こまいぬ@御朱印研究家 (@kokon_komainu)

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『千束町より』村﨑静子(大正2年)に次のような会話があります。 「もうじき十二時過ぎることよ」 「西洋流にその時におめでたうをいふことにしやうか」 「だつて夜が明けなければ変だわねえ」 「やつぱり、理屈通りにはいかないもんだ」 https://t.co/DYCkl9JeD6
面白い資料として、昭和12年に日本放送協会がまとめた『神宮及官国幣社一覧』というのがあります。神社や地元役場に確認し、審議の上、神社名の放送上の発音を定めたもので、フリガナではなく当時の発音がわかる貴重な資料ですが、ここでも「ヤヒコ」となっています。 https://t.co/nQuPOBCV48
明治の頃の西国三十三所の案内を見れば、徳道上人が閻魔大王からいただいた宝印は御朱印とは別のものだということがよくわかります。 https://t.co/abc86ht4R1
RT @ryu_sogen: あと島田裕巳が海外の葬儀費用をどういう風に捏造したかを調査した論文もこちらに、引用データ自体の信憑性の問題以前にいくら何でも含めるべき金額を意図的に除くとか数字自体の捏造は許されンやろ。 https://t.co/QCtW6Z9O1w
現在、勅使は路頭の儀の行列には参加せず、近衛使代が代理を勤めるようですが、大正9年の『加茂神社葵祭解説』https://t.co/38fRyh42Qb を見ると、当時は勅使が参加していたようです。他の検非違使志代や山代使代・馬寮使代などがすべて「代」がついている中で、勅使のみ「勅使」とあるので。
いわゆる現代の古神道でいうミロクが大石凝真素美に起源を持つのは明らかで、まず大石凝が『仏説観弥勒下生経』https://t.co/BPWR94S48R や『弥勒出現成就経』https://t.co/SwQYGy3s24 で、仏教の弥勒経典に基づき、弥勒は釈迦入滅後三千年の現代日本に下生すると主張しました。 https://t.co/52cxnwf90S

2 0 0 0 OA 大石凝翁全集

いわゆる現代の古神道でいうミロクが大石凝真素美に起源を持つのは明らかで、まず大石凝が『仏説観弥勒下生経』https://t.co/BPWR94S48R や『弥勒出現成就経』https://t.co/SwQYGy3s24 で、仏教の弥勒経典に基づき、弥勒は釈迦入滅後三千年の現代日本に下生すると主張しました。 https://t.co/52cxnwf90S

2 0 0 0 OA 醴泉のほとり

昭和2年『醴泉のほとり』井上江花著 https://t.co/eU8HV7nQF3 >「もう鐘は、さっきから鳴って居ますね」とむら子が云ふ「なるほど小立野は寺の多い所だからな」と私も除夜の鐘に耳を傾けたのである。 昭和元年、金沢の大晦日の情景です。

6 0 0 0 OA 目白生活

大正5年『目白生活』瀧本種子著 https://t.co/uV98vfoitd >その中に上野の杜から除夜の鐘がゴーン、余韻を遠く送る多くの人がこの鐘をどんな心で聞くだろうか。何やら涙ぐましい。
大正9年『手紙ローマンス』大島三枝子著 https://t.co/I1rkkaYBVj >今夜七時の汽車に乗るの、百八の鐘は修善寺の湯槽で聞くかも知れないわ
大正元年『浄瑠璃の女』武田寿著 https://t.co/MmoB9CIiy7 >慌し気に逝く年を、名残を惜んで鐘が鳴る、除夜の鐘が鳴る--

2 0 0 0 OA 心扉録

明治38年『心扉録』斎藤弔花著 村の即興(9)除夜の遊び https://t.co/0q1J4HRm6N >さて、今宵一夜を剰して、寺の鐘一つ一つに限られ行くと思へば、旧知も岐路に別れの袂惜しまるる習とて

2 0 0 0 OA 学生ロマンス

大正6年『学生ロマンス』垣本健三郎著 https://t.co/BLVPFE6PPD >「実はツイした出来心なのだが、君の監督している男だのに、済まん事をした。除夜の鐘が耳にツイて寝られないだろう。で……」 意味がよくわからないのですが、今で言うBLか。著者は淡い嫉妬で急に酒の味が落ちたそうです。

