著者
森 良和
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.117-134, 2016

ウィリアム・アダムズ(三浦按針)の日本人妻の人物像については従来ほとんど踏み込んだ研究はなされていない。史料がごく限られるからである。しかし,これまでは特に吟味されることなく,夫人の出自と名前が「馬込勘解由の娘おゆき」とされることが多かった。本稿では主に当時来日していた西洋人の記録を検証しながら,これらについて改めて考察し,自身の見解を示していく。
著者
朝日 公哉
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.1-17, 2015

戦後,新たな学校教育法に基づいて編集された教科書に「かえるの合唱」が掲載され,日本国内に広まった。この新しい教育方針による音楽の教科書において編集委員に抜擢された岡本敏明は特別な思いで「かえるの合唱」を紹介した。本稿では,「かえるの合唱」誕生の背景をひもとくことにより,岡本が教材として輪唱を扱うことに期待した教育的効果を明らかにするものである。岡本は牧師の家庭に生まれ,讃美歌に慣れ親しんで育った。また,全人教育を提唱した玉川学園創設者小原國芳との出会いや,ふんだんに歌を生活の中に取り込み,生き生きとした音楽教育を展開していた玉川学園での実践を通して,その教育観を固めていった。合唱教育の基盤となるのはハーモニー感(相対音感)の陶冶であり,多くの輪唱教材に習慣的に親しむべきであると岡本は主張した。
著者
森 良和
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.103-119, 2012

ディルク・ヘリッツゾーン・ポンプは「初めて日本に来たオランダ人」であり,豊臣秀吉の天下統一以前の1580年代に長崎に来航した。エンクハイゼンに生まれ,リスボンで青少年期を送ったディルクは,インドのゴアに20年滞在し砲手として生計を立てた。その間に二度中国と日本を訪問した。1590年に故郷に帰還したディルクは,オランダ人に日本や中国の素晴らしさを盛んに伝えたため「ディルク・シナ」の渾名がついた。東インド情勢に明るいディルクは,1598年,東洋遠征船隊の一員としてウィリアム・アダムズらとともにオランダを出帆し,自らは南米でスペイン人の捕虜となったものの,アダムズらリーフデ号の日本来航を促した。その後解放されて再度故郷に戻ったディルクは,2年後には東インド会社の船団で最後の航海に出た。一般にはあまり知られてないディルクであるが,日欧交渉史に少なからず影響を及ぼしている。本稿では従来断片的にしか述べられなかったその生涯と人物像,および歴史的に果たした役割について考察した。
著者
森 良和
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.81-98, 2013

メルヒオール・ファン・サントフォールトは,1600年に豊後に到着したオランダ船リーフデ号の船員の一人である。彼はウィリアム・アダムズのように旗本扱いとはならなかったが,平戸のオランダ・イギリス両商館とも取引し,自由市民として独自に商売を営んだ。リーフデ号の船員のなかで最も長生きした彼は,およそ40年間を日本で過ごしたが,幕府の鎖国政策によってバタヴィアに追放され,その地で死去した。リーフデ号の船員はだれ一人母国に帰還せず,ほとんどは自らの意思で日本にとどまった。本稿では従来扱われることのなかったサントフォールトの生涯を明らかにし,当時世界に雄飛したオランダ人船員の生き方の一例を考察する。
著者
寺本 潔 田本 由美子
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.115-132, 2015

244年前,沖縄県八重山地域を襲った大災害,明和大津波を研究した故・牧野清の独自の研究方法や研究成果の今日的意義に関して,地元に残されている資料をもとに考察した。その結果,当時としては広い視野から科学的見地に立ち丹念な地域調査に基づく推論を展開し,実証的に大津波被害の解明に挑んだことが改めて浮き彫りとなった。その意義は,中央の科学者との積極的な交流,測量も加味した綿密な実地踏査と地図化,丁寧な古文書解読,さらに古老からの聞き取り,私費を投じた慰霊碑の建設等,多岐にわたっている。研究者としてだけでなく人格者としても優れた足跡を残した「八重山学の偉人」として位置付けることができる。
著者
松山 巌
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.188-176, 2013

漢文の訓読において用いられる返り点は、長年の慣習と伝統の中から生まれてきた実用性に富むものであるが、現代的な観点でみると必ずしも構造化されておらず、合理性に欠ける面がある。この点を補うため、返り点記号の一種として丸括弧を導入することを提唱する。丸括弧内の文字列は、丸括弧外の文字列との関係においては一文字として扱う。丸括弧の導入により、一二点・上下点などの各種の返り点は不要となり、レ点のみで用が足りる。また、従来の返り点があくまでも文字を訓読する順序を示すに過ぎなかったのに対して、括弧を用いることで構文が捉えやすくなることを示す。
著者
大豆生田 啓友
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.33-44, 2012

本論文は,倉橋惣三の家庭教育論について,彼の代表的な著作である『育ての心』を手掛かりに考察したものである。特に,彼の家庭教育論が何を主張し,それが現代の家庭教育あるいは子育て支援において示唆するものは何かを明らかにしようとしたものである。結論として,特に以下の4点を導き出した。①子どもの心もち理解が家庭教育の基盤であること。②子育てにおいて親と子の成長を相互関連的に捉えたこと。③子育ての成果よりも子育てを味わうことを支援することが重要であると捉えたこと。④親の養育責任とともに子育てのみに専念するのではない親の姿の意義をあげていること。
著者
森 良和
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.61-80, 2015

1577年,ロンドンで発刊された世界地誌書『東西インド誌』は,イギリスで最初に日本について説明した項目「日本島」を含んでいる。編者のリチャード・ウィルズは大航海時代の諸成果を受けて,ヨーロッパ以外の世界の情勢に関心を持っていた。一時聖職者を目指していたウィルズであるが,多様な新世界情勢を紹介したリチャード・イーデンの仕事を受け継ぎ,アジア地域をも含めた世界地誌書を完成させた。それが『東西インド誌』であるが,内容の多くはイベリア半島からの情報によっている。特に日本についてはザビエルやフロイスをはじめとするイエズス会宣教師からのものであることが「日本島」の文章から読み取れる。本稿は当時の日本がどのようにイギリスに紹介されたのかを具体的に示すとともに,「日本島」の典拠を明らかにするものである。