たてものきろく (@t8mono)

投稿一覧(最新100件)

13 0 0 0 OA 大・阪急

@izu500 ありがとうございます。昨日、深里橋を昔の文献で調べてたところ阪急のビルが近くにあったとあったので、もしやと思っていましたが。。 こちらの阪急本に湊町ビルの記述があります。淀屋橋の日本銀行の隣にあったアドビルと同じ感じで広告がいっぱいついてたんでしょうかね。 https://t.co/oYXYdHads9

1 0 0 0 OA 大阪築港誌

@izu500 例の如くNDLを漁ってたら大阪築港誌という資料があって、こちらで犬島採石工場沿革について触れられたとこがありました。当時の写真もあるし、また詳しく読んでみようと思います。 https://t.co/teTzrV27gt
@369halfmoonst 時代が進むと昭和13に瀧野川区瀧野川町七にもあるようです。こちらは毛筆専門のようですね。 https://t.co/tqSv5P9yrD

37 0 0 0 OA 日本商工営業録

@369halfmoonst ↓になんかありました。 上野西黒門町十九、鵞毛堂 日本商工営業録 明治31年9月刊(第1版) https://t.co/KZirWBCeLv

1 0 0 0 日本花街志

@izu500 『(中略)〜紋章の松皮菱は前述の松の古木からヒントを得たもので、中央に廓の字を配しただけの、別段、何の趣向もない平凡なものである。』 とありました。意外に単純な理由で。。 ↓NDL個人送信権限必要 - 日本花街志. 第1巻 (情怨百年史 紋章の研究) https://t.co/uI3N9JI7uF
@izu500 すっきりしましたね。 ただ『すなば』の臼石がどこにいったのかは気になりますね。貴重な品っぽいのに。 大正3年頃の現地の教会の写真はありました。まだ臼は見つかってない頃だとおもいますが。 https://t.co/uJ127RPmCk
@izu500 他の資料もあたってみたら37番地だとわかりました! https://t.co/oCiai52KHV
@izu500 NDL個人送信の1955年の資料ですが気になる記述が。 天理教芦津大教会(別資料から当時の新町南通2丁目と思われる)が隣家を買収して土中を工事してたら『すなば』と掘られた臼石が出てきたので記念に塀に飾ってたとのこと。。 『浪華夜ばなし : 大阪文化の足あと. 続』 https://t.co/S1C0YzysTS
@izu500 1枚目の画像の方は一丁目なんですよね。。どちらなんでしょう。 こちらの写真界の本ですね。1枚目のは6コマ目です。 https://t.co/Hj5QmgOlMo
→ この論文にある写真を見ると内部の意匠はアール・デコな感じだったんだな。カラーで見てみたいな。 建築家薬師寺主計とアール・デコ様式について : 中國銀行旧本店における室内意匠からの考察 - 日本建築学会計画系論文集 https://t.co/mP3ERwazBu
@izu500 なるほど、あるかも。。 摂津名所図会で長堀に石屋が多いと書いてあったのを思い出しました。 調べたら、また面白そうな論文もありました。廃材どうしてたとか知りたいなあ。。 - 江戸時代の大坂の石屋 https://t.co/pxbtrWAurv
@rByIafs1BTCW9on いえ、元々こういうつくりで、奈良とかでよく見る「大和棟」の建て方です。私も初めてみた時は、なんじゃこりゃ、とびっくりしました。 下記論文が参考になります。 -参考)大和棟の分布とその系譜 https://t.co/4NytZotZEd

8 0 0 0 OA 光雲懐古談

@ikiningyo 横からすみません。すでにご覧になっているかもそれませんが、彫刻家の高村光雲が昭和4年に出した『光雲懐古談』に生人形師の松本喜三郎について詳細に書かれています。当時の見せ物の仕組みなんかもわかって大変面白くおすすめです。 https://t.co/9EwHVFwoAh
@izu500 こちらの論文でも4丁目が有力視されてるようです。私が見た資料では住所が江戸堀となってましたが、結構資料によって記述がバラバラなようですね。。 P30. 耳鳥齋の戯画と東アジアの美術交渉ー文化交渉学研 究の一つの方法試論ー https://t.co/RxuxkNY83a
@hiba0215 ありがとうございます!リンク先のは第二部のようで第一部の方を見ましたらP91にありました。著者の方が見られたのと同じもののようです。やはり魔除けや火伏せのまじないのようですね。それにしてもすごい資料です。。じっくり読み込みたいですね。色々疑問が解決しそう。 https://t.co/asYB0TQBTs
@kageyankageko 建築写真類聚(大正10)を見ると同じ絵柄のが載ってますね。残念ながら建物名はわかりませんが、こちらの論文によると、やはり小川三知のっぽいです。鶴清のが同じものかはわかりませんが、何か関わりがあったら面白いですね。 https://t.co/wvLE2U5rFZ https://t.co/tnOSQLn5O7
@51mame218 笠岡の商店にもありましたね。 検索してみたら、こちらの論文がヒットしました。 まだ、ちゃんと読めてませんが、そのまま「金網看板」っぽいですね。 「金網看板」について - J-Stage https://t.co/1iNwc9OTsv