7 0 0 0 OA 神道百話

RT @51st_w_m: 『神道百話』(小倉鏗爾、S18)でも「略式の作法」として再拝二拍手一拝の参拝作法を説いています。 https://t.co/5Op13hYSNB 興味深いのは、この時代から神棚の方位については根拠のないことが多いとか東だの南だのは「世間一般の通説」…
RT @51st_w_m: ちなみに件の先生の >心の中で祈る間が、この作法は含まれていない。 というご指摘には既に上掲『神まつりと其の作法』が「祈願を込める塲合には、二拍手の次に、姿勢を正し上體を稍々前方に屈し瞑目のもとに心眼を神靈に馳せ恐る恐る申上げる」などと親切に説か…
RT @51st_w_m: 『家庭神まつりの栞』(神道公論社、S16)でも普通参拝は神棚と同様(※再拝二拍手一拝)でよいとしていますし、 https://t.co/adcpfI8XYu それは既に『神まつりと其の作法』(宮崎縣神職會、S11)でも言及されてます。 https:/…
RT @51st_w_m: 『家庭神まつりの栞』(神道公論社、S16)でも普通参拝は神棚と同様(※再拝二拍手一拝)でよいとしていますし、 https://t.co/adcpfI8XYu それは既に『神まつりと其の作法』(宮崎縣神職會、S11)でも言及されてます。 https:/…

6 0 0 0 OA 礼のこころ

RT @51st_w_m: また、これも戦前の皇典講究所による「家庭祭祀の行事作法」などにも再拝拍手一拝の様子が見え、この頃から公民教育として参拝作法の普及が図られていたことが伺われるのです。 『神社讀本』(全国神職会、S15) https://t.co/kmGZjR0Wqr…

6 0 0 0 OA 神社読本

RT @51st_w_m: また、これも戦前の皇典講究所による「家庭祭祀の行事作法」などにも再拝拍手一拝の様子が見え、この頃から公民教育として参拝作法の普及が図られていたことが伺われるのです。 『神社讀本』(全国神職会、S15) https://t.co/kmGZjR0Wqr…
RT @51st_w_m: (承前)戦前の『尋常小学修身書巻二 教師用』の第十三「氏神様」の章にも、「再拝 拍手二 一拝」が掲げられています。神社祭式同行事作法は今日も含め神主向けですが、この文部省著作の「教科書」は児童への指導用ですので、一般向けの作法解説と考えて宜しいと思い…

2 0 0 0 風俗画報

RT @Araiyayon: @kokon_komainu 「風俗画報 349号」明治39年9月ですが、裏表紙の「風俗畫讃」と、p39「風俗畫讃拾遺」に「御朱印」の語があります。これは「御朱印 記念スタンプ」のお題で短歌を募集した結果の発表なので、御朱印と記念スタンプを似たもの…
@mahorobasama 五色不動は意外に新しい可能性がありますね。六地蔵は建立された時期もはっきりしていますが、特に巡拝があったか否かはわかりません。六阿弥陀は彼岸の行事として多くの人が巡拝し、その様子は東都歳時記や江戸名所図会にも描かれています。 https://t.co/crXMf58XGu https://t.co/SjOb6ixhxJ
@mahorobasama 五色不動は意外に新しい可能性がありますね。六地蔵は建立された時期もはっきりしていますが、特に巡拝があったか否かはわかりません。六阿弥陀は彼岸の行事として多くの人が巡拝し、その様子は東都歳時記や江戸名所図会にも描かれています。 https://t.co/crXMf58XGu https://t.co/SjOb6ixhxJ
@mahorobasama 江戸名所図会には10ページにわたって浅草寺の境内が描かれていますが、これを見ると安藤氏が「神仏のデパート」と評した繁栄ぶりがよく伝わってきます。 https://t.co/Pg3eTT6Vdf https://t.co/eJuqqDmwsR https://t.co/GIKDEV1wRP https://t.co/zYccGLLwdD https://t.co/xqhb7rUYtV
@mahorobasama 江戸名所図会には10ページにわたって浅草寺の境内が描かれていますが、これを見ると安藤氏が「神仏のデパート」と評した繁栄ぶりがよく伝わってきます。 https://t.co/Pg3eTT6Vdf https://t.co/eJuqqDmwsR https://t.co/GIKDEV1wRP https://t.co/zYccGLLwdD https://t.co/xqhb7rUYtV
@mahorobasama 江戸名所図会には10ページにわたって浅草寺の境内が描かれていますが、これを見ると安藤氏が「神仏のデパート」と評した繁栄ぶりがよく伝わってきます。 https://t.co/Pg3eTT6Vdf https://t.co/eJuqqDmwsR https://t.co/GIKDEV1wRP https://t.co/zYccGLLwdD https://t.co/xqhb7rUYtV
@mahorobasama 江戸名所図会には10ページにわたって浅草寺の境内が描かれていますが、これを見ると安藤氏が「神仏のデパート」と評した繁栄ぶりがよく伝わってきます。 https://t.co/Pg3eTT6Vdf https://t.co/eJuqqDmwsR https://t.co/GIKDEV1wRP https://t.co/zYccGLLwdD https://t.co/xqhb7rUYtV
@mahorobasama 江戸名所図会には10ページにわたって浅草寺の境内が描かれていますが、これを見ると安藤氏が「神仏のデパート」と評した繁栄ぶりがよく伝わってきます。 https://t.co/Pg3eTT6Vdf https://t.co/eJuqqDmwsR https://t.co/GIKDEV1wRP https://t.co/zYccGLLwdD https://t.co/xqhb7rUYtV

