著者
徐 勝 大久保 史郎 中島 茂樹 市川 正人 松宮 孝明 生田 勝義 水島 朝穂 豊下 楢彦
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2002

各年度の研究成果については、すでに報告済みである。2002年度、科研の第1回日韓共同研究(10月、ソウル法科大学)では「21世紀東アジア平和・安全保障情勢の変化と日韓の安全保障・治安法制の構造」の主題で、韓国の軍事主義と人権(韓寅燮・ソウル法科大)など、6本の報告がなされ、38度線一帯などの視察、韓国国防大学校で「韓国の安全保障」懇談会も行った。2003年2月の第2回日韓共同研究(立命館大学)として『有事法制と国家緊急権に関する新考察』の主題で、「韓国の現代憲政史における国家緊急権」宋石允(梨花女子大学)など5本の報告がなされた。また、続いて行われた立命館大学国際シンポジウム「21世紀北東アジア平和構築と地域協力--新たな情勢と日本の役割-」の第3セッションを担当し、張達重(ソウル大政治学科)「朝鮮半島安保と日本の役割」など4本が報告された。科研と関連して学内研究会を10回にわたって行った。2003年度、第3回日韓共同研究(沖縄、6月20日〜23日)では「米軍と日韓の安全保障・人権」をテーマに、「韓米相互防衛条約-同盟か?隷属か?」(崔哲榮・大邱大学)など8本の報告が行われた。第4回日韓共同研究(ソウル大学校、10月24日〜26日)は「現代韓国の治安法-警察・情報機関」をテーマに、韓国の大法院と大検察庁を訪問し、研究会では、「議会による秘密情報機関統制:ドイツ、米国、韓国における現実を中心に」(李桂洙・蔚山大学校)など6本の報告が行われた。その他、科研と関連して3回の学内研究会が行われた。2004度には、第5回の日韓共同研究(7月・早稲田大学)そこで、鄭〓基「韓国における民族国家の形成と慰霊空間-国立墓地を中心に-」など11本の報告が行われた。その成果としては、主要論文から『法学セミナー』や「『立命館法学』に掲載された他、3年間にわたる科研基盤研究(A)『現代韓国の安全保障と治安法制の実証的研究』総計36本の論文・分析のうちから14本を『現代韓国の安全保障と治安法制』(法律文化社、2006年3月)として刊行した。
著者
大久保 史郎 徐 勝 上田 寛 赤澤 史朗 松本 克美 中島 茂樹 松宮 孝明
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

本研究では、民主化以降の現代韓国の法・政治構造の転換を主題とし、日本との比較の中で、韓国側の新進気鋭の法学者を網羅し、3年間の研究を進めてきた。韓国の民主化の転換点を1987年の「6月民主化大抗争」に置いて、盧泰愚政権以降の韓国政治の民主化過程に対応する憲法・刑事法・労働法・行政法・経済法等の変動に関する分析を行い、その過程と到達点、限界などを明らかにした。そこでは、憲法裁判所の役割や国家人権委員会設立過程などで見られるように、司法の権力統制と人権保障機能の段階的強化、司法権の独立および司法制度改革への模索、市民運動の興隆と市民の政治・司法への参加の増大などが認められた。しかし、反面、分断体制からくる制約や権威主義体制の遺産などもあり、国家保安法を存置させている問題も指摘された。3年間の共同研究の経過を下に示す。第1回共同研究(99年4月・ソウル)では、日本側から2本、韓国側から5本の報告がなされた。第2回共同研究(99年10月・京都)では、日本側から3本、韓国側から4本の報告と、園部逸夫氏の記念講演がなされた。第3回共同研究(2000年6月・韓国慶州)では、日本側から4本、韓国側から4本の報告がなされた。第4回共同研究(2000年12月・京都)日本側から1本、韓国側から3本の報告がなされた。第5回共同研究(01年5月・釜山)では、韓国側から3本の報告と、全体の総合討論がなされた。3年間で30本の報告がなされたことになるが、以上の報告のうち、9論文は『立命館大学法学』に翻訳掲載され、全体のなかから選んで、『現代韓国の法・政治構造の転換』として、2002年度に公刊される。
著者
赤澤 史朗 小関 素明 中島 茂樹 福井 純子 梶居 佳広
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究は、現在の憲法改正論議の枠組みが形成された1950年代の憲法論議を、総発行部数の約半数を占める地方紙の論説を主対象として資料収集し、検討するものである。その成果の刊行は、『立命館大学人文科学研究所紀要』97号の特集「1940~50年代の日本の憲法と政治」と、全国の地方紙論説を500点に絞った資料集である、報告書『1950年代の憲法論議-地方紙を中心として』によって実現された。
著者
中島 茂樹
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

ポスト冷戦世界で進行するグローバリゼーションの下で、国家は、対外的に主権を有しており、国内的にはヒエラルヒー的従属関係によって特徴づけられており、議会によって制定された法律を基礎にして社会の発展を形づくる、というイメージはますます過去のものになっている。グローバリゼーション下の国家と経済との融合化によって、国家の性格は大きく変貌を遂げ、「国家」と「経済」、「国家」と「社会」、「公」と「私」の境界はますます不確かなものになっている。かくして、問題は、社会におけるもろもろの公的に重要な任務のうち、いかなるものを国家的任務とし、いかなるものを私的団体の自律に委ね、いかなるものを個人の自己決定に委ねるか、ということである。このような問題は、現行憲法の枠内では、本来的に立法者による民主的決定の問題であることはいうまでもないが、しかし、そもそも立法者はこのような問題についての決断の正当性を何によって根拠づけようとするのか、そしてまた、憲法は、私的団体や個人について、どのような仕方で、どこまでを規制対象におくことができるのか、等々の問題が問われることになる。本稿は、主としてドイツおよびわが国における「公共性」や「公共圏」に関する議論をもふまえながら、現代の議会民主政にとって不可欠な媒介機能のゆえに、国家と社会とのシステム境界上に位置づけられる政党への国庫補助の憲法上の許容性をめぐって、その場合に問題となる国家の正統性基準としての公共性という観点から検討し、その研究成果をまとめたものである。