著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.169-194, 2010-11

本論では,風の祭祀にかんして,まず現在の実態を明らかにする。とくに風の祭祀の分布密度の高い,信越地方とその周辺を例として,特色のある民間行事をとりあげる。こうした風の祭祀について,とくに以下の3点から分析を加える。まず共通点の多い,信州とくに諏訪周辺の風の祭祀からの分析である。次に記紀に始まる古文献にみられる風の祭祀からの分析である。さらに風の三郎とかかわりの深い,全国に進出した諏訪信仰からの分析である。最後にこれらの分析に基づいて,風の祭祀にみられる風の観念について,検討を試みる。
著者
前島 郁雄 鈴木 啓介 田上 善夫 岡 秀一 野上 道男 三上 岳彦
出版者
東京都立大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1987

本年度は、3年間の研究計画の最終年度であり、研究成果をまとめると以下の通りである。1.全国19地点の日記の天候記録をもとに、1771-1840年の70年間について、夏季4ケ月(6〜9月)の毎日の天候分布図を完成した。次に、北海道を除く全国を5つの地域に区分し、各地域毎に降雨の有無の判定を行なった。降雨の有無を1と0とで表現し、その組み合せから、全32タイプの天候分布型を設定して毎日の天候分布型の分類を行なった。その結果を天候分布型カレンダ-としてまとめた(成果報告書参照)。2.一方、現在の天候デ-タを用いて、上記と同様の方法で1975〜84年の10年間について、天候分布型の分類を行なった。気圧配置型については、吉野ほか(1967、1975、1985)による分類法を若干修正して用いることにした。各天候分布型に対応する日の気圧配置型を集計して、両者の対応関係を検討した。その結果、一つの天候分布型に対して必ずしも一義的に気圧配置型が対応しないことが明らかになった。3.最終的に、次の手順で気圧配置型の復元を試みることにした。(1)歴史時代の毎日の天候分布図を作成し、上述の方法で32通りの天候分布型に分類する。(2)現在の観測デ-タに基き作成した各天候分布型に対応する前線と高低気圧・台風中心位置の合成図を参考に、ワ-クシ-トを作成する。ワ-クシ-トには、想定される概略的な前線と高低気圧の中心位置を書き込む。この場合、連続性や高低気圧の移動速度等を考察する。(3)完成したワ-クシ-トをもとに、毎日の気圧配置性を吉野らによる分類法にしたがって復元する。本研究では、実際に1783年(天明の飢餓年)の6〜7月の気圧配置型の復元を試みた。
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.169-194, 2010

本論では,風の祭祀にかんして,まず現在の実態を明らかにする。とくに風の祭祀の分布密度の高い,信越地方とその周辺を例として,特色のある民間行事をとりあげる。こうした風の祭祀について,とくに以下の3点から分析を加える。まず共通点の多い,信州とくに諏訪周辺の風の祭祀からの分析である。次に記紀に始まる古文献にみられる風の祭祀からの分析である。さらに風の三郎とかかわりの深い,全国に進出した諏訪信仰からの分析である。最後にこれらの分析に基づいて,風の祭祀にみられる風の観念について,検討を試みる。
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 = Memoirs of the Faculty of Human Development University of Toyama (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.199-220, 2014-10-30

The utaki and its festival in Kumejima have original characteristics. In later times, the elements which had not been in Kumejima were introduced, and they were transformed. Through the examination of the current utaki and the old documents of Kumejima, following remarks are concluded as for the origin of utaki: 1. Utaki is based on the blood relationships called Makiyo or the settlement society called Mura or Shima. New utaki was established with the movement of a settlement and from there the former place was worshiped. Utaki has the meaning of Otoshi, and is thought of as the site where man is tied to god. 2. Forest god, fire god, well god, rain god, marine god and so on are enshrined in utaki. Basically, natures are enshrined, and utaki did not relate to ancestor's soul or ancestor worship. 3. In Kumejima, each clan had a female god (priest) called Kaminchu. All Kaminchu were organized under Ryukyu dynasty, and among them, Kimihae was concerned with the ruling of the feudal lord called Aji. Utaki is thought to have been founded by an original female god, before Kimihae-Noro organization. 4. Major festivals are carried out mainly in Kimihae house and Noro houses around. However, utaki does not connect with such major festivals, but with small festivals which were founded before the control of Ryukyu dynasty. 5. Gods are enshrined in utaki, and Kaminchues circulate among them. To pray for rain, they visit utaki or sacred big stones, especially in the west end of the island, where marine god is enshrined. Utaki is placed in a settlement, worships gods of nature, is related to female gods before the religious organization, is not strongly tied with later festivals, and is made a pilgrimage to. The festival sites such as utaki has original characteristics basically. They are deeply concerned with nature, and act as an agent to mediate between man and nature.
著者
田畑 弾 田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.71-77, 2007-02

