著者
中島 直子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.14, pp.1001-1024, 2003-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
73

19世紀,大英帝国の首都ロンドンは拡大を続け,1851年に人口は236万人を超えた.中産階級は,次第に環境の良い郊外に移り住み,スラム化した都心部には労働者が多数残された.しかし大都市問題に関わる公的機関の介入は限られ,改良事業の多くが博愛主義者の慈善活動に依存していた.本稿では,1860年代以降,英国のオープン・スペース運動の発展に貢献した,社会改良家オクタヴィア・ヒルの環境への関心と行動の範囲・内容を明らかにする作業を通して,緑に囲まれた都市や国土の景観を保全する活動が,当時の人間のいかなる意識や理解に基づいて始まり,社会の批判や合意を得て進んでいったのかを検討する.ヒルのオープン・スペース運動は,都心部に小さな遊び場を造ること,身近な「使われない墓地」を開放することから始まり,コモンやフットパスの保護,英国南東部ウィールド丘陵の眺望点の保護,さらに湖水地方の景勝地の保護へと発展した.19世紀末にオープン・スペース運動は躍進期を迎え,ヒルは英国全体のオープン・スペースの保護を対象とし得るナショナルトラスの創設者の一人となった.ヒルの著した論文・書簡・報告文の内容から・オープン・スペース意識と行動とを検討し,オープン・スペース運動は博愛主義に基づく社会改良事業から始まった環境保護運動であり,「美の普及」に関わる芸術活動と関連していたこと,さらに彼女のオープン・スペース運動への貢献が,先行研究で示された本のより大きかったことを論じる.
著者
中島 直子
出版者
お茶の水地理学会
雑誌
お茶の水地理 (ISSN:02888726)
巻号頁・発行日
no.33, pp.45-56, 1992-05-09
被引用文献数
1
著者
中島 直子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.14, pp.1001-1024, 2003-12-01
参考文献数
74
被引用文献数
1

19世紀,大英帝国の首都ロンドンは拡大を続け,1851年に人口は236万人を超えた.中産階級は,次第に環境の良い郊外に移り住み,スラム化した都心部には労働者が多数残された.しかし大都市問題に関わる公的機関の介入は限られ,改良事業の多くが博愛主義者の慈善活動に依存していた.本稿では,1860年代以降,英国のオープン・スペース運動の発展に貢献した,社会改良家オクタヴィア・ヒルの環境への関心と行動の範囲・内容を明らかにする作業を通して,緑に囲まれた都市や国土の景観を保全する活動が,当時の人間のいかなる意識や理解に基づいて始まり,社会の批判や合意を得て進んでいったのかを検討する.ヒルのオープン・スペース運動は,都心部に小さな遊び場を造ること,身近な「使われない墓地」を開放することから始まり,コモンやフットパスの保護,英国南東部ウィールド丘陵の眺望点の保護,さらに湖水地方の景勝地の保護へと発展した.19世紀末にオープン・スペース運動は躍進期を迎え,ヒルは英国全体のオープン・スペースの保護を対象とし得るナショナルトラスの創設者の一人となった.ヒルの著した論文・書簡・報告文の内容から・オープン・スペース意識と行動とを検討し,オープン・スペース運動は博愛主義に基づく社会改良事業から始まった環境保護運動であり,「美の普及」に関わる芸術活動と関連していたこと,さらに彼女のオープン・スペース運動への貢献が,先行研究で示された本のより大きかったことを論じる.
著者
中島 直子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.39, 2007

<BR> 英国の社会改良家オクタヴィア・ヒルはオープン・スペース運動の中心人物である.同運動は1880年代から1890年代にかけて全盛期となる.ヒルは同運動を発展させるために,関係者と協力し,コモンズ保存協会・カール協会・首都圏公共公園協会・コモンズ保存協会ケント・サリー委員会・ナショナルトラストなどオープン・スペース運動を行う複数の組織の充実や創設に関与する.ヒルは同運動を,労働者階級を対象とする住宅改良運動を行う仲間たちと共に始めるが,イングランド教会の牧師,博愛主義者,芸術家,高位聖職者,労働者層らも協力した.シティ,教区会,地域委員会区,首都圏建設局など地方自治体の議員,ならびに上下両院の国会議員ともヒルは交渉があった.オープン・スペースを都市内外に保護する活動を全英に周知させ,同運動を発展させるには,国会での同問題の発議・審議,さらに法案の制定など国会議員との連携が必要であったからである.<BR> 1850年代~1880年代にかけてヒルが友人に宛て書いた書簡を中心資料として,彼女と議員と社交の拡がりを示す.ヒルはシャフツベリー,ケイシャトルワース,ショールフェーブル,クロス,ホランド,ブライス,オコナーらの国会議員との交渉があった. 上記議員の所属は上下両院,与野党,自由・保守両党と様々であるが,彼らは各々の立場と得意とする諸分野とから社会改良を実現させようとするリベラルな議員であった.なかには福音主義者やアイルランド自治論者も含まれた.<BR> 今回の発表では,ヒルや議員の著した論文ならびに国会議事録を資料に加え,彼女と国会議員との交渉の内容と拡がりを検証する.19世紀後半の英国で,オープン・スペース運動が,どのような議員の関心と支持を得ていたのか.ヒルはどのように巧みに活動し,同運動を強化,発展させることに成功したのか明らかにする.