著者
財城 真寿美 三上 岳彦
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.122, no.6, pp.1010-1019, 2013-12-25 (Released:2014-01-16)
参考文献数
25
被引用文献数
4 6

Climate variations in Tokyo based on reconstructed summer temperatures since the 18th century and instrumental meteorological data from the 19th century to the present are discussed. During the Little Ice Age, especially in the 18th century, remarkably cool episodes occurred in the 1730s, 1780s and 1830s. These cool conditions could be a significant reason for severe famines that occurred during the Edo period. Around the 1840s and 1850s near the end of the Edo period, it was comparatively warm which could correspond to the end of the Little Ice Age in Japan. Although there was a low-temperature period in the 1900s, a long-term warming trend could be seen especially in winter temperatures and daily minimum temperatures throughout the 20th century. While annual precipitation has been increasing during the last 30 years, relative humidity has been decreasing. This could result from a saturated vapor pressure rise due to warming and from a loss of water bodies due to urbanization. During the last century, not only warmer conditions but also wetter conditions in summer and autumn and drier conditions in winter and spring were documented by analyzing hythergraphs.
著者
Michael J. GROSSMAN 財城 真寿美 三上 岳彦 Cary MOCK
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.457-470, 2018-08-25 (Released:2018-10-05)
参考文献数
34
被引用文献数
2

歴史文書は,気象官署による測器を用いた公式気象観測が開始される以前の台風復元において,貴重な情報源となる。本稿では,1877年の日本(北海道,本州,四国,九州)に影響をおよぼした台風について,詳細な情報を含む5つの資料(1:日本で出版された英字新聞,2:歴史天候データベース,3:日本の灯台気象観測記録,4:イギリスおよびアメリカ合衆国の船舶の航海日誌,5:中央気象台の気象観測表)の検証を行った。そしてこれらすべての資料から,1877年において日本に上陸もしくは接近した4つの台風事例(6月11日,7月26-27日,8月25-27日,10月11日)が明らかとなり,歴史文書は,日本における暴風雨の位置,移動経路,風速,気圧,被害などに関する詳細な情報を含んでいることが裏づけられた。歴史文書に記録された台風に関する情報は,台風の襲来頻度や強度,挙動に関する理解を,気象観測や台風観測の詳細な数値データが十分に得られない過去の時代にまで,さかのぼる可能性を有しているといえる。
著者
久保田 尚之 塚原 東吾 平野 淳平 松本 淳 財城 真寿美 三上 岳彦 ALLAN Rob WILKINSON Clive WILKINSON Sally DE JONG Alice
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.412-422, 2023-11-21 (Released:2023-11-25)
参考文献数
23
被引用文献数
1

日本で気象台が開設される以前の江戸時代末期に,外国船が日本近海に気象測器を搭載して往来していたことに着目し,気象観測記録が掲載された航海日誌を収集し,気象データを復元した.18世紀末には探検航海する外国船が日本近海に現れ,19世紀に入ると米国海軍の軍艦等が日本に開国を求めるために日本近海を航行するようになった.これらの航海日誌に記録された日本近海の気象データの概要を示し,江戸時代末期に外国船が日本近海で遭遇した台風事例について,経路等の解析を行った.1853年7月21~25日にペリー艦隊6隻が観測した東シナ海を通過した台風の解析事例,1856年9月23~24日に蘭国海軍メデューサ号が観測した安政江戸台風の解析事例,1863年8月15~16日の薩英戦争中に英国海軍11隻が観測した東シナ海における台風の解析事例について報告する.
著者
平野 淳平 三上 岳彦 財城 真寿美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.91, no.4, pp.311-327, 2018 (Released:2022-09-28)
参考文献数
26
被引用文献数
1