富山県の平野部各地に見られるスギなどの高木で家屋の周りを囲む屋敷林は、富山県の特徴的な景観であり、たとえば青山ほか(2000)においても、気候景観として特徴的なものとされている。また、小川(2001)の「井波風」も、岩田(1999)の 、富山市大沢野地区における不吹堂の分布も、どちらもフェーン現象に伴う高温で強い南成分を持った風を対象としており、日本海に低気圧が存在することによって吹く強風を仮定して論じているが、実際のフェーン現象は、台風がトリガーとなって発生する強風であることも多い。富山県の中でも有数の伝統行事である、富山市八尾町の「おわら風の盆」の、厄を払う対象となっている「大風」も、開催時期の関係を考慮すると、低気圧性のフェーンよりもむしろ、台風によるフェーン現象による「大風」であると考えることができる。また、この行事は、田口(1941)の 風祭の一種とも考えられる。富山県の平野部の市街地では、フェーン現象によって大火事がたびたび発生しており、たとえば、1956年の台風12号による魚津大火は、死者を多数出し、市街地が全滅した大災害である(たとえば、読売新聞社、2006)。魚津市では後に、これを教訓に防火地域を設定し、火災に強い街づくりを進めている。本稿では、1981~2000年 における台風の位置と富山県における強風の関係を解析したものである。富山県の強風については、吉野・福岡(1967)の気圧配置型を用いた気圧配置ごよみ(吉野・山川、2002)を用いてⅥ型(台風型)に分類された日の強風に関して、また他の型であっても台風を伴う風と判断した事例を用いた。
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.214, 2009

_I_ 地球温暖化とその影響20世紀末以降における気候変動のもとで、たとえば欧州でのブドウ栽培の大きな変化における主な要因として、地球温暖化があげられるようになっている。日本でも南方産の果樹や野菜の北方での栽培事例が増加するにつれ、同様の指摘が行われている。一方でこの期間における農作物生産の一般的な低迷ないしは減少は大きなものがあり、こうした変化に対する気候等の変動のもつ要因としての意味や程度、また影響の過程は明らかではない。ここでは、欧州などにみられるように気候変動とのかかわりの深いブドウなどの果樹を例にして、栽培用地の成立の要因を明らかにし、さらに変動の影響に関する検討を試みる。<BR>_II_ 近年の果樹栽培の変化 果実酒用ブドウの栽培および醸造は、明治初めの甲府盆地に始まるが、ほぼ時を同じくして上越や信州でも行われてきた。さらに周辺の富山県などでも昭和初期には始められるようになる。現在では北日本に多く、また近年増加の傾向がみられる。 とくに、長野盆地や松本盆地、さらに甲府盆地に多数の生産地が集中する。1990年ころからは、農業構造改善事業を契機に、また耕作放棄地を転用して、さらに農商工等連携事業計画などの多目的なプロジェクトの一環として、各地に比較的小規模なブドウ栽培が増加し、直接あるいは委託による醸造も始められている。 生食用を含めたブドウ栽培用地も、醸造用のものと類似の傾向がみられる。長野、上田、松本、甲府の各盆地をはじめ、余市や南陽周辺などにも広く分布する。さらにブドウを含めた果樹園も、北信越周辺では長野、上田、松本、甲府の各盆地に多いように、ブドウ栽培地と同様の分布がみられる。