- 著者
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泉沙織
- 出版者
- 未来の人類研究センター
- 雑誌
- コモンズ (ISSN:24369187)
- 巻号頁・発行日
- vol.2022, no.1, pp.115-126, 2022 (Released:2022-05-11)
衣服を脱いでいく見世物であるストリップティーズは、日本では 1947 年に「額縁ショウ」と呼ばれる活人画の展覧から始まった。以降広く「ストリップ」と呼ばれ現在まで形を変えながら続いている。本稿では、これまでの先行研究で「黄金時代」と呼ばれた初期のストリップの特徴を明らかにするとともに、当時の批評実践に着目して、ストリップを享受した男性たちのまなざしのあり方を捉えた。
「額縁ショウ」が「ストリップ」と呼ばれるまでの間には、「ばあれすくショー」「りべらるショー」「デカメロンショー」などの様々な呼称があった。ストリップが「ストリップ」の呼び名を獲得してからも、度々「バーレスク」を名乗って上演され、各種メディアにおけるストリップに対する批評文の中でも、たびたび米国のバーレスクが引き合いに出されていた。
ストリップを多く報じた『内外タイムス』等の批評言説によれば、ストリップの中でも裸を見せるだけのショーは「エロショウ」「ハダカショウ」などと呼ばれ批判の対象であった。反対に、卑猥感のなく美しい肉体、巧みな構成と装置を用いたショーは好ましいストリップであるとされ、それこそが「バーレスク」であると理解されていた。つまり「バーレスク」という言葉が時にストリップへの高い評価を表していたのだが、観客が実際に好んだのは露骨な性表現であり、興行主も儲けるためには性表現を必要とした。
そこでストリップが「バーレスク」を名乗り「芸術」を志向することは、ストリップを見ることの後ろめたさや踊り子への哀れみを打ち消す働きがあったと考えられ、そうまでして女性身体を見ていたのは、占領によって排除された自らの男性性を確認する必要があったからである。さらに、踊り子の身体には米国のイメージが投影され、そうした表象を視線によって支配していくことは、敗戦を克服して男性性を再構築するための手段となっていたのである。