広島の古日記天候記録に記された降水日数を基に夏季の気温変動を復元する目的で研究を行った.まず,1901–1950年の気象データを用いて6,7,8月の気温(月平均気温,月平均日最高気温,月平均日最低気温)と降水日数の相関係数の空間分布を調べた.その結果,西日本で7月と8月に月平均日最高気温と降水日数に強い負相関が認められ,降水日数から推定する気温要素として月平均日最高気温が最も適していることが判明した.次に,西日本の広島における古日記天候記録の降水日数を基に1779年以降の7月と8月の月平均日最高気温を復元した.その結果,東日本で飢饉が発生した1780年代,1830–1840年代は,広島の月平均日最高気温が低下していたことが推定された.一方,1820年代と1850年代は,19世紀の中で相対的に月平均日最高気温が高い年代であったことが推定された.
著者
財城 真寿美
出版者
社団法人日本気象学会
雑誌
天気 (ISSN:05460921)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.173-175, 2011-02-28
著者
三上 岳彦 平野 淳平 財城 真寿美
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.18, 2013 (Released:2013-09-04)

江戸幕末期の1850-1860年代は,小氷期の終了期に相当するが,日本では公式の気象観測記録が無いために気温変動の詳細は不明であった。一方,演者らの研究グループでは日記天候記録に基づく18世紀以降の気候復元や19世紀前中期の古気象観測記録の発掘とデータベース化を行っている。そうした一連の研究によって,江戸幕末期に相当する1850-1860年代の夏季気温が一時的にかなり高温化していたことが明らかになった。本研究の目的は、日本の小氷期末に出現した夏季の一時的高温化の実態を明らかにし、気象観測データの得られるヨーロッパや北アメリカにおける同年代の気温変動と比較しながら、高温化が半球的な大気循環場の変動とどのように関連していたのかを考察することである。
著者
平野 淳平 大羽 辰矢 森島 済 財城 真寿美 三上 岳彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.5, pp.451-464, 2013-09-01 (Released:2017-12-08)
参考文献数
32
被引用文献数
3 5

本研究では,東北地方南部に位置する山形県川西町において1830年から1980年までの151年間,古日記に記されていた天候記録にもとづいて7月の月平均日最高気温を推定し,その長期変動にみられる特徴について考察した.推定結果からは,1830年代と1860年代,および1900年代に寒冷な期間がみられ,これらの寒冷な時期が東北地方における飢饉発生時期と対応していることが明らかになった.また,20世紀後半には,1980年代から1990年代前半にかけての時期は寒冷であり,この時期の寒冷の程度は,1830年代や1900年代に匹敵する可能性があることが明らかになった.一方,温暖な時期は1850年代,1870年代~1880年代,および1920年代にみられた.1850年代前半には現在の猛暑年に匹敵する温暖な年が出現していたことが推定された.
著者
戸祭 由美夫 平井 松午 平川 一臣 木村 圭司 増井 正哉 土平 博 澤柿 教伸 小野寺 淳 財城 真寿美 澤柿 教伸 宮崎 良美
出版者
奈良女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

幕末の蝦夷地には、ロシア帝国をはじめとする列強の進出に備えるため、幕府の箱館奉行所をはじめ、東北諸藩による陣屋・囲郭が軍事施設として沿岸各地に建設された。本研究は、そのような軍事施設を研究対象として、歴史地理学・地図学・地形学・気候学・建築学の研究者が共同研究チームを組んで、古地図・空中写真・数値地図・気象観測資料といった多様な資料や現地調査によって、とりわけ蝦夷地南西部に主たる焦点を当てて、それら軍事施設と周辺部の景観を3次元画像の形で復原した。
著者
財城 真寿美 三上 岳彦
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地學雜誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.122, no.6, pp.1010-1019, 2013
被引用文献数
6

 Climate variations in Tokyo based on reconstructed summer temperatures since the 18th century and instrumental meteorological data from the 19th century to the present are discussed. During the Little Ice Age, especially in the 18th century, remarkably cool episodes occurred in the 1730s, 1780s and 1830s. These cool conditions could be a significant reason for severe famines that occurred during the Edo period. Around the 1840s and 1850s near the end of the Edo period, it was comparatively warm which could correspond to the end of the Little Ice Age in Japan. Although there was a low-temperature period in the 1900s, a long-term warming trend could be seen especially in winter temperatures and daily minimum temperatures throughout the 20th century. While annual precipitation has been increasing during the last 30 years, relative humidity has been decreasing. This could result from a saturated vapor pressure rise due to warming and from a loss of water bodies due to urbanization. During the last century, not only warmer conditions but also wetter conditions in summer and autumn and drier conditions in winter and spring were documented by analyzing hythergraphs.
著者
財城 真寿美 三上 岳彦 平野 淳平 Michael GROSSMAN 久保田 尚之 塚原 東吾
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.447-455, 2018-08-25 (Released:2018-10-05)
参考文献数
14
被引用文献数
4