全国的には、有明海周辺、瀬戸内海、和歌山、東海、東北南部の地域において、丘陵や山地斜面などの傾斜地を基本とした狭い帯状の分布が示される。栽培面積は、ブドウもミカンやリンゴと同様に、近年もなお減少傾向が継続している。ただし果実酒製造所は新たな開設も多く、傾向を異にしている。<BR>_III_ 果樹園の成立要因現在の果樹園用地について、土地の地形、気候などの自然条件から成立の要因を明らかにする。国交省の国土数値情報より、土地利用および標高・傾斜度、土地分類、気候値の各メッシュデータを用いる。土地利用は昭和51、昭和62、平成3、平成9年のデータの中で、昭和51年の「畑」、「果樹園」、「その他の樹木畑」の分類項目は、平成3年以降には、「その他の農用地」に一括されたため、昭和51年のものを中心に用いる。共通して扱える基準メッシュ(3次メッシュ、約1km2)を基本とする。果樹園用地の中でもその高度の違いは大きく、平均標高の高い内陸盆地でも、甲府、長野、上田、松本盆地の順により高くなる。また果樹園用地は斜面に位置することが多いが、最大傾斜の角度はとくに甲府および長野盆地の周辺部で高いものが多い。最大傾斜の方向は特定ではなく、とくに北方向にも多く現れている。土地分類の中の地形分類では、山梨は砂礫台地、長野は扇状地性低地に集中する。また土壌は、山梨では黒ボク、黄色、褐色低地の各土壌が多いのに対し、長野では淡色黒ボク、暗赤色、灰色低地の各土壌が多い。生育期間を4月から10月とすると、その間の平均気温は甲府、長野、松本の盆地の順により低くなる。盆地でもその周辺部山麓では低くなるが、甲府で18℃、長野で17℃、松本で16℃台である。降水量は甲府、長野盆地で少なく、800mm以下であり、とくに600mm以下の地域も現れる。果樹園用地の自然条件を、クラスター分析により分類して示す。5型に分けた場合、_I_少雨、_II_平坦高温、_III_高地低温、_IV_傾斜、_V_低地多雨、の特色をもつ型がある。甲府盆地の周辺部は_IV_の傾斜、松本盆地は_III_の高地低温、長野盆地は_III_、_IV_の型が現れる。一方他の型の_II_は盆地中央部、_I_は_II_に隣接した高地側、また_V_は北陸に多く現れる。<BR>_IV_ 気候変動への対応の検討果樹園用地には、地形や気候の土地の条件が明瞭に現れるが、およそ盆地間では差異が大きく、また盆地内でも中央部と周辺山麓ないしは山地斜面部とでも差異があることが明らかになった。基本的な自然条件が異なるので、温暖化などに対してもこうした局地ごとの対応の検討が必要となる。とくに果実酒用のブドウでみた場合、栽培品種による生育期間の適温は、リースリンクやピノ・ノワールで15℃、シャルドネで16℃とされ、またメルローやカベルネ・ソービニヨン、サンジョベーゼやネッビオーロで18℃とされる。これらにより欧州各地の主力栽培品種に差異が生じるが、とくに甲府盆地では上記品種の適温の上限に近いために、気候の変動の影響が大きいことが考えられる。
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 = Memoirs of the Faculty of Human Development University of Toyama (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.205-219, 2016-03-30

