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徳川家康の源氏改姓問題
専論もあるのね #どうする家康 https://t.co/YxdYHww7vd
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姓氏家系大辞典
安野氏の項だけど本文に「阿野氏」ってあるし、これが阿野家文書の阿野氏に繋がるのかなぁ https://t.co/BDzGr2Kl4S
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室町前期における足利将軍家出身僧の身分と役割
あったわ https://t.co/hOYUSmO41Z
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妙心寺への紫衣出世勅許をめぐって--〔トウ〕林宗棟を中心に
かなり前に流れてきた鄧林宗棟の正体について、こっちの論考でも鄧林宗棟=細川勝之説とってる(厳密にはこっちの方が花園大の論考より先)し、勝之説がFAで良いんだろうか https://t.co/aeOHgJP5Lh
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今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 信長と信勝の関係がなぜ破綻していったかをまとめた論文がPDF公開されてるのを見つけました。面白かったので投下します。要求される前提知識は麒麟見てれば補えます。 #麒麟がくる 村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝…
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アテルイの「首塚」と牧野阪古墳
RT @nekonoizumi: 以前から馬部氏が「隠蔽」を行っている等、ツイッターで執拗に攻撃していた某アカウントに対する反論論文だった。自らの論文の前提や姿勢について述べつつ、攻撃の論拠を丁寧に潰していっている。 ⇒馬部隆弘 「アテルイの「首塚」と牧野阪古墳」 『志學臺考古…
お気に入り一覧(最新100件)
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相馬氏の受給文書と「相馬西殿」 ―戦国期・家督相続に関する基礎作業 ―
岡田清一氏の「相馬氏の受給文書と『相馬西殿』」(PDF公開https://t.co/KdyvWwray3)読んでみた。 伊達家と相馬家の例から「伊達西殿」や「相馬西殿」がそれぞれ家督相続前の伊達政宗、相馬義胤を指すことから、「西」の呼称には「家督相続予定者」の意味があるのではないか?というお話。
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国訳禅宗叢書
奈良元吉は、鄧林宗棟の元で出家して「宗繁」と名乗った半僧半俗の武士でしたが、大永5年夏には大休宗休の元で剃髪し「栄仲」の道号を授かったようです。 https://t.co/JfwymCkdnu
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歴史手帖 細川政元の生母桂昌了久
なお論文としてはズバリ、家永遵嗣先生の『細川政元の生母桂昌了久』がありました。多分、Web検索から推測できる程度の内容はこちらでも網羅されているとは思いますが…Webでは読めません。 https://t.co/M13uQpE0v3
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戦国期摂津国における近衛家領
あと、湯川敏治先生の論文はCiNiiでいくつか読めますが、細川氏一族と近衛家の交流について触れられているものとして、鶴崎裕雄先生と共著のこちらの論文があります。第二節「細川氏支配下の摂津」にて。 https://t.co/mPj5cK5FSD
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寛正四年三月廿七日賦何船連歌と管領細川勝元
鶴崎裕雄『寛正四年三月廿七日賦何船連歌と管領細川勝元』自分は和歌の鑑賞力ゼロですが、鶴崎先生の「細川千句」関連論文は京兆家を学ぶ上で参考になることが多いです。 https://t.co/rzufSozUeY
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<論説> 十五~十六世紀前半における室町幕府祈祷体制 : 醍醐寺三宝院の動向を中心に
真言宗ですが、将軍家と醍醐寺三宝院の関係でも、こちらの論文に興味深い話がありました。明応の政で義材実弟の門主周台が京都から脱出するに及び、「門主不在となった三宝院には九条家出身で細川政元の猶子の入室が決定されたが実現せず」とのこと。これ後の澄之ですよね。 https://t.co/stFcnM0Yhh
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五山派禅宗寺院における喝食の編成と動向
こちらの論文には、延徳4年正月、室町殿に近侍する「御前給仕」の補任に際して、蔭凉軒主から披露された書立を見た将軍義材が、天龍寺御前給仕の喝食が細川被官の一族で占められることに不信感を抱いたとあります。義材は近江に在陣中、政元は畠山基家と接近していた時期。 https://t.co/zLKRe2XKMl
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禅林における艶詞文芸をめぐって:―研究の現状と現存作品集(群)
これは、相国寺をはじめとする禅院に一族や内衆から喝食を多く輩出していたことと併せて考察したいところです。こちらの論文では、梅雲承意が師僧として「相国寺の意を体し、横川などの助言を得ながら、政元の意に叶うべく、艶詞を製して喝食を厚遇した」と推測されています。 https://t.co/31slbVaoEg
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<論説> 十五~十六世紀前半における室町幕府祈祷体制 : 醍醐寺三宝院の動向を中心に
でも、この論文に出会えたので無駄じゃなかった。石田出『十五~十六世紀前半における室町幕府祈祷体制―醍醐寺三宝院の動向を中心に―』は、周台の三宝院門主への就任の経緯や明応の政変での影響について詳しく書かれています。註では『五八代記』が伝える周台の経歴も紹介。 https://t.co/stFcnM0Yhh
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中世の女性と軍役 -合戦の場、軍役と女性の地位-
面白い論文見つけた
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禅林における艶詞文芸をめぐって:―研究の現状と現存作品集(群)
なお、こちらの論文では葦洲等縁はじめ、細川政元と相国寺の関係について述べられているのですが、游初軒には葦洲等縁の弟子・東叔等元が在籍しており、この人は何と「細川政元息」とのこと。政元を史上初の魔法使いを目指した童貞と妄想していた自分としては衝撃ですが…。 https://t.co/31slbVaoEg
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武家故実の地方展開に関する一考察(1) : 小笠原家の豊後下向とその景気
小笠原刑部少輔家と大友氏の関係については、こちらの論文に詳しいです。小笠原元宗は永正4年4月にも、大友氏が催した犬追物で検見を務めていたようで。なお、小笠原刑部少輔家は、義澄期の文亀2年3月に嫡流・備前守家の小笠原尚清が急死した後、代わって台頭した庶流家です。 https://t.co/bMhrxu4wKE
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南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(中) : 康暦の政変以降の政治過程と細川氏・山名氏・土岐氏
PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(中) : 康暦の政変以降の政治過程と細川氏・山名氏・土岐氏」 『文化學年報』67 (2018) https://t.co/4ua8UZU9rd
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南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(下) : 足利義満と斯波義将
PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(下) : 足利義満と斯波義将」 『文化學年報』68 (2019) https://t.co/3iTmDdnmYE
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南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(上) : 康暦の政変以前の「斯波派」・「細川派」をめぐって
PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(上) : 康暦の政変以前の「斯波派」・「細川派」をめぐって」 『文化學年報』66 (2017) https://t.co/RDy3h8zocA
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室町幕府外様衆の基礎的研究
細川駿河守家の系譜については、こちらの木下聡先生の論文で少し解説されています。尹賢の後、駿河守家は弟が継いだとのこと。この弟が、義稙期や義晴期の御供衆に見える「細川駿河守」、大永から享禄頃の「細川駿河入道宗寅」に当たるようです。 https://t.co/u0aCtGcZlK
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