Past meteorological records are important for improving our understanding of past, present, and future climates. Imaging and digitization of historical paper-based instrumental meteorological records must be carried out before these records are lost to decay. This kind of activity called “data rescue” is now taking place at many institutions around the world. A data rescue project is underway to preserve Japanese instrumental meteorological records from the 19th century. These data were collected by foreign residents and visitors, Japanese scientists influenced by Dutch science, and by Japanese merchants. Recently, meteorological measurements taken at Mito from 1852 to 1868, and at Yokohama in 1872 and 1873 have been found. Based on instrumental records collected through this data rescue project, a warmer climate in the 1840s and 1850s around the South-eastern Kanto Region has been identified. Large year-to-year variations of winter temperatures have also been detected.
著者
DEMAREE Gaston R. MAILIER Pascal BEILLEVAIRE Patrick 三上 岳彦 財城 真寿美 塚原 東吾 田上 善夫 平野 淳平
出版者
東京地学協会
雑誌
地學雜誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.503-511, 2018
被引用文献数
4

<p> ルイ・テオドール・フュレ神父(1816-1900年)は,パリ外国宣教会の宣教師として極東に派遣された。日本の琉球諸島・沖縄の那覇における彼の気象観測原簿の発見は,19世紀日本の歴史気候学に新しい進展を開くものである。フュレは,1855年2月26日に沖縄の主要な港である那覇(19世紀の文献ではNafaと綴っていた)に到着した。1856年12月から1858年9月まで,彼は1日5回(午前6,10時,午後1,4,10時)の気象観測を行った。水利技師アレクサンドル・デラマーシュ(1815-1884年)は,フランス海軍兵站部によってフュレ神父に委託された気象測器の検定を行った。気象観測は,1850年代のフランスで使われていた気象観測方式に従って実施された。気圧観測データは,気圧計の読みとり値,気圧計付随温度計の読みとり値,そして温度補正した気圧の数値で記載されている。気圧データは,必要に応じて,1850年代に使われたデルクロスとハイゲンスの公式を用いて検定・補正された。この歴史的な気圧観測データを現在の那覇における気圧平年値と比較した。観測期間中の1857年5月に台風が接近通過したことが,ルイ・フュレ神父によって目撃されている。ほかにも何度か気圧の低下が観測されているが,おそらく発達した低気圧の通過によるものであろう。そうしたなかで,オランダ船ファン・ボッセが多良間諸島の近くで難破したことがあったが,船長と彼の妻や船員達は島民に救助された。その後,彼らは沖縄の那覇に移送されたが,そこで3名のフランス人宣教師と出会い,最終的に出島のオランダ交易所からバタビア(現在のジャカルタ)へと航行した。</p>
著者
GROSSMAN Michael J. 財城 真寿美 三上 岳彦 MOCK Cary
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地學雜誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.457-470, 2018
被引用文献数
2