The purpose of this study is to reconstruct the climate variation in Japan in the first half of the second millennium. For reconstruction, daily weather record around Kyoto from the 11th century to the 16th century are used to calculate the snowfall ratio of winter and the rainy day ratio of summer. Next, regression analysis is applied on the present weather and temperature record and based on the result, the temperature changes of winter and summer are estimated. Furthermore, the influence of a climate variation is examined. The main results are as follows: 1) Winter temperature fell gradually from 1001 to 1600. Especially in 1090s, 1160s, 1260s, 1330s, 1380s and 1460s, there were substantial falls. 2) Summer temperature was rising toward the second half of the 13th century, and began to fall toward 1600, with substantial falls in 1140s, 1450s, 1560s and a remarkable rise in 1270s. 3) In the 15th century or the 13th century, the Medieval Warm Period changed into the Little Ice Age. Winter temperature of the 12th century may be higher than that of the present, and it may be lower in the 15-16th centuries than that of the beginning of the 19th century.
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.201-220, 2006-12

In this research,the field investigation of "the Saigoku sacred place","the Bando sacred place",and the sacred places located around them was done.Moreover,the "fudasho" and the pilgrimage road were analyzed statistically.In addition,the clarification of the character of the sacred place was tried in consideration of the historical details of the sacred place establishment.The results are as follows.1)There is a layered structure of loops that surrounds Kamakura in the pilgrimage road of the Bando sacred place.Moreover,around the Bando sacred place,the local sacred place that connected with it appeared.2)In Edo most of the sacred places were established in the recent age.The buddhist temples in the city part moved frequently and some pilgrimage routes changed. Later,regional sacred places were established adjacent to early sacred places.3)The pilgrimage road shows a radial pattern in the Saigoku sacred place.Fudasho's are overcrowded around Kyoto,and many are in Kumano to the south and in the capital surroundings to the north.The sacred place is composed of these three regions.4)Among the sacred places of Kyoto,there are some one that overlapped the Saigoku sacred place and some that connected to the Shikoku sacred place.The different influences of the buddhist temple sects are seen there.5)There is a difference in Fudasho group of the Shikoku sacred place among the regions of Awa,Tosa,Iyo,and Sanuki.Such regional fudasho groups were collected,and a combined sacred place was formed.6)The pilgrimage is seen in any religion.In Japan,there is a trait in the pilgrimage of the sacred place that includes not only a specific sacred point but also many combined sacred points.7)While the forest training developed into the peak round in "the Sanmon group of Tendai sect",pilgrimage of the sacred points in various places was developed in "the Jimon group of Tendai sect" and it arrived at the establishment of “Kannon” sacred place like the Saigoku one.8)As the syncretism of religion advanced after the Middle Ages,"the Hijiri" and itinerant priests pilgrimaged around the country,and the sacred place became popular with the people.Moreover,the people went on a pilgrimage,and the sacred place was straightened.9)In recent times,a gradual and integrated style such as "the Shikoku sacred place" appeared,and it was brought to various places by the people's initiations,and many local sacred places were established.10)On the other hand,climbing of holy mountains by "Ko" became popular around the rural farm village,and it had developed in a different style from that of the pilgrimage of a sacred place.11)Sacred places have various religious characters and the pilgrimage has various purposes.Sacred places have conflicting characters in themselves.There are many kinds of syncretism and transformations in the sacred place.
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.163-180, 2013

In this study, Yondunkut, the wind festival, in Cheju Islandis investigated. Mainly investigated are wind festivals being carried out currently and the farewell festival of Chirumoridan Yondunkut, among others.Moreover, their relation with the former ones, and those of the southern Korean Peninsula are investigated.Furthermore, the meaning of the wind festival and that of the god of the wind in Yondunkut are examined. The main results are as follows; 1. Flags having god names are hung out in the Chirumoridan Yondunkut farewell festival. The most numerous are Yondunshin, the god of the wind, next Yonwanshin, the god of the sea, and then, Bonhyanshin, the god of the land. 2. This festival is performed from the morning till the evening. Many gods are invited during the morning and unified Yonwanshin and Yondunshin are deified in the afternoon, and after that, Yongamshin is sent and the festival is closed. The server of the festival is Shinban in the morning, Somi in the afternoon, and Shinban, who changed clothes, in the evening again. 3. Yondunkuts of various parts of Cheju Island are performed in February (lunar-calendar) and the contents are similar. They are performed mainly in the villages of the coastal area and the woman divers participate. 4. There are the traditions of Yongdunharumane, the grand-mother goddess of wind, in the southern Korean Peninsula. In Yondunkut held in February (lunar-calendar), a pole is stood and clean water will be offered. The pole expresses a rice plant, lets a bird play on it and prevents damage; it is to pray for good harvest. 5. The name 'Yongdun' originates in the same name 'Yondun' performed in China at the lunar New Year. Although it was a fire festival on New Year the 15th in the Korean Peninsula too, the late was changed to February the 15th at 1011, and further changed to April the 8th at 1352. 6. When the festival day was changed to February, the meaning of fire decreased as an element of the festival. Instead, as a festival for, the meaning of wind and water increased and it is thought that in Cheju Island it became the wind festival. The pole ceremony in the festival is handed down in Cheju Island, too. 7. In Cheju Island, coastal fishing and diving fishery are important occupations, and Yonwanshin, the god of the sea, is deified. The faith in wind god and that in sea god became united in the pray for good harvest.
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.173-188, 2013