1 0 0 0 OA 寺社書上

@mahorobasama 吉祥院も、文政寺社書上を見ると当時の本尊は毘沙門天、脇侍が吉祥天と善膩師童子で、院号はこれに因んでいたようです。一緒に大日如来と歓喜天が祀られており、これが現在の本尊となったのでしょう。 https://t.co/Q4zmSKNjtc https://t.co/OHXcJq5HaW

1 0 0 0 OA 寺社書上

@mahorobasama 吉祥院も、文政寺社書上を見ると当時の本尊は毘沙門天、脇侍が吉祥天と善膩師童子で、院号はこれに因んでいたようです。一緒に大日如来と歓喜天が祀られており、これが現在の本尊となったのでしょう。 https://t.co/Q4zmSKNjtc https://t.co/OHXcJq5HaW

1 0 0 0 OA 寺社書上

@mahorobasama 昭和新撰江戸三十三観音の第七番としての十一面観音は、もともと宝珠弁財天堂(現在の心城院)に祀られていた歓喜天の本地仏の十一面観音で、湯島天神の本地堂に祀られていた十一面観音ではないのではないかと思います。 https://t.co/eUYW7iSZP5

1 0 0 0 OA 寺社書上

@mahorobasama 次のページに相殿の歓喜天や柳の井戸について書かれています。 https://t.co/Tg4GZwUNkD

1 0 0 0 OA 寺社書上

@mahorobasama もともと心城院は宝珠弁財天堂で、本尊が宝珠弁財天、相殿に歓喜天と歓喜天の本地仏・十一面観音を祀っていました。喜見院の弁財天や湯島天神の本地堂に祀られていた十一面観音がどうなったのかはちょっとわかりません。 https://t.co/QZnT5DxgKq
@d_asano 寛文2年(1662)に著された『江戸名所記』に「森田町大六天(=第六天榊神社)」がありました。 https://t.co/54COpEzbjD しかし内容は縁起不詳だがそういう神社仏閣は数多いということと、第六天魔王についての記述だけです。御祭神が面足尊・惶根尊でないことぐらいが有用な情報でしょうか。

1 0 0 0 OA 寺社書上

@d_asano 先日話に出た第六天榊神社の別当寺ですが、国会図書館デジタルコレクションで文政寺社書上を確認したところ、鳥越神社の社家の分家が神主を務め、別当はなかったようです。吉田家配下の唯一神道になっていたのでしょう。 https://t.co/OwEHSZdIUT

4 0 0 0 OA 官報

二宮神社、社号標は郷社になっているんですよね。因みに郷社昇格の内務省告示が掲載されている官報はこちら。神饌幣帛料供進社への幣帛料改定や本殿遷座に伴う祭祀の祝詞改正の内務省令など、神社に関心のある人には興味深い内容がいろいろと。 https://t.co/lxPgaNbGuW
@soragoto602 中腹にあるのは金刀比羅宮の社殿だと思います。歌川広重の浮世絵に似た構図があります。 https://t.co/zFJDw1284k
国立国会図書館デジタルコレクション『西国三十三所観音順拝道中図会』の6コマ目に「閻魔大王之御宝印」が載っています。 https://t.co/PQ1dyslk0e
@soragoto602 昭和2年の時点で村社ですね。https://t.co/H4GLFTjm24

2 0 0 0 OA 妙宗御鬮絵鈔

江戸十大祖師を調べていて、明治22年の『妙宗御鬮絵鈔』という資料に行き当たりました。https://t.co/dDZ47YI7D1
@shirakawainari 名所江戸百景の「王子稲荷の社」https://t.co/QUCp4v59vC

