著者
内本 亮吾 鶴田 順子 村川 敏介 坂部 武史
出版者
THE JAPAN SOCIETY FOR CLINICAL ANESTHESIA
雑誌
日本臨床麻酔学会誌 (ISSN:02854945)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.42-48, 1998

麻酔導入時にイソフルラン/酸素の低流量麻酔を行ない,それに適する酸素流量を検討した.流量は0.5, 1, 2, 4, 6l/分(各12例)とした.FIO<sub>2</sub>0.9となるまでの時間は,0.5,1l/分ではそれぞれ44±12分と20±6分で,他の流量の場合より有意に長かった.FIO<sub>2</sub>0.96となるまでの酸素使用量は2l/分が最少(平均43l)で,1l/分以下では生体の酸素消費量が,4l/分以上では余剰酸素量が総酸素使用量増加の原因と考えられた.2l/分以上では,用手換気5分後の呼気イソフルラン濃度(気化器設定5%)は,1.76%(1MACintubation)以上となった.血行動態は4l/分以上で挿管前からの心拍数増加,1l/分以下で挿管後の血圧上昇を認め,2l/分で比較的安定していた.以上より,できるだけ少ない流量で麻酔導入する場合の酸素流量は,2l/分が適当と考えられた.
著者
田畑 正久
出版者
THE JAPAN SOCIETY FOR CLINICAL ANESTHESIA
雑誌
日本臨床麻酔学会誌 = The Journal of Japan Society for Clinical Anesthesia (ISSN:02854945)
巻号頁・発行日
vol.29, no.3, pp.325-334, 2009-05-15

医療と仏教は「生・老・病・死」の四苦を共通の課題とする. 医療は元気でいきいきした「生」を目指している. そのために「老病死」の現実を受容する視点に欠けていた. 治療の概念からいうと老い, 病み, そして死ぬことは敗北, 不幸の完成である. 四苦に対応するために, 最終ゴールは不幸の完成でよいのか.「老」とは「老成」「長老」の言葉が示すように本来, 成熟することへの敬称である. 成熟は仏教の智慧と深い関係があり, 仏教で成熟した人格者は「人間に生まれてよかった. 生きてきてよかった. 死んでいくこともお任せです」と鷹揚に生きていかれる. 医師の「師」が意味するものは人生全体を見渡して, 生きていることの喜びと老病死を受容し, 四苦を超える道への素養をもつ人格者であることが期待されていることと考える.
著者
佐藤 雅美 白神 豪太郎 廣田 喜一 福田 和彦
出版者
THE JAPAN SOCIETY FOR CLINICAL ANESTHESIA
雑誌
日本臨床麻酔学会誌 (ISSN:02854945)
巻号頁・発行日
vol.30, no.4, pp.603-610, 2010
被引用文献数
1

京大病院デイ・サージャリー診療部(DSU)は本邦国立大学附属病院としては初めての日帰り手術専用施設として設立され,2000年1月より診療を開始した.DSUでは2009年12月までに総計10,148件の麻酔科管理手術が行われたが,患者個々の周術期情報を収集・解析し,麻酔・周術期ケアの改善を図ってきた.例えば,婦人科子宮鏡手術ではmonitored anesthesia care(MAC)の導入により術後回復時間が短縮し,日常生活回復度の患者自己評価が向上した.安全かつ患者満足度の高い日帰り麻酔・周術期ケアを提供し,さらに向上させていくためには,患者からの周術期情報を取得しフィードバックしていく不断の努力が緊要であり,そのためには麻酔科医のみならず看護師,外科医との協働が必須である.
著者
山田 卓生
出版者
THE JAPAN SOCIETY FOR CLINICAL ANESTHESIA
雑誌
日本臨床麻酔学会誌 = The Journal of Japan Society for Clinical Anesthesia (ISSN:02854945)
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, pp.303-308, 2006-05-15
被引用文献数
5 2

宗教上の理由で輸血を拒否する患者に対し, いかに対処するべきかは, この30年の間医療関係者を悩ませてきた. とりわけ外科手術における輸血の必要性は言うまでもないが, 他方でインフォームドコンセントの考え方によれば, 明白な意思に反する輸血をするわけにはいかない. 当初は輸血拒否に当惑したが, 徐々に患者の意思を尊重するようになってきた. 意思を無視して輸血をすれば, たとえ快方に向かっても損害賠償の義務があるとする最高裁判決も出た. 子供についてどうするか, とくに, 親が自己の信仰に基づき子供への輸血を拒否することを認めるべきかが争われている.