<p> 歴史文書は,気象官署による測器を用いた公式気象観測が開始される以前の台風復元において,貴重な情報源となる。本稿では,1877年の日本(北海道,本州,四国,九州)に影響をおよぼした台風について,詳細な情報を含む5つの資料(1:日本で出版された英字新聞,2:歴史天候データベース,3:日本の灯台気象観測記録,4:イギリスおよびアメリカ合衆国の船舶の航海日誌,5:中央気象台の気象観測表)の検証を行った。そしてこれらすべての資料から,1877年において日本に上陸もしくは接近した4つの台風事例(6月11日,7月26-27日,8月25-27日,10月11日)が明らかとなり,歴史文書は,日本における暴風雨の位置,移動経路,風速,気圧,被害などに関する詳細な情報を含んでいることが裏づけられた。歴史文書に記録された台風に関する情報は,台風の襲来頻度や強度,挙動に関する理解を,気象観測や台風観測の詳細な数値データが十分に得られない過去の時代にまで,さかのぼる可能性を有しているといえる。</p>
著者
久保田 尚之 松本 淳 三上 岳彦 財城 真寿美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1.はじめに</b><br>台風の長期変動を明らかにするには、台風経路や強度に関するデータが欠かせない。西部北太平洋地域では現在、気象庁、アメリカ海軍統合センター(JTWC)、香港気象局、上海台風研究所が台風の位置や強度に関する情報を1945年以降提供している。<br><br>過去の気象データを復元する「データレスキュー」の取り組みで、それぞれの気象局が1945年以前についても台風の位置や被害に関する記録を残していた(Kubota 2012)。過去の台風に関する情報を復元することで、100年スケールの台風の長期変動の解明に向けた研究を報告する。<br><br><b>2. 台風経路データの整備</b><br><br>現在台風は最大風速から定義されている。台風の正確な位置や強度を特定するには、航空機の直接観測や気象衛星からの推定が必要である。このため現在と同精度で利用可能な台風データは1945年以降に限られている。一方でデータレスキューにより、各気象局から台風情報を入手し、これまで台風の位置情報をデジタル化してきた(Kubota 2012)。香港気象局と徐家匯(上海)気象局の資料は1884年まで遡ることができる(Gao and Zeng 1957, Chin 1958)。ただし、当時は台風の定義がなく、船舶や地上の気象台のデータから台風の位置を推定しており、精度の面で現在の台風データと同等に扱うのが難しいという点があった。<br> 台風の最大風速と中心気圧には関係がある(Atkinson and Holiday 1977)ことを用いて、台風の中心気圧を用いて台風を再定義する品質検証を行った(Kubota and Chan 2009)。気圧データは陸上に観測点が多く入手が容易なため、日本に上陸した台風に着目し、解析を進めた。北海道、本州、四国、九州に上陸した台風を対象とする。現在の台風の定義である最大風速35ktは中心気圧1000hPaに対応しており、陸上で1000hPa以下を観測した場合を台風上陸と定義し、全期間統一した定義を適応して台風データを復元した(熊澤他 2016)。気圧値だけでなく、上陸時両側の観測点の風向変化が逆になる力学的特徴も考慮した。<br>日本の気象台は1872年に函館ではじまり、全国に展開し、1907年には100地点を超えた。ただ、19世紀は地点数が少なく、地域的な均質性に問題があった。一方で、日本には1869年以降灯台が建設され、気象観測も行われるようになった(財城他 2018)。1880年には全国で35か所の灯台で気象観測が行われ、1877-1886年の灯台の気象データが収集できており、台風データの復元に利用した。<br><br><b>3. 結果</b><br>図に日本に上陸した1881-2018年の年間台風数を示す。年間平均3個上陸し、1950年は10個、2004年は9個上陸した。1970年代から2000年代は上陸数が少なく、上陸数なしの年も見られた。それに対して、1880年代から1960年代は上陸数が多い傾向が見られ、19世紀においても毎年2個以上の台風が上陸した。19世紀の台風データの復元には1883年から気象庁の前身の天気図が、1884年から台風経路データが利用できたが、それ以前は利用できる気象資料が少ない。最近、江戸時代末期からの外国船が気象測器を搭載しながら日本近海を往来した資料が見つかっている。より長期の台風データの復元には、外国船の航海日誌に記録された気象データの活用が期待される。
