著者
遠藤毅
出版者
東京地学協会
雑誌
地学雑誌
巻号頁・発行日
vol.113, no.6, 2004
著者
藤井昭二
出版者
東京地学協会
雑誌
地学雑誌
巻号頁・発行日
vol.113, no.3, 2004
著者
渡辺了
出版者
東京地学協会
雑誌
地学雑誌
巻号頁・発行日
vol.114, no.6, 2005
著者
齋藤 めぐみ 山田 和芳 スタッフ リチャード 中川 毅 米延 仁志 原口 強 竹村 恵二 ラムジー クリストファー Megumi SAITO-KATO Kazuyoshi YAMADA Richard A STAFF Takeshi NAKAGAWA Hitoshi YONENOBU Tsuyoshi HARAGUCHI Keiji TAKEMURA RAMSEY Christopher BRONK
出版者
東京地学協会
雑誌
地学雑誌 = Journal of geography (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.122, no.3, pp.493-501, 2013

Sediment cores from Lake Suigetsu, Japan, reveal the absence of seawater intrusion into the lake caused by the historically documented tsunami of AD 1586 (Tensho Tsunami). A highprecision chronology of the cores established by Bayesian modeling radiocarbon determinations enables us to ascertain the precise position of the historical event in the sediment depth. Diatom analysis of the core shows that a diatom assemblage dominated by freshwater taxa persisted through the period. This makes a clear contrast with the core section around AD 1664 when the lake was artificially connected to the sea by a channel, and the subsequent intrusion of seawater was clearly recorded in the sediment cores by the occurrence of marine diatom fossils.
著者
DEMAREE Gaston R. MAILIER Pascal BEILLEVAIRE Patrick 三上 岳彦 財城 真寿美 塚原 東吾 田上 善夫 平野 淳平
出版者
東京地学協会
雑誌
地學雜誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.503-511, 2018
被引用文献数
4

<p> ルイ・テオドール・フュレ神父(1816-1900年)は,パリ外国宣教会の宣教師として極東に派遣された。日本の琉球諸島・沖縄の那覇における彼の気象観測原簿の発見は,19世紀日本の歴史気候学に新しい進展を開くものである。フュレは,1855年2月26日に沖縄の主要な港である那覇(19世紀の文献ではNafaと綴っていた)に到着した。1856年12月から1858年9月まで,彼は1日5回(午前6,10時,午後1,4,10時)の気象観測を行った。水利技師アレクサンドル・デラマーシュ(1815-1884年)は,フランス海軍兵站部によってフュレ神父に委託された気象測器の検定を行った。気象観測は,1850年代のフランスで使われていた気象観測方式に従って実施された。気圧観測データは,気圧計の読みとり値,気圧計付随温度計の読みとり値,そして温度補正した気圧の数値で記載されている。気圧データは,必要に応じて,1850年代に使われたデルクロスとハイゲンスの公式を用いて検定・補正された。この歴史的な気圧観測データを現在の那覇における気圧平年値と比較した。観測期間中の1857年5月に台風が接近通過したことが,ルイ・フュレ神父によって目撃されている。ほかにも何度か気圧の低下が観測されているが,おそらく発達した低気圧の通過によるものであろう。そうしたなかで,オランダ船ファン・ボッセが多良間諸島の近くで難破したことがあったが,船長と彼の妻や船員達は島民に救助された。その後,彼らは沖縄の那覇に移送されたが,そこで3名のフランス人宣教師と出会い,最終的に出島のオランダ交易所からバタビア(現在のジャカルタ)へと航行した。</p>