著者
上野 和男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.241-270, 1991-11-11

本稿は最近における日本の社会文化の地域性研究の学史的考察である。日本の地域性研究を時期的に区分して,1950年代から1960年代にかけて各分野で地域性研究が活発に行われた時期を第1期とすれば,最近の地域性研究は第2期を形成しているといえる。第2期における地域性研究の特徴は,第1期に展開された地域性論の精緻化にくわえて,新たな地域性論としての「文化領域論」の登場と,考古学,歴史学などにおける地域性研究の活発化である。1980年以降の地域性研究の展開にあらわれた変化は次の3点に要約することができる。まず第一は,従来の地域性研究が家族・村落などの社会組織を中心としていたのに対して,幅広い文化項目を視野にいれて地域性研究がおこなわれるようになったことである。地域性研究は「日本社会の地域性」の研究から「日本文化の地域性」の研究へと展開したのである。第二は,これまでの地域性研究が現代日本の社会構造の理解に中心があったのに対して,日本文化の起源や動態を理解するための地域性研究が登場したことである。とくに文化人類学や歴史学・考古学のあらたな地域性論は,このことがとりわけ強調されているものが多い。第三は,これまでの地域性研究が社会組織のさまざまな類型をまず設定し,その地帯的構造を明らかにしてきたのに対して,1980年以降の地域性論では,文化要素の分布状況から東と西,南と北,沿岸と内陸などの地域区分を設定することに関心が集中するようになったことである。つまり「類型論」にくわえて「領域論」があらたな地域性論として登場したことである。本稿では地域性研究における類型論と領域論の差異に注目しながら,これまでの地域性研究を整理し,その問題点と今後の課題,とくに学際的な地域性研究の必要性と可能性について考察した。
著者
上野 和男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.66, pp.179-212, 1996-03

この報告は、沖縄八重山波照間島の盆行事についての記述と分析である。波照間島の盆行事はムシャーマを中心とする村落レベルの行事と家族単位の盆行事の二つに区分される。ムシャーマは来訪神ミルクを先頭とする仮装行列と棒術、太鼓、獅子舞、ニンブチャー(念仏踊り)を内容とする行事であり、村落レベルでの盆行事にはこのほかに来訪神アンガマの行事とイタシキバラとよばれる行事がある。これに対して家族単位の盆行事は、先祖を迎えて供物を供えて供養し、そして先祖を送るという、構造的にはごく一般的な内容の盆行事である。本稿では波照間島の盆行事をつぎの三点を中心に考察を試みた。第一は、村落レベルの行事と家族単位の盆行事の儀礼過程の記述と両者の意味の差異、および両者の関係についての検討である。第二は、ムシャーマ行事のもつ祖先祭祀的性格と農耕儀礼、特に豊年祭的性格についての考察である。そして第三は、盆行事に登場するミルク、フサマラー、アンガマの三つの来訪神についての検討である。これらの諸問題について分析の結果、つぎのような結論に達した。第一に、波照間島の盆行事のうち、村落レベルの行事は主として無縁の先祖に対する供養がその中心であり、家族レベルの盆行事は各家族の正当な先祖に対する祖先祭祀であって、両者は意味が異なる。第二に、村落レベルの盆行事は、豊年祭的要素と祖先祭祀的要素の双方を含んでおり、これはもともと無縁先祖に対する祭祀として行われていたムシャーマ行事に豊年祭アミジワーの行事が移行し両者が合体した結果である。第三に、八重山地域で活発に行われている来訪神信仰のなかでも波照間島のミルク、フサマラー、アンガマは、たとえばミルクがブーブザーとよばれる夫やミルクンタマとよばれる子供たちとセットになって登場するなど、いくつかの独自の特徴をもつことが明らかになった。This paper gives an analytical description of the Bon rituals observed on the Hateruma island, Yaeyama, Okinawa. There are two types of the observance, one held at the village level centering around the Mushāma, and the other on a family basis. The Mushāma festival consists of a masquerade parade led by the visiting god Miruku, the bōjutsu fencing, drum music, lion dancing, and the ninbuchā (nembutsu dancing). The village-level observance also includes a rite dedicated to the visiting god Angama and another rite called Itashikibara. The famiy-level Bon observances are structurally common throughout the country, consisting of welcoming the souls of the ancestors, enteraining them with food and other offerings, and sending them off on their return to the world of the spirits.This paper studies the Bon festivals observed on Hateruma Island, focusing on three points: first, the procedures of both the village and family observances, their differences, and their relationships; second, the ancestor worship and farming-rite (especially harvest festival) aspects of the Mushāma ritual; and, third, the three visiting gods Miruku, Fusamarā and Angama.The examination of these leads to the following conclusions. First, Hateruma's village and family Bon rituals differ in meaning, for the former is dedicated maninly to unrelated (muen) ancestors and the latter to each family's orthodox ancestors. Second, village ritual, containing both the elements of harvest and ancestral festivals, resulted from the harvest festival Amijiwā having moved into the original ancestral rite Mushāma festival. Third, Hateruma's rites for the gods Miruku, Fusamarā, and Angama have several features distinctive from many other visiting-god festivals in the Yaeyama area.
著者
上野 和男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.173-249, 1985-03-25

