享、元禄ごろに多く行われた。編纂時期における当城と古城に分けられている例が多いが、本図集は両者が混淆し、城郭のみの図、城下町を含む図などが混在、一部、古戦場図も含む。形態も一定のサイズの料紙に縮図し、冊子体にまとめたアトラス形式のものが多いが、本図叢は半紙大から一辺2メートルをこえるものまで大小の一枚ものの集成である。縄張りの描法などに軍学者の視点がうかがえ、概して精度は高い。安土城など稀少図も含む。天和3年(1683)ごろの成立とされる浅野文庫蔵諸国古城之図、同当城之図など他の図叢と同系の図も散見するが、収集の経緯や他の図叢との系統関係については未解明。なお、目録末尾(355)に地名未詳とある図は、のちの本丸が完成、二の丸と交替する以前の岸和田城、また(68)甲州館林城は上州館林城の誤り。

1 0 0 0 OA 済口証文 3巻

出版者

訴訟は金公事でも本公事であっても、内済(済口)すなわち和解によって解決することが少なくない。奉行もむしろ両者の和解を奨励する傾向が認められる。和解が成立すると奉行所に済口証文を提出し、奉行の承認を得なければならなかった。本史料はその記録である。3冊。(南和男)
著者
堀田正敦 編
出版者
巻号頁・発行日
vol.[264],

1 0 0 0 OA 北郡台場図

出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],

1 0 0 0 OA 方程両式

出版者
巻号頁・発行日
vol.第1冊,

1 0 0 0 OA 大和物語

出版者

『大和物語』は平安時代成立の歌物語。展示本はこれを奈良絵本にしたもの。布地表紙、金箔見返し、本文料紙は金泥で草花を描く美麗な写本。装訂は綴葉装(列帖装)、精緻な挿絵33図がある。第3冊、第5冊には近世風俗で描かれた人物が見える。『大和物語』は一般に173段に分けられているが、展示本は第2冊以降に錯簡が多い。