The climate variation involves phenomena which occur spatially and temporally from macro to micro scale.Especially, the one on the local scale is clear around the land surface. Therefore climate variation was analyzed mainly around the land surface, widely, synoptically, and locally. The climate variation in the Japanese Islands is affected by land and sea, and varies seasonally. Thus, seasonal variation around the land and sea surface was analyzed. The main results are as follows: 1) On the wide scale, the thermal state of the Eurasian Continent and the North Pacific changes to the contrary from winter to summer, and vice versa. Furthermore, the thermal state difference between the continent and the ocean is large in winter, but is small in summer. In addition, the phase of annual variation delays on the ocean. The climate variation is basically brought about by these, and it is influenced largely by the inter-annual shift of seasonal change. 2) On the meso-scale, the difference of the thermal state between the marginal sea,Yellow Sea, Sea of Japan, and Sea of Okhotsk, and the chains of islands and the peninsulas around the seas, becomes clear in spring and fall. Especially, from spring to early summer, the sea surface temperature of the marginal seas is remarkably cooler than the land surface temperature of surrounding areas. Therefore, meso-scale anticyclones are more likely to develop. In the warm current areas of the marginal seas, the difference of temperature between land and sea becomes remarkable in severe winter. And meso-scale cyclones develop. 3) On the local scale, the thermal states of the land and sea surfaces interchange between the night and the day. The difference of temperature between land and sea surfaces is small in hot summer, but it is large in severe winter. Therefore the reverse of thermal state between the night and the day is clear in hot summer, and the sea surface has a great influence on climate variation. On the other hand, the reverse is not clear in severe winter and the influence of the sea surface on climate variation is small.本年(2012),また一昨年(2010)年は,夏季に全国各地で猛暑日の出現がとくに多かった。全国17地点の平均による夏季(6-8月)気温は,2010年は1898年以降で第 1位であった(田中昌太郎・牛田信吾・萱場亙起,2012)。熊谷や多治見のほか,全国各地で同様に高温が出現する。その地球規模から局地的な要因の解析によれば,さまざまなスケールの要因が複合して影響している。たとえば,富山平野南部の昇温には山越え気流の影響が考えられる(田上善夫,2010a)。また,富山をはじめ,広域に昇温が現れるとき,暖気が涵養され,移流となる場合がみられる(田上善夫,2010b)。さらに,異常高温は,日本海側やオホーツク海沿岸などに現れる傾向があり,かつ日中に現れることが多いが,高温の出現には地域的な類似性がある(田上善夫,2011)。さらに,日によって全国最高気温の出現地点が変わるように,特定の地点のみがとくに高温となるわけではない。このことに示されるように,広域的な出現要因が基本にあるが,こうしたスケールでの大気の内部変動,総観規模での気団の出現が深く影響している。またこうした高温は,その出現前後の期間に比べた昇温としてみれば,暑夏のみならずどの季節にも出現する。むしろ夏季以外の季節では,顕著な昇温は地域的な差異が大きく,その出現過程は複雑である。従来の研究の場合,対象範囲が陸上に偏するか,あるいは広域の大気状態を対象にしているために,高層の状態が中心に解析されることが多かった。こうした気温にみられるような季節的に異なる大気状態の変動には,陸上のみならず,海上,また上層の状態が重要であるため,それらを含めての解析が必要となる。影響する現象のスケールとして,東アジアのようなおよそ2000kmのスケール,中部地方のようなおよそ200kmのスケール,富山平野のようなおよそ20kmのスケールに分けて考えることができ,それぞれについて解析を行う。
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 = Memoirs of the Faculty of Human Development University of Toyama (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.161-173, 2015-10-30

In this study, the climate variation from the 12th century to the 16th century in the Japanese Islands is analyzed. As proxy data of the climate variation, annual rings and the records of cherry-blossom parties, Omiwatari and climate disasters are used. On the basis of these data, the climate variation is reconstructed in detail, and the relation between the climate variation and the social variation is examined. The main result is as follows: 1) The climate variations of the several decade cycle also prevailed during this period. 2) Especially, from the end of the 15th century to the beginning of the 16th century, there was a remarkable climate variation with much cooling around the winter. 3) During the cooling period, famines and riots occurred frequently and the more unstable social situation was brought about. 4) Through this period, the climate was warm till the first half of the 12th century, became low after the 13th century, and cooled down after the second half of the 15th century.
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.100, 2010

