- 著者
-
鵜澤 由美
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.141, pp.225-263, 2008-03
これまで、近代以前の日本には誕生日の習慣はなかったと考えられ、誕生日に関する研究もほとんどされてこなかった。しかし、日本でも天皇や将軍などの誕生日は祝われ、古くは奈良時代に誕生日の行事が行われていたのである。そこで本稿では、近世における誕生日の実態を明らかにするべく、誕生日の祝われ方、位置付けなどを考察していく。将軍の誕生日には、将軍の御前で祝が行われるとともに、殿中に祗候している者たちに餅や酒が下賜されるという行事が行われた。将軍の誕生日は、将軍と、殿中で祗候する詰衆や旗本、御家人との主従関係を意識させる儀礼の一つであったのである。この祝の構造は大名家の一部でも見られ、藩主の誕生日に家臣が集められて祝儀が行われた。公家にとっての誕生日は節句のようなものであり、当主が自らの誕生日を最も盛大に祝っていた。家族や友人と祝宴を開くのが一般的であった。産土神である御霊社への参詣も行われた。また、天皇の誕生日は、近世に入っても毎月行われ、女官が心経を読誦した。下級武士や庶民は、子供や孫の誕生日を中心に祝った。赤飯を炊き神に上げ、親類や隣人と会食をするなど、家族的な行事だった。誕生日には餅や酒が出され、また厄除けの力があるという小豆も食べられた。神仏の信仰も重視されている。日頃の無事を喜び、今後も息災であることを願ったと推測される。年を取るのはみな一斉に正月であったけれども、前近代の人々も、自分や家族などの生まれた日を特別な日として意識していた。一年に一度めぐってくる誕生日を記念し、祝うという概念があったのである。明治以降、西洋文化が輸入され、戦後に満年齢が制度化されて誕生日に加齢の要素が加わり、生活の欧米化も加速していく中で、今日のような祝い方になったと考えられる。