著者
三原 芳秋
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
no.90, pp.1-42, 2011

論説(Article)本論考は,T.S.エリオットの「伝統と個人の才能」(1919年)が,帝国日本の思想家・西田幾多郎および植民地朝鮮の「親日派」・崔載瑞というふたりの知識人によって「誤読」された事例をめぐって,そもそもエリオットのmetoikos(居留外国人)的主体性に潜在していたイデオロギー素の解析から,この不気味な「誤読」を生んだ政治的・理論的ドラマの絡まり合いを解きほぐし,その過程で生産され抑圧された「問題」を明るみに出すThis article deals with the two uncanny "misreadings" of T. S. Eliot's "Tradition and the Individual Talent" (1919) by Nishida Kitaro, leading philosopher of the Japanese Empire, and Choe Chaeso, "pro-Japanese" intellectual of Colonial Korea. Analyzing the ideologemes inherent in Eliot's metic [i.e., metoikos] "Tradition", the author attempts to unweave the intertwined political and theoretical dramas involved in these unpredictable disseminations, and to uncover the unique "problems," or "problematics," produced and suppressed through the process.
著者
三原 芳秋 松嶋 健 花田 里欧子 岡本 雅史 高田 明 太田 貴大 鵜戸 聡 比嘉 理麻 高梨 克也 中川 奈津子 中谷 和人 アンドレア デアントーニ 赤嶺 宏介 川上 夏林
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

「(人間)主体」の諸機能=学科を軸に制度化されてきた人文学を「生きている存在」一般の学として再編成する(=「生態学的転回」)ために、多様な専門の若手研究者が集い、「共同フィールドワーク」や芸術制作・コミュニティ運動の〈現場〉とのダイアロジカルな共同作業を通して従来型ではない「共同研究」の〈かたち〉を案出することが実践的に試みられ、その〈プロセス〉は確固たる端緒を開くに至った。また、環境・社会・精神のエコロジーを美的に統合する「エコゾフィー」的思考を共有する基盤となるべき「新たな〈一般教養〉」構築を文学理論の「生態学的転回」を軸に試みる企図も、国際的・学際的に一定の承認を得ることができた。