This paper describes and analyses ancestor worship in Japanese family, especially Ihai (memorial tablet of ancestors) cult. In the Japanese family, various forms of ancestor worship is practiced traditionally and briskly. These ancestor worship is practiced every day and special events in the year. There are various types of ancestor worship in Japan, feneral and grave system, succession system of ancestor's personal name, mourning rule, and fukudanka system (double affiliation system to the family temple) are some example. Among the various types of ancestor worship, I analysed the succession system of ancestor's personal name (UENO 1982, Structure of personal names and family types in Japan., in Review of economics and political science, Meiji University, vol. 50, No.5-6, pp. 249-321.). This paper has very much to do with my previous paper.In this paper I attempt to clarify the relationship between ancestor worship and family structure typologically. In the other paper, I classfied Japanese family typologically into four types from family construction, and three types from familty structure. (UENO 1984, Family structure in Japan, in Nihon Minzokubunka Taikei (An Outline of Japanese Folk-culture), vol. 8, pp. 409-454.). Four types of family construction are as follows. (1) Extended family type, (2) Stem family type, (3) Family type with inkyo system (inkyo is domestic residential separation system into some smaller units in the family), and (4) Nuclear family type. Three types of Family struction are as follows. (1) Patrilateral family, (2) Patrilateral conjugal family, and (3) Bilateral conjugal family.The data on which this paper is based were collected by my fieldwork from 1970 to 1983 and from various reports and papers by Japanese folklorist, anthropologist and sociologist. I analysed these data from two points. First point is form of memorial tablet, for example shape, material, site in the house etc, and rule of cult. Second point is kinship relationships between ancestors which is worshipped by memorial tablets and living members of the family, especially family head. Then I classfied Japanese ihai cult into three types. First type is Patrilineal type. In this type Fa (father), Mo (mother), Fa Fa, Fa Mo, Fa Fa Fa, Fa Fa Mo of family head is worshipped by the memorial tablet in the same family. Second type is Bilateral Type. In this type Fa and Mo, Fa Fa and Fa Mo, Mo Fa and Mo Mo, or wife's Fa and Mo of family head are worshipped in the given family. Third type is intermediate type of the two types. In this type, Mother's parents or wife's parents are worshipped temporarily in the family. In many areas this type of ihai cult is called Ihaiwake.In conclusion, the relationship between types of ihai cult and family structure is as follows. family types types of ihai cult(1) Extended family type (1) Patrilineal type(2) Stem family type (2) Ihaiwake type(3) Family type with inkyo system (3) Bilateral type(4) Nuclear family type
著者
上野 和男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.97-159, 1993-11-10

本稿は日本各地の隠居制家族の比較分析を通じて、日本における隠居制家族の諸類型を設定し、その地域的変差を通じて隠居制家族の構造を明らかにし、さらに日本の家族類型における隠居制家族の位置と村落社会構造との関連を明らかにしようとする一試論である。ここで試みる隠居制家族の類型化は、日本の家族の地域類型設定の一部をなすものであり、その意味でこの研究は日本社会の地域性研究の重要な一部をなすものである。隠居制についてはこれまでさまざまな概念規定が試みられてきているが、ここでは地域社会に規制された家族内部において、居住分離を基本とするある程度独立した複数の生活単位を形成する家族制度である、と規定した。この規定にしたがえば、隠居制家族は福島県を北限とし、トカラ列島宝島を南限とする各地の村落に認められる。これらの隠居制家族を比較分析して本稿では、あとつぎの結婚から隠居形成までの期間、生活単位の成員構成、隠居者と母屋構成員との関係および婚姻居住形態の三つを指標として、日本の隠居制家族の類型化を試み、「父性型」「婿入婚型」「双性型」の三類型を設定した。父性型は嫁入婚を基礎として、親夫婦と息子夫婦が家族内で別個の生活単位を形成する型である。婿入婚型は妻訪いをともなう婿入婚を基礎とする隠居制家族であり、父―息子二世代夫婦不同居の原則が貫徹されている。双性型は夫方の親夫婦のみならず、妻方の親夫婦との間にも隠居制家族を形成する型である。これらの型によって地域的分布も異なる。隠居制家族は構造的には、夫婦関係を中心とする日常生活上の分離と、親子関係を軸とする家族としての統合との妥協的な家族構造であり、程度の差を内包しつつも分離と統合のふたつの側面をもつ家族構造である。また隠居制家族と世代階層制、宮座などの村落組織との構造的な関係は稀薄である。
著者
上野 和男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.137-145, 2003-03