著者
赤坂 郁美 財城 真寿美 久保田 尚之 松本 淳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1. </b><b>はじめに</b><br> <br>マニラでは、1865年からスペインのイエズス会士により気象観測が開始され(Udias, 2003)、戦時中を除き現在まで150年近くの気象観測データを得ることができる。20世紀前半以前の気象観測データを時間的・空間的に充分に得ることができない西部北太平洋モンスーン地域において、降水量とモンスーンの関係とその長期変化を明らかにする上で、貴重な観測データであるといえる。そのため、著者らはこれまで19世紀後半~20世紀前半の気象観測資料を収集し、データレスキューを進めてきた(赤坂,2014)。また、データの品質チェックも兼ねて、19世紀後半~20世紀前半の降水量の季節進行とその年々変動に関する解析を行っている(赤坂ほか,2017など)。そこで、本調査では風向の季節変化に関する調査を追加し、マニラにおける19世紀後半の降水量と風向の季節変化及びそれらの年々変動を明らかにすることを目的とした。<br><br> <br><br><b>2. </b><b>使用データ及び解析方法</b><br><br> 19世紀後半のマニラ観測所では、多くの気象要素の観測を時間単位で行っていた。そのため、降水量は日単位であるものの、風向・風速や気圧に関しては時間単位のデータを得ることが出来る。本調査では、日本の気象庁図書室やイギリス気象庁等で収集した気象観測資料(Observatorio Meteorologico de Manila)から、1890年1月~1900年12月の日降水量と風向・風速の1時間値を電子化して使用した。1870年代のデータも入手済みであるが、1870年代は風向・風速が3時間値のため、本稿では風の1時間値が得られる1890年代を対象とした。欠損期間は1891年10月、1893年6月である。<br><br> まず、降水と風向の季節変化を示すために、風向の半旬最多風向、半旬降水量を算出した。また、赤坂ほか(2017)と同様に雨季入りと雨季明けを定義し、半旬最多風向の季節変化との関係を考察した。<br><br> <br><br><b>3. </b><b>結果と考察</b><br><br> 1890~1900年の平均半旬降水量と半旬最多風向を図1に示す。大まかにみると、乾季における最多風向は北よりもしくは東よりの風で、雨季には南西風が持続している。乾季である1~4月(1~23半旬頃)の最多風向をみると、1月は北風であるが、2~4月には貿易風に対応する東~南東の風がみられる。この時期の降水量は特に少ない。5月中旬頃(27半旬)になると、降水量が年平均半旬降水量を超え、雨季に入る。最多風向は5月初旬(26半旬)に南西に変わり、5月下旬(29半旬頃)以降、南西風が持続するようになる。これは南西モンスーンの発達に対応すると考えられる。降水量は、6月中旬(34半旬)に一気に増加し、9月中旬(53半旬)にかけて最も多くなる。この期間の最多風向は南西のままほぼ変化しない。降水量は9月下旬(54半旬)に急激に減少し、その後、変動しながら年末にかけて徐々に減少していく。最多風向は9月下旬にはまだ南西であるが、10月初旬(56半旬)になると急激に北よりに変化し、1月まで北よりの風が持続する。この時期が北東モンスーン期に対応すると考えられる。<br><br> 最多風向の季節変化はかなり明瞭であるが、雨季と乾季の交替時期との間には2~3半旬の遅れがみられる。この時期に関しては最多風向だけでなく、風向の日変化も含めてどのように風向が変化していくのかを把握する必要がある。<br><br> 本稿では1890年代の半旬最多風向と降水量の季節変化について気候学的特徴のみを示したが、発表では19世紀後半の風向と降水量の季節変化における年々変動についても議論する。
著者
木村 圭司 財城 真寿美 戸祭 由美夫
出版者
北海道地理学会
雑誌
地理学論集 (ISSN:18822118)
巻号頁・発行日
vol.89, no.1, pp.13-19, 2014-03-12 (Released:2014-09-30)
参考文献数
5