お気に入り一覧(最新100件)

@x0QJnFV472kv0qF @t8mono 横から失礼します 工務の「工」と改良の「カ」などと大ハズレなツイートをして、恥ずかしさのあまり削除してしまいました…(^-^; 「電」の字が付く業務機関が複数ある一方、「力」の字が付く業務機関は電力だけのようで、だから「力」の字を取ったのかな?などと思いましたhttps://t.co/Z5mNeXHfCw
阪急所有の野球場が1922年に豊中から宝塚へ移ったため、1922年と1923年の大阪大会は阪神所有の鳴尾を使用していたようだ 1924年から京阪所有の寝屋川を使用 戦前期における電鉄会社系野球場と野球界の変容 https://t.co/VxiL8UCFhA
@t8mono 日野三天狗堂だから天狗が3人のマークなんですね ちょっとかわいい 本社が千本通5丁目、工場が潮路通5丁目にあったようで、 国立国会図書館デジタルコレクションより https://t.co/FeeDT1Gdl6

3 0 0 0 OA 堺市風水害誌

@yonezawakouji ふぉふぉふぉふぉ https://t.co/JcN3Xo1i9g https://t.co/3vbGTnFpWP

1 0 0 0 OA 攝津名所圖會

大阪くらしの今昔館で開催中の「浪花なりわいづくし」には摂津名所図会の紹介も多く、職人や商人の様子を描いた見知らぬ屏風も出ていて、大阪の江戸から明治までの繫盛の様子をしることが出来る。https://t.co/ck3V0m4csK ←漢方薬「和中散」を扱う薬屋「是斎屋」の様子
@t8mono 何つながりなんでしょうね…まさか小豆? 阪和線がまだない時代に大阪から日根野まで… 例の大正末期~昭和初期の建替ラッシュの時代に移築され、お古の校舎は明治中期の「御殿」風とのことで、農村で受けそうなデザインですね https://t.co/teQbg4T9qT
@t8mono 集英のRC造校舎、1927年10月竣工ですね https://t.co/xfDyqVZfwM
@t8mono こちらを拝読したところ、昭和2年の学区制廃止を見越した大正末期からのRC造校舎建設ラッシュ、という大阪市特有の事情があったとのことです https://t.co/xfDyqVZfwM 建設費は久宝小学校の65万円が最高額だったようですね
「下村呉服店広告葉書」 消印が独自の店独自のもの。「冬物賣出し」の消印。本店は京都・藤洞院。明治35年当時、7店舗を有する一大呉服店であった。4枚目は「日本之勝景」より(下にリンク) https://t.co/yY8vbxGH1H https://t.co/UvAYzOfpAL
@t8mono とんだ清吉さん違いでしたが、返って勉強になりました笑 こちらを拝見すると「和佐清吉(恵美須町)」「当時広く流行していた今宮型の製造者」とありますね https://t.co/FONTMTfoP0
@t8mono 戦前の建物が残っているんですね!知りませんでした! 大門百貨店に詳しくないので正確なことは言えませんが、昭和13年1月18日からやってたという記述があるので、昭和11年オープンのこの建物で開催されてた可能性は高そうですね。 https://t.co/i8rHZ95xhN https://t.co/m2GQa4CBA6

42 0 0 0 OA 大阪府写真帖

@Daiosakajidai @mansendo 天王寺公園の植物温室、大正9年に公開という資料がある一方で大正3年の大阪府写真帖には、美術館の近くにすでにドームの建物が映っているんですよね。うーむ https://t.co/Is7MgOz21c https://t.co/v20Ihq58Bx
図版や地図、都市図も充実していて思わぬ良資料。 この大阪の交通路線の見やすさよ。 https://t.co/EJP3eNc24G
NDLデジコレにある『近畿關西旅行案内 : 修學旅行の栞』(三省堂1933年) 表紙裏に元の持ち主の手による修学旅行の行程図をみつけてしまい検索が止まらない。 奈良で押した記念印から昭和10年4月20日〜26日の旅だったようだ。 https://t.co/KV4xTq2dYQ https://t.co/btEJlkf2vw
『今古大番附 : 七十余類』大正12年 東京番附調査会 編 NDLデジタルコレクション デジコレに痕跡本みつけると嬉しい。 「女流の部」の下の数字は掲載の女流浪曲師総数とチェック数(聞いた人数?)かな? 元の持ち主、大正ドルオタ疑惑。 https://t.co/TzJLUESDhI https://t.co/z9gFs2kT56

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