4 0 0 0 OA 〔江都名所〕

@shirakawainari 江都名所にはこちらがあります。「王子稲荷の社」https://t.co/UDhqhCSCOg
無許可で使える画像がないのですが、リンク先4コマ目に「閻魔大王之御宝印」の印影があります。一般にイメージされる御朱印とは似ても似つかぬ不思議な図形です。 https://t.co/uLNL5C3McS
大正13年1月、朝日新聞社は皇太子(昭和天皇)御成婚を記念して、東京本社と大阪本社各4名の記者を選抜し、2名一組で全国の主要な神社と山陵を巡拝するという企画を行いました。その記録をまとめたのが『神社山陵参拝記』https://t.co/3fDAS1JjWxです。

お気に入り一覧(最新100件)

こちらの論文 https://t.co/WbEiieo8R9 では武蔵御嶽神社にある菊の御紋を見て政府の「何らかの関与」があったとされていて、それを証左として「国家神道」に結び付けているけど、ンなわきゃないんですよね。 https://t.co/gP5MYNUwce
結論、仕方ない時も多かったけどやれる人は庶民であってもなんかやってた。 参考資料はこちら https://t.co/9aBMtG0xXI
あと島田裕巳が海外の葬儀費用をどういう風に捏造したかを調査した論文もこちらに、引用データ自体の信憑性の問題以前にいくら何でも含めるべき金額を意図的に除くとか数字自体の捏造は許されンやろ。 https://t.co/QCtW6Z9O1w

97 0 0 0 OA 明治事物起原

@kokon_komainu なるほど。国デコで確認しましたが、おもしろいですね。 https://t.co/p5WIGUUsE6 なお、タイトル『明治事物起"原"』ですね。

7 0 0 0 OA 神道百話

『神道百話』(小倉鏗爾、S18)でも「略式の作法」として再拝二拍手一拝の参拝作法を説いています。 https://t.co/5Op13hYSNB 興味深いのは、この時代から神棚の方位については根拠のないことが多いとか東だの南だのは「世間一般の通説」とし、方位をあまり気にすることはないとしているところです。
ちなみに件の先生の >心の中で祈る間が、この作法は含まれていない。 というご指摘には既に上掲『神まつりと其の作法』が「祈願を込める塲合には、二拍手の次に、姿勢を正し上體を稍々前方に屈し瞑目のもとに心眼を神靈に馳せ恐る恐る申上げる」などと親切に説かれてます。 https://t.co/CMuiUUWzbs
『家庭神まつりの栞』(神道公論社、S16)でも普通参拝は神棚と同様(※再拝二拍手一拝)でよいとしていますし、 https://t.co/adcpfI8XYu それは既に『神まつりと其の作法』(宮崎縣神職會、S11)でも言及されてます。 https://t.co/gj9cobYWMu つまり普通の神社参拝は神棚拝礼に準拠したようです。
『家庭神まつりの栞』(神道公論社、S16)でも普通参拝は神棚と同様(※再拝二拍手一拝)でよいとしていますし、 https://t.co/adcpfI8XYu それは既に『神まつりと其の作法』(宮崎縣神職會、S11)でも言及されてます。 https://t.co/gj9cobYWMu つまり普通の神社参拝は神棚拝礼に準拠したようです。

6 0 0 0 OA 礼のこころ

また、これも戦前の皇典講究所による「家庭祭祀の行事作法」などにも再拝拍手一拝の様子が見え、この頃から公民教育として参拝作法の普及が図られていたことが伺われるのです。 『神社讀本』(全国神職会、S15) https://t.co/kmGZjR0Wqr 『禮のこころ』(坂本貞、S17) https://t.co/56hRtVOtZS

6 0 0 0 OA 神社読本

また、これも戦前の皇典講究所による「家庭祭祀の行事作法」などにも再拝拍手一拝の様子が見え、この頃から公民教育として参拝作法の普及が図られていたことが伺われるのです。 『神社讀本』(全国神職会、S15) https://t.co/kmGZjR0Wqr 『禮のこころ』(坂本貞、S17) https://t.co/56hRtVOtZS
(承前)戦前の『尋常小学修身書巻二 教師用』の第十三「氏神様」の章にも、「再拝 拍手二 一拝」が掲げられています。神社祭式同行事作法は今日も含め神主向けですが、この文部省著作の「教科書」は児童への指導用ですので、一般向けの作法解説と考えて宜しいと思います。 https://t.co/vH6WzeLfVi https://t.co/qyuLEPooE9

2 0 0 0 風俗画報

@kokon_komainu 「風俗画報 349号」明治39年9月ですが、裏表紙の「風俗畫讃」と、p39「風俗畫讃拾遺」に「御朱印」の語があります。これは「御朱印 記念スタンプ」のお題で短歌を募集した結果の発表なので、御朱印と記念スタンプを似たものとして扱っていたようです。 参照:https://t.co/JHS71Mwm66 https://t.co/KJG4ANg2AG

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