この報告は,儒教思想との関連で日本の家族の特質を明らかにしようとする試論である。考察の中心は,日本の家族の構造と祖先祭祀の特質である。家族との関連においては,儒教思想は親子中心主義,父子主義,血縁主義を原理としているといえるが,この3つの原理が日本の家族や祖先祭祀の原理をなしているかが,本報告の課題である。結論として,つぎの3点を指摘できる。第1は,日本には儒教的な親子中心型の家族とは異質な夫婦中心型家族が伝統的に広く存在してきたことである。この意味で儒教的な親子中心主義イデオロギーのみならず,夫婦中心主義イデオロギーも存在してきたのである。第2は,日本の祖先祭祀においては父方先祖のみを祀る形態もあるが,母方や妻方の先祖をも祀る型が広範に存在することである。このことは日本の祖先祭祀が父子主義のみによって貫徹されてきたわけではなかったことを意味している。第3に,日本の家族においては,財産を相続し祖先祭祀を担うのは必ずしも血縁によって結ばれた子供に限定されないこと,また,子供たちのなかでひとりの相続者がきわめて重要な位置を占めてきたことである。したがって,日本の祖先祭祀と家族は伝統的にも現代的にも儒教的な家族イデオロギーのみによって規定され,存在してきたわけではなかったといえよう。儒教的な家族行動規範は,日本社会の基本的な構造が確立した後に部分的に受容されたのであって,これが全面的に日本の家族や祖先祭祀を規定したことはこれまでにはなかったのである。
著者
上野 和男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.179-212, 1996-02-29

この報告は、沖縄八重山波照間島の盆行事についての記述と分析である。波照間島の盆行事はムシャーマを中心とする村落レベルの行事と家族単位の盆行事の二つに区分される。ムシャーマは来訪神ミルクを先頭とする仮装行列と棒術、太鼓、獅子舞、ニンブチャー(念仏踊り)を内容とする行事であり、村落レベルでの盆行事にはこのほかに来訪神アンガマの行事とイタシキバラとよばれる行事がある。これに対して家族単位の盆行事は、先祖を迎えて供物を供えて供養し、そして先祖を送るという、構造的にはごく一般的な内容の盆行事である。本稿では波照間島の盆行事をつぎの三点を中心に考察を試みた。第一は、村落レベルの行事と家族単位の盆行事の儀礼過程の記述と両者の意味の差異、および両者の関係についての検討である。第二は、ムシャーマ行事のもつ祖先祭祀的性格と農耕儀礼、特に豊年祭的性格についての考察である。そして第三は、盆行事に登場するミルク、フサマラー、アンガマの三つの来訪神についての検討である。これらの諸問題について分析の結果、つぎのような結論に達した。第一に、波照間島の盆行事のうち、村落レベルの行事は主として無縁の先祖に対する供養がその中心であり、家族レベルの盆行事は各家族の正当な先祖に対する祖先祭祀であって、両者は意味が異なる。第二に、村落レベルの盆行事は、豊年祭的要素と祖先祭祀的要素の双方を含んでおり、これはもともと無縁先祖に対する祭祀として行われていたムシャーマ行事に豊年祭アミジワーの行事が移行し両者が合体した結果である。第三に、八重山地域で活発に行われている来訪神信仰のなかでも波照間島のミルク、フサマラー、アンガマは、たとえばミルクがブーブザーとよばれる夫やミルクンタマとよばれる子供たちとセットになって登場するなど、いくつかの独自の特徴をもつことが明らかになった。
著者
上野 和男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.161, pp.39-60, 2011-03

本稿は、主として西日本地域に神社祭祀組織として広く分布する宮座について、とくに中国地方と北部九州の宮座を取り上げ、これを近畿地方の宮座と比較分析して、宮座の構造とその地域的変差を明らかにするとともに、宮座の現代的変化についても考察しようとするのが目的である。本稿で第一に論じたのは、宮座の概念についてである。本稿では、内面から、すなわち宮座の内部的な構造に立ち入って宮座を概念規定した。宮座は「一定の地域社会において当屋制を原理とする神社祭祀組織」である。宮座の内部構造に注目すれば、宮座は株座の形態をとるにせよ、また村座の形態をとるにせよ、対内的な家相互の平等性・対等性と、対外的な封鎖性排他性(ときには秘儀性)を特徴とする祭祀組織であると規定できよう。第二は、宮座の地域的多様性の問題である。宮座の地域的類型として、本稿では「家当屋制」と「組当屋制」を提示した。家当屋制とは、宮座のメンバーである家々の当屋順序を直接指定するような原理にもとづく当屋制であり、近畿地方の当屋制はこれにあたる。これに対して、組当屋制とは当屋順序がそれぞれの宮座メンバーの順序として直接指定しないで、地域、組などの順序に従って当屋の順序が間接的に規定している当屋制であり、兵庫県播磨地方以西の中国地方の宮座、北部九州国東半島の宮座がこれにあたる。第三に、宮座の現代的変化の問題についても論じた。中国地方や国東半島の宮座を通して明らかなことは次の諸点である。ひとつは、とくに人権思想平等思想の普及による株座から村座への変化である。ひとつは祭礼費用負担方法の変化である。特定の当屋が負担する「当屋負担型」から、全戸で平等に負担する「宮座負担型」への変化である。現代の宮座研究は今後とも宮座のこうした現実を直視しなければならない。