I 大規模な気温変化<br> 小春日和や寒の戻りなど季節外れの暖かさや寒さは、比較的広域に継続的に現れ、さらに局地的要因が加わって、地点により冬にも夏日となることさえある。こうした異常昇温や異常降温の発生には、大規模な暖気の北上や寒気の南下のもとでの、フェーンや冷気湖のような局地的現象の影響が考えられる。<br> この時ならぬ暖かさや寒さは、異常に大きな平年偏差として示されるが、平年値として日最高気温や日最低気温、あるいは日平均気温が用いられることが多い。これらによる場合、日単位以下の変化は明らかでなく、また極値の起時は異なるため、総観気候学的解析に適合しないことがある。ここではとくに局地的要因の影響解明のために、時別値の平年値にもとづいての解析を試みる。<br><br>II 時別の平年偏差<br> 気温資料には気象庁のアメダスを基本とし、また日本列島付近の総観気候場の解析には京大生存圏研のMSMデータを用いる。平年値としてアメダスの場合、現在は1979-2000年の平均が用いられている。ここでは対象期間を、アメダス再統計の1996年から2004年とし、この9年間の平均を求めて仮に「平年値」として用いることにする。この期間中の観測で、非正常値が1回以下のアメダス801地点を対象とする。なお2月29日は除き、対象時刻は78,840(9×365×24)である。<br><br>III 異常昇温・降温の出現<br> 地点ごとに平年偏差が、異常昇温は+10℃以上、異常降温は-10℃未満として、期間中の出現数を集計する。異常昇温の出現の多い地点は、北海道東部、三陸、北信越、山陰などに分布する(図1)。また異常降温の出現の多い地点は、北海道東部、東北から中部の内陸部、中国と九州の内陸部に分布する。この異常昇温の出現の多い地点は、日最高気温の平年偏差にもとづいてみた場合と類似するが、北海道東部でより顕著となっている。<br> 各時刻について気温平年偏差の全国平均値を求め、+5℃以上を広域異常昇温、-5℃未満を広域異常降温とする。広域異常昇温の出現の延べ時間数は、1998年、2002年、2004年にとくに多い。また広域異常降温は1996年、2001年、2002年にとくに多い。<br> 月別に集計すると、両者の出現は寒候期に多く、暖候期には少ないが、およそ春と秋に集中する(図2)。ただし両者の出現には差異があり、9月から3月には広域異常昇温の出現がより多く、4月から8月のみ、広域異常降温の出現がより多くなる。またとくに2月には広域異常降温の出現が圧倒的に多く、とくに4月には広域異常降温の出現が多くなっている。<br> なお広域異常昇温の出現がとくに多かった1998年4月や,また広域異常降温の出現のとくに多かった1996年4月などでは、全国平均の気温平年偏差の変動には、7日程度の周期がみられる。<br><br>IV 異常昇温と異常降温の発生<br> 顕著な異常昇温期間として、2004年2月19-23日の変化を示す。この間には高気圧が日本列島付近を東進した後、低気圧が日本海を通過した。昇温の中心域は、およそ西から東に移動していく。とくに中部地方内陸部では、日中の昇温が夜間も維持され、東海地方では日中に昇温が相対的に小さい一方、北陸地方では日中に昇温がとくに大きくなる(図3)。この間におよそ南風が吹走するが、南北での差は日中には大きく、夜間は小さい。<br> 顕著な異常降温の期間として、2004年4月23-27日には、降温は東日本側で大きく、とくに北海道東部から東北地方の三陸では顕著な降温がみられる。この間には低気圧が東北日本を横断した後、弱い冬型の気圧配置となった。降温の中心域はオホーツク海方面から東北南部方面に移動して行く。また平年偏差は、日中にとくに低くなっている。<br> このように時別値からみた場合、異常高温は局地的にはとくに山地風下側に日中に現れやすいが、それには日射による加熱や海風浸入の遮断が要因として大きいと考えられる。また異常降温は局地的には山地風上側に日中に表れやすいが、上層の強い寒気に加えて、下層に侵入した冷気が風上側に滞留することが、要因として大きいと考えられる。
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.55-72, 2007-11

