34 0 0 0 OA 擦文文化

著者
藤本 強
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.122-136, 1981-04-25 (Released:2010-11-18)
参考文献数
30
被引用文献数
1 1

The Satsumon culture was in existence in Hokkaido from 9th to 13th century A.D. as a Pre-Ainu culture of Hokkaido. The Satsumon culture succeeded the Post-Jomon culture. The Satsumon culture was formed on the basic cultural elements of the Post-Jomon culture. Some cultural elements from Japanese culture of that time were added to them. The basic cultural elements of the Post-Jomon culture had their roots in late or the latest Jomon culture in northern Japan. So, the Satsumon culture can be regarded as one of the direct descendants of the late or the latest Jomon culture in the northern Japan.About two thousands years ago, rice cultivation began in Japan. At first, rice cultivation was practised in southwestern Japan and it gradually expanded to the east. Finally, it reached the southern Tohoku district, but it could not penetrate into northern Tohoku and Hokkaido. In the northern Tohoku and Hokkaido, people lived on fishing, gathering and hunting as was the case in the previous Jomon period. After the introduction of rice cultivation, the livelihood of people in Japan was separated into two different ways. In most parts of Japan, in southern Japan, people depended on rice cultivation and in the northern extremity of Japan, people lived on fishing, gathering and hunting.

言及状況

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擦文文化北海道の先アイヌ文化― 藤本 強 https://t.co/LFcG1adqwl 続縄文文化期には円形竪穴式住居だったものが、土師器文化の影響を受け、擦文文化期になると方形の竪穴式に変化する 初期はかまどを設置していたが、のちに囲炉裏中心に変化していく
擦文文化 北海道の先アイヌ文化―藤本 強 https://t.co/ZEUvcWnzSO 「アイヌ文化はその物質文化の多くの要素を擦文文化から受けついでいる。しかし,ま た多くの要素を他の文化から受け入れている。特に道東地域では,オホーツク文化から入つてきたと考えられる要素が数多くある。」 https://t.co/4G2hbtT9hw
@studyng_Ainu2 @nagaoka_sun @dMUAYFRBv6GsJZx @janusroad @K94_5010 @kurohuku27 藤本強の主張は「北辺の遺跡 1979年」の後の論文(1981年)でわかります https://t.co/qaCYIfbn9t
@studyng_Ainu2 @nagaoka_sun @dMUAYFRBv6GsJZx @janusroad @K94_5010 @kurohuku27 イケノブの切り取り細工を引用しても無駄 藤本強 の一部の話では何も示せない 藤本強 は 「擦文文化は二つの側面をもっている。一つは北日本の縄文時代後晩期の文化の子孫であり、一つはアイヌ文化の祖先である」 https://t.co/qaCYIfbn9t
「こんな研究経過説明で、アイヌ文化はその物質文化の多くの要素を擦文文化から受け継いでいる。 となる理由を説明して下さい」  ↑ 引用された画像の冒頭に、書かれているのにね。   「アイヌ文化はその物質文化の多くの要素を擦文文化 から受けついでいる…」   https://t.co/gnNxnQ7dyh https://t.co/gv63mIC3oe
擦文文化 北海道の先アイヌ文化―藤本 強 https://t.co/LFcG1adqwl 「アイヌ文化はその物質文化の多くの要素を擦文文化から受けついでいる。しかし,ま た多くの要素を他の文化から受け入れている。特に道東地域では,オホーツク文化から入つてきたと考えられる要素が数多くある。」 https://t.co/8wmBpoKQST
@kisaragiyayoi3e @Asodaisuki3072 @tomakomanai @bernie_jrt @onoderamasaru 「擦文文化北海道の先アイヌ文化」―藤本強 https://t.co/LFcG19Vhid 「「オホーツク文化」と擦文文化の接触、同化・融合説-展示図録「模式図」の成り立ちと、その実態」-柳澤 清一 https://t.co/yl7Z6CQf4a
藤 本 強「擦文文化 とオホー ツク文化の終ったあとの状況はよく判ってはいない。具体的な事実をもとにしてアイヌ文化への移行の過程を総合的に掴むことはまだ困難 である。」online: https://t.co/olmzp0oiDc
「続繩文文化 の基本的 な文化要素は 北 日本 の繩文時代後 ・晩期 の文化 か ら受 けついでいるもののようである。従 って,あ る意味 では擦文文化 は北 日本 の繩文 時代後 ・晩期文化 の直接の子孫 とい うことができよ う。」https://t.co/GVDfC2pQKj 須恵器は本州製。 https://t.co/V6JAmKYCro
https://t.co/twA6kEOf1f 藤 本 強氏による
@F34fC9F4NEMW5e2 似たような考えの方が1981年、地学雑誌で投稿されていました! 藤本強「擦文文化ー北海道の先アイヌ文化」 https://t.co/erTaaSYyw2 擦文文化は9~13cに北海道北東北が定説ですよね。
北見 ◎トコロチャシ南尾根遺跡 ①https://t.co/So03n58Yk1  ②https://t.co/erTaaSGXEu ☑台地縁とその南斜面に擦文文化とみられる竪穴住居跡 ☑南斜面の下には湧水,そのとりまきに5住居が調査され,更に未発掘の1住居を加え,2住居ずつ3時期の居住が確認 されている ☑殆どが未発掘 で全容不明
「擦文文化の存続年代に関しては,・・・平安・鎌倉時代に平行するものとしているが,なお異論もある。それは少なくとも道東においては江戸時代初頭まで続いていたとする考え方である。これは擦文文化の後に続く歴史的諸事実 をどのように考えるかによって生じた差異である。」 https://t.co/erTaaSYyw2
「渡島半島に大規模な遺跡が全く確認されていないことを考えあわせると,生業が道東地域とは若干異なっていた可能性がある。道西部の場合には原初的な農耕 により比重がかかっていたのかも しれない。」藤本強「擦文文化」 online: https://t.co/wPh2Hb10mY
「擦文文化の遺跡は下流部に集中する。 中流部にはまだ少数の遺跡がみられるが,上流部には全くといってよいほど遺跡はみられない。特に大規模な遣跡はそのほとんどが川口部集中する」藤本強 online: https://t.co/wPh2Hb10mY
藤本強「擦文文化ー北海道の先アイヌ文化」1981 年 90 巻 2 号 p. 122-136 発行日: 1981/04/25 最終閲覧日:2019/10/2 https://t.co/wPh2HaJpvq
「擦文文化は擦文文化の前に北海道にあった続繩文文化の基本的な文化要素の上に当時の本州の文化要素を加えて成りたった文化である。」藤本強「擦文文化ー北海道の先アイヌ文化」1981 年 90 巻 2 号 p. 122-136 発行日: 1981/04/25 最終閲覧日:2019/10/2 https://t.co/wPh2HaJpvq

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