著者
中田 考
出版者
同志社大学
雑誌
一神教学際研究 (ISSN:18801072)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.63-77, 2006

イスラームはアダム以来の全ての預言者の宗教であり、救済が「ムハンマドのウンマ」を越えて、全ての「一神教徒」に及ぶことは、宗派、学派の違いを超えたイスラームの合意事項である。ムハンマドの宣教以降については、ムハンマドのウンマを越えた救済の可能性については、スンナ派の「正統」アシュアリー派神学が、イスラームの宣教が届いていない者の救済を認めている。同派による異教徒の救済論は、外在的な妥協の産物、折衷策ではなく、思想の内在的な理論的要請から生まれたものである。私見によれば、同派の救済論の伝統を継承し深化発展させることこそが、将来のイスラームと他宗教の共存の神学的基礎となる。また宣教が届いていない者の救済を説く学説は、イスラームとの接触の歴史的が浅く、先祖への想いが強い国における宣教においては極めて重要な実践的帰結を有する。祖先供養の禁止は宣教の大きな障害となりうるからである。
著者
モハッゲグダーマード モスタファ
出版者
同志社大学
雑誌
一神教学際研究 (ISSN:18801072)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.61-73, 2005

イスラーム文化全般、特にイスラーム法を専門とする幾人かの欧米の学者たちは、これまで第一次的資料でなく、(しっかりした根拠に欠けた)脆弱な法源に依拠してきた。彼らによって、時に特殊な考えを一般化することや、誤った結論が導き出された。さらに悪いことには、彼等の安易な一般化はメディア記者によって、時に真実のように喧伝されてきた。このようなことが、イスラーム国際法に関する最近の誤謬ある記述を多く招くことになったのである。本稿における著者の意図は、クルアーンとスンナ(慣行)というイスラーム固有の資料に基づいて、真のイスラームを提示することである。これは、特に9・11事件の一連の出来事の後で、現存する誤解を取り除くことに貢献するであろうと思われる。このため、本稿では以下のようなことを簡潔に議論していく:イスラームと平和、平等の原理、宗教上の適用および社会面での適用、イスラームにおける寛容さの原理と普遍的同胞関係、宗教的協力の先例、平和の訴え、「啓典の民」との論争、宗教的同胞関係、普遍的同胞関係。
著者
後藤 正英
出版者
同志社大学
雑誌
一神教学際研究 (ISSN:18801072)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.79-100, 2007

現在のEUの移民問題をめぐる研究においては、移民を排除しようとする人々の間で、かつてのような人種主義的・民族主義的な排外主義ではなくて、いわば「啓蒙主義的排外主義」と呼びうる現象が見られることが指摘されている。つまり、現在の移民反対論者たちは、リベラルな価値観を前提にした上で、それゆえに、リベラルな価値観を受容しない人々(男女の平等、政教分離、表現の自由を理解しようとしないイスラーム教徒たち)を排除しようとするのである。リベラリズムによる宗教批判は、かつては、近代ヨーロッパのユダヤ人たちが直面した問題であった。ヨーロッパのリベラルな知識人たちは、ユダヤ人への市民権授与には積極的であったが、そのリベラリズムのゆえに、ユダヤ教については否定的な態度をとったのである。このようなユダヤ教批判に対抗して、近代ユダヤ教の父として知られるモーゼス・メンデルスゾーンは、市民的地位における平等とユダヤ教の伝統を維持することが両立可能であることを主張しようとした。彼は、法的平等を獲得する条件としてユダヤ教の内容上の変更を求めてくるような要求には徹底して反対の立場を取った。
著者
勝又 悦子
出版者
同志社大学
雑誌
一神教学際研究 (ISSN:18801072)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.38-62, 2012

三大一神教の祖とされるアブラハムが唯一神の認識に至る道程は、ヘブライ語聖書では描かれていない。しかし、第二神殿時代文学、ラビ・ユダヤ教文献、タルグム(アラム語訳聖書)、クルアーン他には、いかにアブラハムが、唯一の神を認識し、父の代までの偶像崇拝と対決し、画策の上 、打破したかを描く共通の構成要素からなる伝承が広く存在する。本稿では、おそらく高い人気を博したと思われるこの「偶像を打破するアブラハム」伝承を、『ヨベル書』『アブラハムの黙示録』『創世記ラッバ』『タルグム・偽ヨナタン』そして、イスラームの『クルアーン』から訳出し、共通する構成要素を抽出し、強調点の相違、また父テラへの関係の相違から比較する。その結果、『ヨベル書』では唯一神の認識の重要性 、『アブラハムの黙示録』では偶像崇拝との対決が、『創世記ラッバ』『タルグム・偽ヨナタン』では様々な構成要素が万遍無く現れ、聖書解釈としての整合性の維持への関心が強いこと、また、『クルアーン』でのアブラハムは、地元住民への唯一神観念の導入を果たす役割に重点が置かれていることが窺える。