To clarify the relation between mountain and people, the facilities of mountain worship were investigated.The main results of this study are as follows: 1. Mountains are deeply related with people in its surrounding area.Sometimes they are considered to be non-daily places. 2. Amountain that has some characteristic forest, rock or abundant water is considered as the holy mountain. It was assumed to have profits of charm for preventing flood, fire or theft, and people pray for rain and wealth. 3. Ancestors were enshrined as gods in the holy mountain. On Buddhism, hell and paradise were thought to appear in the high mountain. Moreover, after the death, the soul was supposed to go there. 4. The sacred place was founded around the holy mountain and the pilgrim age was done. In the background of establishing sacred place, there was also a strategy of statesmen. 5. Special village was sometimes formed around the holy mountain. The group to climb up the holy mountain was formed, and accommodations were offered for their convenience. 6.As for the gods related to mountains, there is a great difference in its distribution density. Moreover, the group to climb up the holy mountain and the accommodations are unique in various places. It may show regional originality of the mountain worship.山岳と人々のかかわりを明らかにするために,とくに山岳周辺における信仰施設について,調査を行った。まずいくつかの中央日本の霊山をとりあげてその実態を紹介した。また広域における,山岳に関連する信仰施設の分布を明らかにした。さらに山岳の信仰施設の開創と変容に関して検討を行なった。本論での主要な成果は,以下のとおりである。1.中央日本のいくつかの山岳周辺でみられるように,山岳は周辺の人々と深くかかわる。一方で,山岳は非日常的な場とみなされている。2.とくに霊山とよばれる山は,特徴的な森や岩,また豊富な水などの地である。そこは風水害や火難・盗難などの厄除け,また雨乞いや商売繁盛の現世利益があるとされた。3.霊山には古くは祖先が神として祀られた。高い山中には仏教的な地獄・極楽が観想された。また人々は死後に霊として行く先と考えられてきた。4.霊山とその周辺地域には霊場が開創されて巡拝が行われた。多数の札所がまとまる背景には,為政者による寺社秩序の形成もあった。5.特定の霊山には,その信仰とかかわる集落が形成されることがあった。集落の人々の活動により,霊山に登拝する講が作られ,宿坊が提供されて参拝者の便宜がはかられた。6.山岳にかかわる神々の分布は,各地で粗密の差が大きい。また山岳講や宿坊も各地で特有のものがある。それらは,山岳信仰の地域的な独自性を示している。各地の山岳は,高く聳え,また水源でもあり,人々は山岳にさまざまな思いを抱いて望んだと考えられる。もともと各地にあった民間信仰に,さまざまな神道,仏教,修験道がかかわり,一定の体裁や様式が整えられた。また山岳は霊場や登拝講の対象として,山岳周辺の広域ともかかわった。歴史時代の神仏は大きく変容し,霊山も明治期に大きな影響を受けるが,山岳がその後も巡礼や登拝の対象として存続したことは,それが自然にもとづくとともに,民間信仰であることが大きいと考えられる。
著者
深石 一夫 田上 善夫
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.102, no.2, pp.176-182, 1993-04-25 (Released:2010-11-18)
参考文献数
19

In order to reconstruct the winter climate in Japan in the 18th century, the authors tried to gather weather records of old diaries written in that period. The winter climate in Japan is influenced by the east high-west low pressure pattern and its severity is highly correlated with the frequency of the pressure pattern on a seasonally or monthly time scale. The weather distribution pattern under the west high-east low pressure type is characterized by the bad weather in Japan Sea Coast and fine one in Pacific Coast.By the use of the character of the weather distribution pattern under the winter pressure, the frequencies of the typical winter days are interpreted from the weather distribution diagram made for the research period on a daily base from 1st November of the former year to the 31 st March of the year. The stations of the diaries gathered for the study are Hirosaki, Takada, Kanazawa, Sabae, Tottori and Hagi as Japan Sea Coast, Hachinohe, Morioka, Nikko, Kofu, Ise, Kyoto, Ikeda, Tsuyama and Usuki as inland or Pacific Coast.The results obtained from the study are shown in Figure 1 as an annual number of the frequency of winter pressure days. On the same time scale, the freezing dates and the records of unusual weather in winter (cold or mild) are composed in the figure. The relationsbetween the frequency and other historical documents are investigated.The secular changes of severity in winter were well coincided with the other weather proxies. The cold winter years can be found in the decades in the 1700s-1710s, the former 1730s, the 1750s and the former 1780s. The warmer winter years were in the decades in the 1720s, the 1740s, the 1770s, and the 1790s. Unusual severe winters recorded in the periods are not always identical to the frequency of the winter pressure days, because of its temporal or local effects.
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.91-105, 2012-10-25

In this study, reconstruction of MCA (Medieval Climate Anomaly) through proxy data was tried to clarify its nature. At first, "prayers for rain" records were collected from "Rikkokushi", six national histories of the ancient Japan, and the climate variation was clarified by their appearance changes. Next, the climate variation of Japan was compared with those from MCAreconstruction studies on many areas in the world. Furthermore, MCA was examined by comparison with its simulation by global circulation model. The main results are as follows: 1) There remain many records on prayers for rain from the end of the first millennium to the beginning of the second millennium, which may show that it was time of warm and dry climate condition. 2) During MCA, there might have been a period of cool and moist condition around 900, specifically from 880 to 910. 3) A prevailing circulation like La Nina on the Pacific Ocean played an important role in MCA. 4) Around the Atlantic Ocean, the North Atlantic Oscillation was usually at its positive mode, and played an important role for the climate there.
著者
田上 善夫
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.89-103, 2009

