- 著者
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森 良和
- 出版者
- 玉川大学教育学部
- 雑誌
- 論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
- 巻号頁・発行日
- pp.103-119, 2012
ディルク・ヘリッツゾーン・ポンプは「初めて日本に来たオランダ人」であり,豊臣秀吉の天下統一以前の1580年代に長崎に来航した。エンクハイゼンに生まれ,リスボンで青少年期を送ったディルクは,インドのゴアに20年滞在し砲手として生計を立てた。その間に二度中国と日本を訪問した。1590年に故郷に帰還したディルクは,オランダ人に日本や中国の素晴らしさを盛んに伝えたため「ディルク・シナ」の渾名がついた。東インド情勢に明るいディルクは,1598年,東洋遠征船隊の一員としてウィリアム・アダムズらとともにオランダを出帆し,自らは南米でスペイン人の捕虜となったものの,アダムズらリーフデ号の日本来航を促した。その後解放されて再度故郷に戻ったディルクは,2年後には東インド会社の船団で最後の航海に出た。一般にはあまり知られてないディルクであるが,日欧交渉史に少なからず影響を及ぼしている。本稿では従来断片的にしか述べられなかったその生涯と人物像,および歴史的に果たした役割について考察した。