林 直人 (@everydayjukucho)

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RT @TCN_Kyoto_TPU: @H_KzSFC いや、私有地の所有権を所有者が無条件に決定できる、という点には、実は大いに議論の余地があるそうなのです。私も専門家ではないのですが...。 https://t.co/cZeqXB2rR4
https://t.co/OJrQQlAlCb この論文なかなかおもしろかったんだけど、京大の藤井先生がSFC公共政策界隈に喧嘩売ってる論文だなあと思ったので、誰かやる気がある人は反論してほしい(他力本願寺
平賀先生、「動学的一般均衡モデルによる政府債務の持続可能性の分析」https://t.co/nLa9PBlFmi という面白そうな論文を書かれている。ちょっと読んでみるか。

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@everydayjukucho そこら辺初めて知りました であれば安心ですかねえ… 先人が同じ道を通っておおこけしたことをすっかり忘れているのが気がかりですが… (昔に同じことやってお金が足りなくなって失敗してます) https://t.co/dvRkOumLbz
明治14年5月2日、藤沢次謙が死去。幕末の幕臣で、慶応4年に勝海舟が陸軍総裁に就任した際、副総裁に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜(6)」(『北大法学論集』32-3)は、「幕政改革推進もしくは賛同の有司層」から明治政府に出仕した旧幕臣として紹介。 https://t.co/3aq5CZjJmA
今からちょうど155年前、慶應1年4月25日、「浪士坂本龍馬「直柔・元高知藩士」大坂を発し、鹿児島に向ふ。五月朔日鹿児島に著す」。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)で詳述。https://t.co/nAmxbsCper
土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西友輔らの関連史料も紹介。 https://t.co/xCZeOthyRO
続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)では、亀山社中について、「実態としては小松帯刀配下の土佐藩脱藩浪士を中心とする一団を指す。https://t.co/A65OnLMHFg
『日本研究所紀要』第12号はKUIS学術情報リポジトリで公開しました。拙稿「慶応二年前半の政局と薩摩藩―「小松・木戸覚書」以降の動向を中心に」もダウンロードが可能です。https://t.co/jW0JUjCOHp
オンライン服薬指導に関しての慶應義塾大学・協和ケミカルさんとの共同研究が公開されました。学会はコロナの影響で中止になりましたが学術発表はwebで実施。慶應とはOTC周りでも共同研究を進めてるので引き続き貢献頑張る。 https://t.co/aS99zuZM33 https://t.co/jbHRKpPOu9 https://t.co/aOxHuBBgIW

13 0 0 0 OA 古事類苑

古事類苑 古代(国初)から慶応3年(1867)までの様々な文献から引用した例証を分野別に編纂した、明治政府主導で編纂された類書であり、日本唯一の官撰の百科全書でもある。 https://t.co/t9n2ELL1OD #国会図書館デジタルコレクション #こういうときこそ本を読もう

12 0 0 0 OA 国書解題

国書解題 佐村八郎 著 (吉川半七[ほか], 1904) 古代から慶応3年までの和書約25000部の解題書。 収録範囲は宗教、法政、史学、地理、遊技、科学などの分野に及び、解題中にかなり詳しい著者の伝記を含む。 https://t.co/Jl9A8qnNZ0 #国会図書館デジタルコレクション #こういうときこそ本を読もう
明治20年3月7日、黒田長溥が死去。薩摩藩主・島津重豪の子で、幕末の筑前福岡藩主。蘭癖と呼ばれた大名の1人。慶応元年に加藤司書や月形洗蔵らを弾圧した「乙丑の獄」について、西尾陽太郎「黒田長溥と筑前勤王派」(『史淵』98、1967年)をネット上で読むことができる。 https://t.co/fYc8wN3o4w
森谷秀亮「王政復古の大号令について」(『駒澤大学文学部研究紀要』26、1968年)は、慶応3年の王政復古について武家政治のみならず、摂政・関白の廃絶を宣言した意義を強調。森谷氏は、日本史籍協会叢書『伊達宗城在京日記』(東京大学出版会)の解題などを担当した研究者。 https://t.co/FVerejI5rk
中西印刷は、慶応元年に京都で創業された印刷会社である。 京都には、女系家族の伝統がある。一族の長男が優秀とは限らないので、優秀な番頭から後継者を抜擢したり、婿養子が企業を活発化させるといったケースが多い。 中西印刷会社の事例 https://t.co/IqZC3aDzss
明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去(暗殺)。慶応期に木戸孝允と共に長州藩政府の中核を担い、慶応3年には京都で討幕の密勅を受け取った。明治政府で参議などを務めた。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研究』63-4)は、暗殺事件の捜査を分析。 https://t.co/XCToPjhpGU
板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者が中堅官僚として結び付きを強めたと指摘。 https://t.co/dXsq9H1KlB
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。https://t.co/qtxOT4vv0S
今からちょうど154年前、慶応2年2月3日、「萩藩士木戸貫治「孝允・後準一郎」、鹿児島藩士黒田了介「清隆」を伴ひ、山口に帰る」。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要9号、2017年)を参照下さい。https://t.co/A65OnLMHFg

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