In this paper, the influence of the climate change in recent years on viniculture was examined. At first, the change of the grape garden areas in recent years in the northern part of Europe was clarified. Next, the change of viniculture in that region was compared with the change of the temperature in recent years. In addition, the influences of the factors other than the climate on viniculture were examined. The results are as follows.1)Commercial viniculture started inthe 1990's invarious places. Around the Atlantic Ocean, viniculture became possible even in Ireland, northern part of England, and souther npart of Netherland. In the Continent, viniculture restarted in the Baltic coast of Germany and the Baltic States. In Northern Europe, the first commercial grape garden was opened in Denmark and Sweden. 2)The mean temperature of September that relates with grape harvest has risen greatly in the major wine producing region in Europe since the 1990's. The mean temperature from April to October that relates to the quality of wine rose after the 1990's. By these changes, the viniculture condition became better in the north, but it became worse in the south. 3)Another factor that enabled commercial production of wine in the north, is technical development. Grape breed was improved and an excellent hybridization kind for the cool temperature appeared and was introduced into new grape gardens.Also the harvest method, such as late time harvest, was improved in the north. 4)In addition, the change of the social factor acted advantageously for the north, too. In the globalization, traditional wine production regions in EU received damages by the inflow ofwine from the new producing regions. Moreover, the name management system for wine producing region, like AOC of France, has been established and the producing region itself comes to possess great significance. In addition, by the change of lifestyle, the consumption of ordinary wine has decreased, while the needs for rare wine have increased.ワインは農産物の中でも,貿易上きわめて重要なものの一つである。2003年には,ワインは世界の農産物輸出額の3.3%を占め,小麦の3.1%をも上まわって最多となっている。ワイン輸出は1980年代後半より急速に拡大し,ワイン生産に占める国際貿易割合は,2001年には26%に増加した(岩佐和幸,2006)。ワインの生産地も,近年大きく変化している。伝統的なワイン産地のイタリア,フランス,スペインのみならず,新興のオーストラリア,チリ,米国,南アフリカなどで,生産とともに輸出も増大している。本論では,まず欧州北部を中心とした現在のワイン生産の実態を明らかにする。欧州北部でも,とくに新興のバルト海周辺などの北辺地域をとりあげる。次に,ワイン生産と気候変動との関わりについて分析する。さらに気候以外の要因とのかかわりについても検討を試みる。
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100151, 2011

1.&nbsp; はじめに<br> 近年強風の出現とそれに伴う風害の増加がみられる。そこでは地域的に大被害を生ずる一方,被害の少ない地域もみられる。風は地域差が大きく,局地的強風にみられるように山地や谷などの地形の影響が大きい。さらに台風のように規模の大きな擾乱でも,風向と地形の影響で,強風出現に地域差が大きくなると考えられる。ここでは日本列島における近年の顕著な強風について,その出現の傾向や地域性の解明を試みた。<br>2.&nbsp;強風の出現傾向<br>&nbsp; 顕著強風日の出現は,34年間にも出現に大きな経年変動がみられる。1979年,1991年,2004年にピークとなり,その前後にも多い。さらに日別に全国の顕著強風日出現地点総数を集計すると,出現地点数がきわめて多い,すなわち広域に強風が現れる日があることが示された。その上位事例での強風地点分布からは,強風は近隣同士とは限らず遠隔地点同士にも類似の出現傾向のあることが示された。この地点間での強風出現の類似性を明らかにするため,まず日本列島の全アメダス地点間で,顕著強風日の出現について一致係数を求めた。それにもとづき,中央日本付近の地点について,クラスター分析を適用して分類を行った。その結果大きく2タイプに分かれ,A型は太平洋側に多く、B型は日本海側に多い。ただし,周辺域とは異なる型に属する地点があり,たとえばA2型は日本海側の富山湾や若狭湾周辺,岡山県奈義,滋賀県南小松などに現れる。<br>3.&nbsp; 強風出現の要因<br>&nbsp; この顕著強風日出現の遠隔地同士での関係について,事例日から分析を行った。2011年5月29日には,台風2号が南岸沿いに東進し,中部地方から西ではとくに強風となった。この日には岡山県奈義,兵庫県神戸,滋賀県南小松などでは著しい強風となった。これらの地点はいずれも背後に山地を控え,当日の風向に対して山地の風下に位置しており,広戸風,六甲おろし,比良おろし(比良八荒)などの局地的強風群が各地に発生したと考えられる。一方,富山県魚津などでは,周辺地点が強風となる時間帯には風速が極めて弱くなった。周辺地点の風向からは北アルプスの風陰に入ったことが考えられる。このように吹走範囲の限定された局地的強風や局地的弱風が,広域内の各地に同日に出現することは,大規模場での大気の状態のもとで,地域的な要因が強風発生に大きくかかわることを示すと考えられる。