著者
中田 考 ナカタ コウ Nakata Ko
出版者
同志社大学一神教学際研究センター
雑誌
一神教学際研究 = Journal of the interdisciplinary study of monotheistic religions : JISMOR (ISSN:18801080)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.67-89, 2011-03-31

一般論文 スンナ派カリフ論は、シーア派のイマーム論の王権神授説(イマーム神任論)の否定に立脚する人選論と自己規定される。そしてこの「カリフ人選論」を出発点とすることにより、現代のイスラーム政治研究において、現代のスンナ派政治論が選挙によって支配者を選ぶ西欧民主主義の変種としてカリフ制の提示を試みる一方で、西欧側は終身制などを理由にカリフ制を一種の独裁制として批判する構図が成立している。本稿は、イスラーム政治論の焦点をカリフからシャリーア(≒イスラーム法)に移すことにより、「シャリーアに基づく政治」としてイスラーム政治論を再構築したイブン・タイミーヤ(1328年没)の思想を手掛かりに、グローバリズムの文脈において、スンナ派カリフ制を脱構築し、「地上における法の支配の実現」として再規定することを目指す。カリフ制を「地上における法の支配の実現」として理解するためには、民主制、独裁制等の現代西欧の政治学の概念装置が、政治を人の支配と捉えるギリシャ以来の西欧の伝統に由来することを自覚化する必要がある。そこで本稿では、イスラームと西洋に中国を加えて政治思想の「三角測量」を行いイスラーム政治思想の特徴を明るみに出す。
著者
コヘン タガー アダ コヘン シラ マルカ Ada Cohen Taggar
出版者
同志社大学一神教学際研究センター
雑誌
一神教学際研究 = Journal of the interdisciplinary study of monotheistic religions : JISMOR (ISSN:18801080)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.43-62, 2019-03-31

古代近東において知恵は神々から人間に与えられた知識であった。それは人間が文明を築き、神々への奉仕を続けるために与えられたものであった。本稿は、アッカド語・ウガリト語・ヒッタイト語で書かれたメソポタミア・レバント・アナトリアの文書を考察し、知恵の概念が父から息子への教訓のように特定の形式を持った文書を通じて伝えられていたことを示す。続いて、知恵の思想と言葉がどのような形で聖書のテクストに織り込まれているのかについて明らかにする。本稿では、主に二つのアッカド語文書を扱い、それらの形式をヒッタイト語文書と比較する。両言語で書かれた文書の比較考察からは、それらの聖書の知恵文学との関係が理解されると共に、とりわけヒッタイト語文書の理解が深められる。
著者
高尾 千津子 Chizuko Takao
出版者
同志社大学一神教学際研究センター
雑誌
一神教学際研究 = Journal of the interdisciplinary study of monotheistic religions : JISMOR (ISSN:18801080)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.25-39, 2015-03-31

19世紀末、中国東北部(満洲)に建設されたロシアの都市ハルビンには、ロシア革命直後には1万を超える極東最大のユダヤ人が住んでいた。1931年の満州事変と翌年の満洲国建国によって日本は中国大陸への侵略を開始し、中東鉄道沿線のロシア人社会を支配下に置いた。皮肉にもこの結果日本はロシアから「ユダヤ人問題」を引き継ぐことになった。日本にはユダヤ人社会がほとんど存在しなかったため、反ユダヤ主義は欧米やロシアの「輸入品」であり、そのユダヤ人認識も一般には観念的なものと考えられる。だが、満洲国建国後日本は現実の「ユダヤ人問題」、すなわち反革命派ロシア人による反ユダヤ主義の問題に直面していた。本論ではハルビンにおけるロシア・ファシスト党の反ユダヤ主義、それに対抗するユダヤ人社会と指導者カウフマンの存在が、戦前日本におけるユダヤ人認識の形成と発展にいかに影響を及ぼしたのかを考察した。
著者
宮澤 正典 Masanori Miyazawa
出版者
同志社大学一神教学際研究センター
雑誌
一神教学際研究 = Journal of the interdisciplinary study of monotheistic religions : JISMOR (ISSN:18801080)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.7-24, 2015-03-31

昭和戦時下のひとつの転換点は1937年の日独伊防共協定、40年の三国軍事同盟であった。各新聞はそれに先立ってヒトラー総統に対して厳しく批判してきた。しかし、1935年にまず『朝日新聞』がヒトラー讃美に転じ、他紙も競って三国同盟を「人類の福祉に貢献すべき世界史の新時代」とうたい、ドイツのユダヤ人弾圧にも共鳴化した。それを批判する自由主義者たちの一人清沢洌はナチスの運動は論理の解剖にたえない宗教運動であり、ヒトラーの一人芝居になっており、恐ろしく独断的、狭量であることを批判している。ユダヤ避難民の満州入国に尽力した樋口季一郎中将、ユダヤ避難民に外務省の意向をこえて日本通過ビザを発給した外交官杉原千畝などがいた。そのビザで敦賀に到来したユダヤ人に対する市民と新聞報道との落差についても考察した。
著者
勝又 悦子 勝又 直也 Etsuko Katsumata
出版者
同志社大学一神教学際研究センター
雑誌
一神教学際研究 = Journal of the interdisciplinary study of monotheistic religions : JISMOR (ISSN:18801080)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.25-42, 2019-03-31

本稿では、herut(自由)、支配者像、デモクラシーの語源でもあるdimosディモス(民)の用法分析を通して、ラビ文献においてデモクラシーの源流が観察されるか否かを考察する。個人としての完全な自由や支配者と大衆の完全な平等主義が当然とされている様相を見出すことはできない。むしろ、自由とは、何かしら法規によって限定されるものであり、支配者は支配者然として行動することが要望されていることが窺われる。さらに、本論を通して窺えるのは、ユダヤ文学においては、ディモスという術語から民主主義に関する議論が誘発される気配はないということである。それゆえ、19世紀のドイツユダヤ学の学者がしばしばそうしてきたようにユダヤ教と理想的な民主的なユダヤ教を同一視する傾向には十分注意する必要がある。