著者
林 美帆
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:24335894)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.1-19, 2017

日本近代女性史の中で大きく取り上げられる、与謝野晶子と平塚らいてうが中心となって行われた大正期の母性保護論争は、女性が母となることで国家から金銭的援助を得ることの可否を問うものであった。羽仁もと子はこの論争に直接的には関わらず、どちらかの主張を指示する言説は発表していない。しかしながら、羽仁は家計簿をはじめとした家庭論や職業論など、独自の視点を『婦人之友』誌上で展開し、多くの女性の支持を集めていた。本稿では、与謝野と平塚の母性保護論争における主張を整理し、羽仁の家庭論および職業論と対比することで、同時代の女性がおかれている状況を明らかにする。その上、二人と羽仁との共通点および差異を考察し、羽仁が示した解決策の一つが「女性の組織化」であったことを論じる。
著者
酒本 絵梨子
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.71-87, 2015 (Released:2016-08-15)

The purpose of this study is to analyze the educational meaning of experience of <Ensoku<, it's mountain climbing, at <Jiyu Gakuen< (one of the private school in Japan) by interpretation of reports of mountain climbing and journal which written by students of the school as human document. Jiyu Gakuen was founded as alternative school. at Jiyu Gakuen, the every student climbs a mountain from the beginning of the foundation. There is no specific educational aim. The aim is just experience mountain climbing. Usually, when they climb mountain as educational events, they define the educational aim, and the teacher try make student achieve that. From the analysis of the human documents, we recognize that the student realizes the discord with ideal of oneself and fact of oneself, through that. Through the experiences divorced from daily life, they reflect their daily life and themselves, and through the experiences of encounter the great nature, they feel awe. through these experiences, they determine to turn over a new leaf. these processes can be translated as initiations that pass the stage of <divorce<, <transition<, and <unification< (Gennep, 1977). and the meaning of mountain climbing as initiation is based on the thought of the founder of Jiyu Gakuen.
著者
菅原 然子
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.44-55, 2021 (Released:2021-04-21)
参考文献数
6

アーキビストとは、ある組織体の記録資料を管理し活用するための任務にあたる専門職員のことを指す。歴史ある私立学校の多くは、常に創立者の理念を継承し、その現代的な意味付けについて考察することでアイデンティティの確立を行っている。それは、教職員、在校生、保護者など、組織に属するすべてのメンバー内で共有され、検討されていく。本論は筆者の勤務先である私立自由学園をフィールドに、私立学校の組織運営に、アーキビストがどのようにかかわっていけるかを、親組織への資料活用活動を主軸に検討する。1921年、ジャーナリストである羽仁もと子・吉一夫妻によって創立された自由学園は、2021年に創立100周年を迎える。創立者を直接に知る卒業生が少なくなる中、本校教職員中卒業生は約半数となり、過去を知るための道具として学校アーカイブズズの必要性は増している。機関アーカイブズ、収集アーカイブズ1から成る、トータルアーカイブズを、どのように提供していくことが親組織のためになるのか、具体的方法も併せて検討する。なお本論は、同タイトルである2019年度アーカイブズ・カレッジ(国文学研究資料館主催)の修了論文を一部改訂したものである。
著者
生活大学研究 編集委員会
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.112-113, 2019

研究誌『生活大学研究Vol. 4 No. 1 2019』におきまして,誤植と漏れがございましたので,以下の通り訂正させていただきます.
著者
杉原 弘恭 田口 玄一郎
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.42-68, 2018

フレキシブルで多目的なフレームワークとしてのケイパビリティ・アプローチの汎用性を拡張するために,ケイパビリティの概念整理を行った.その際に,ルーツとしてのネガティブ・ケイパビリティを探るとともに,センの提唱したケイパビリティの定義式を基本とし,ヌスバウムとの比較を通じ,これまでケイパビリティを論ずる際に出されたいくつかのキーとなる概念を,(1) Positive-Negative, (2) Active-Passive, (3) Explicit-Implicit (Potential) の3軸として抽出し,その組み合わせによる静学的な8象限のケイパビリティ・キューブを提示した.さらに,システム論による定義式の解釈を行って,動学的能力と構造変化能力を兼ね備えていることを示した.続いて視座としてのケイパビリティに影響を及ぼすネガティブ・ケイパビリティ,ケア(caring)を概観し,加えて教育的なつながりを確認するために,リベラル・アーツとの関係,さらにはその延長線上に位置するマネジメントとのつながりについて述べた.
著者
奈良 忠寿
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.86-96, 2020 (Released:2020-06-13)
参考文献数
17