現在の気象データを用いて,幕末期に北海道島内で東北6 藩が経営していた16 か所の蝦夷地陣屋周辺の冬季の気候の特徴を明ら かにした。冬季の気温については,道南部と東北地方北部との間に大きな違いはみられなかった。これに対して道東部の気温は,東北地方南部と比較して,平均気温でも最低気温でも5~10℃低い傾向が見られた。このことから,東北地方北部に本城をもつ津軽藩と南部盛岡藩が経営した道南の陣屋では,本城とほぼ変わらない気温のもとで越冬できた一方で,東北地方南部に本城をもつ会津藩や仙台藩が経営した道東の陣屋では,本城よりも低温下での厳しい越冬を強いられていたといえる。陣屋がおかれた場での冬型気圧配置時の北西季節風の風向風速に着目すると,日本海側の陣屋と道東の陣屋では冬型気圧配置による北西季節風(暴風雪)が直撃していた可能性が高い。建物周辺が尾根の風背側に位置する秋田藩の宗谷陣屋と南部盛岡藩の室蘭陣屋,北西季節風吹走時でも弱風になる地域に位置する仙台藩の白老陣屋はこうした暴風雪へ配慮した立地の陣屋であろう。
著者
三上 岳彦 財城 真寿美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

日本の公式気象観測は、1872年の函館気象観測所、1875年の東京気象台、1876年の札幌気象観測所で開始された。しかし、その数は1881年においても12カ所で、1877年から観測を開始した全国灯台の33カ所に比べてかなり少なかった。 著者らの研究グループでは、1877年~1886年の全国灯台気象観測データをデジタル化し、主要な台風接近・上陸時の天気図復元を計画している。今回は、1882年8月上旬に四国に上陸し、暴雨風・洪水災害をもたらした事例について、海面気圧データから天気図を復元し、台風経路の復元を試みた。
著者
財城 真寿美 小林 茂 山本 晴彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1.はじめに発表者らは,19世紀の日本列島各地から東アジアの隣接地域における気象観測記録を収集し,それらをデジタル化・補正均質化して科学的に解析可能な状態に整備するデータレスキューに取り組んできた.その過程で,日本を含めた各国の公使館や領事館において,外交業務や領事業務のかたわらで気象観測業務が行われていたことが明らかになってきた.東アジアでは,おもに台風の襲来予測のため,1876年以降電報による気象観測データの交換が行われるようになり(China Coast Meteorological Register、香港・上海・厦門・長崎のデータを交換),以後それが活発化する.公使館や領事館における気象観測は,このようなデータ交換のネットワークに組み込まれたものではなかったと考えられるが,在外公館という組織に支えられて,観測が持続された場合もあった.本発表では,この例として在京城日本公使館(領事館)における約15年間(1886-1900年)にわたる気象観測記録を紹介し,今後の類似記録の探索と研究の開始点としたい.2.在京城日本公使館(領事館)の気象観測記録在京城日本公使館(領事館)で行われた気象観測の記録は,「氣候経驗録」というタイトルを持つ独特の様式の用紙に記入されたもので,毎日3回(6時,12時,18時)計測された華氏気温にくわえ,やはり3度の天候記録をともなう(図1).現在,その記録は外務省外交史料館に収蔵されており,アジア歴史資料センターがウェブ上で公開している資料によって閲覧することができる. アジア歴史資料センターの資料にある外務省と海軍との交渉記録によれば,「氣候経驗録」は京城(漢城)に日本公使館が設置されて間もない1881年には作成されていたようである.これには,当時榎本武揚らと東京地学協会に設立にあたっていた初代公使花房義質(1842-1917)の近代地理情報に対する考え方が関与していると考えられる.しかし,壬午事変(1882),甲申政変(1884)と相次ぐ動乱で公使館が焼かれ,以後の公使館・領事館の立地が確定するのは1885年になってからである.そのため,今日までまとまって残されている「気候経験録」の観測値は1886年から始まっており,同年の送り状には「當地気候経驗録之儀久シク中絶シ廻送不仕候處當月ヨリ再興之積ニ有之・・・」と長期間の中断について触れている. こうした「氣候経驗録」の報告は1900年4月まで続き,以後は中央気象台の要請により,最高最低気温や雨量の観測値もくわえ「京城気象観測月報」が報告されるようになった.ただし,このデータは直接中央気象台に送られるようになったためか,外交史料館には現存しないようである.3.課題と展望前近代の朝鮮半島では,朝鮮王朝による雨量観測のほか,カトリック宣教師による気温観測が行われた(『朝鮮事情』)。また1888年頃には,朝鮮政府が釜山・仁川・元山に測候所を設置し、気象観測を開始した(アジ歴資料,B12082124200).さらにほぼ同じ頃,日本は釜山電信局に依頼して観測を行わせ,電報によるデータ収集を行うようになり,また京城のロシア公使館でも気象観測が行われたという(Miyagawa 2008).ただし,韓国気象局が提供するデジタルデータには,これらの観測結果は収録されていない.「氣候経驗録」にある観測値を,現代の気象データと連結・比較するには,様々な解決すべき問題点がある.しかしながら,首都京城における19世紀末期の約15年間にわたる気象データとして活用をはかることは,当時の気候を詳細に復元するだけでなく,日韓のこの種のデータの交流という点でも意義あるものとなろう.今後は,観測値のデジタル化にくわえ、観測地点の同定を行って補正・均質化を行うことにより、現代の気象データと連結したり,比較したりすることにより,長期的な気温の変動の特徴を明らかにしていく.