縄文時代中期加曽利E式期の遺跡から出土する深鉢形土器の大きさを口縁部直径を指標として集計し、通時的な傾向を把握したのちに、時期や遺跡の規模・立地で分け、比較した。その結果、黒目川流域を中心とした限られた範囲ではあるが、土器の大きさがその遺跡の規模や立地と関連性がみられる場合があり、集落研究の新たな指標の一つとなりうることを示した。
著者
木村 秀雄
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.78-96, 2018

自由学園における「親友を作ってはいけない」という指導はなぜ存在したのか、青年海外協力隊員の「派遣先の国が好きになれなかったらどうしよう」という不安にはどう答えるべきか、人類学の「仕事を始める前にまず調査地の人と仲良くなるべきだ」という調査論は正しいのか、この3 つの疑問を出発点に、他者に共感することの功罪について論ずる。「速い思考(システム1)」と「遅い思考(システム2)」、「手続的行為」と「宣言的行為」、「価値観に彩られた感情的行為」と「価値自由な慣習的行為」という人間の行為を2つに類型化する理論的枠組みをさまざまな観点から論じ、この枠組みを基礎にして「共感」について広い観点から論ずる。その結果、3つの疑問に対して、共感が人間の生活において大きな力を持っていることを認めつつも、それを強調しすぎることは視野をせばめ、教育・国際協力・人類学調査の目的に合致しないことがあると回答する。さらに最終的に、共感を利用しながらも、社会に対する広い視野を保ち、社会の公共性に対する考慮を失ってはならないと結論づける。
著者
大貫 隆
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.2-7, 2015

R・ジラールの文化人類学によれば,供犠とは「いけにえ」の上に共同体の攻撃性を集約することで,内部の平和と秩序を基礎づけ保持してゆくメカニズムである.イエスの「神の国」はユダヤ教の贖罪の供犠を終わらせるもの,従ってユダヤ教の禁忌を破るものと見做され,イエスは排除された.パウロと四つの福音書もその次第を報告するが,彼ら自身がイエスの死を供犠と見做している箇所は一つもない.ジラールによれば,まさにそこにこそ,現代が供犠的キリスト教に対する根本的な批判を試みるための最大のチャンスがある.ところが,現実のキリスト教では受難と供犠が頻繁に混同されている.S・ヴェイユと鈴木順子氏の学位論文においても両者が混在し,繰り返し同義的に用いられている.私の見方では,両者は出来事としては同一であるが,「供犠」はその出来事を自己存続を図る共同体から見た場合の概念,「受難」は供犠として奉献される者から見た場合の概念として,アスペクト上互いに明確に区別するべきである.
著者
横山 草介
出版者
学校法人 自由学園最高学部
雑誌
生活大学研究 (ISSN:21896933)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.1-8, 2016 (Released:2017-04-21)
参考文献数
7

本稿の目的は,教育実践研究の中にフォークペタゴジーという概念を導入することを提案するものである.フォークペタゴジーとは,広く教育という営みに従事する際に,それに携わる諸個人や集団が有している教育についての考え方や信念を包括する概念である.ある教育実践が個的にも,集団的にも,その担い手の保持するフォークペタゴジーに基づいて為されていると仮定する限りにおいて,当該の実践についての検討はそこに機能しているフォークペタゴジーを考慮する必要性を有する.本稿では以上に要約されるフォークペタゴジーという考え方を理解するための手だてとして,Deweyの『民主主義と教育』における「成長としての教育」という考え方,ならびに『学校と社会』に示された彼の実験室学校(laboratory school)における教育活動に係る議論を例に考察を進める.最後に我々は,特定の集団や諸個人が保持するフォークペタゴジーは彼らが日々の実践のなかで,あるいは日々の実践について語る言葉の内容や様式に反映されることを指摘する.この指摘によってフォークペタゴジーの研究は日常生活の中での人々の様々な「語り」を研究対象として行うことができることを示唆する.諸種の教育活動の背後に根付いているフォークペタゴジーの研究は,教育実践研究を教育の臨場と切り離さずに行うための一つの有効な手だてとなり得るはずである.