著者
小田 康徳 原田 敬一 赤澤 史朗 佐久間 貴士 原田 敬一 赤澤 史朗 佐久間 貴士 大谷 栄一
出版者
大阪電気通信大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

大阪市天王寺区内所在の旧真田山陸軍墓地内納骨堂に合葬される骨壺等1件ずつについて、納骨堂内の所在場所、戦没者氏名、所属部隊、階級、戦没地、戦没年月日、本籍地、現住所、遺族、遺骨の有無、同梱物などに分類してデータ化を進め、その結果、件数は8249件、実際の合葬者数は8230人前後という事実が判明した。なかでも戦局が絶望的となった1944年、45年には急増する戦没者(大阪府だけで約9万7千人と推測)のうち、わずかに1303人分の合葬しか実現できていないこと、しかもそのうち約7割が遺骨なしの状況であることを解明した。
著者
大久保 史郎 徐 勝 上田 寛 赤澤 史朗 松本 克美 中島 茂樹 松宮 孝明
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

本研究では、民主化以降の現代韓国の法・政治構造の転換を主題とし、日本との比較の中で、韓国側の新進気鋭の法学者を網羅し、3年間の研究を進めてきた。韓国の民主化の転換点を1987年の「6月民主化大抗争」に置いて、盧泰愚政権以降の韓国政治の民主化過程に対応する憲法・刑事法・労働法・行政法・経済法等の変動に関する分析を行い、その過程と到達点、限界などを明らかにした。そこでは、憲法裁判所の役割や国家人権委員会設立過程などで見られるように、司法の権力統制と人権保障機能の段階的強化、司法権の独立および司法制度改革への模索、市民運動の興隆と市民の政治・司法への参加の増大などが認められた。しかし、反面、分断体制からくる制約や権威主義体制の遺産などもあり、国家保安法を存置させている問題も指摘された。3年間の共同研究の経過を下に示す。第1回共同研究(99年4月・ソウル)では、日本側から2本、韓国側から5本の報告がなされた。第2回共同研究(99年10月・京都)では、日本側から3本、韓国側から4本の報告と、園部逸夫氏の記念講演がなされた。第3回共同研究(2000年6月・韓国慶州)では、日本側から4本、韓国側から4本の報告がなされた。第4回共同研究(2000年12月・京都)日本側から1本、韓国側から3本の報告がなされた。第5回共同研究(01年5月・釜山)では、韓国側から3本の報告と、全体の総合討論がなされた。3年間で30本の報告がなされたことになるが、以上の報告のうち、9論文は『立命館大学法学』に翻訳掲載され、全体のなかから選んで、『現代韓国の法・政治構造の転換』として、2002年度に公刊される。
著者
米原 謙 赤澤 史朗 出原 政雄 金 鳳珍 區 建英 松田 宏一郎
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、近代日本のナショナル・アイデンティティの歴史的形成と変容を、中国や韓国と関連づけて、政治思想史の観点から明らかにしようとしたものである。この三国は、ともに「欧米の衝撃」によって国民国家形成の課題に直面したが、日本だけがいち早く欧米の政治文化を受容し、1890年には立憲政度を導入した。植民地となった韓国や、侵略と内戦によって国家統一に時間を要した中国に比べると、日本は順調に国民国家形成に成功したといえる。しかし日本の立憲主義は、「国体論」という一種の「市民宗教」(ルソー)とセットだったので、1930年代に国体論による立憲主義への逆襲が起こった。つまり政治思想や政策過程の内面まで立ち入ると、近代日本の政治は常に興亜論(アジア主義)-脱亜論、伝統-近代の間を動揺したことがわかる。こうした分裂の構造を、一方ではナショナル・アイデンティティという分析ツールを使うことで、他方では中国や韓国との構造的連関によって明らかにするのが、本共同研究の目的意識である。C・テイラーによれば、アイデンティティの形成は常に「重要な他者」を媒介にしている。近代日本にとって「重要な他者」はまず欧米だったが、中国や韓国は、日本にとって近代化のための反面教師であるとともに、ナショナル・アイデンティティの根拠となる「重要な他者」でもあった。本共同研究の参加者は、国体論・アジア主義・国粋主義・ナショナリズムなどを切り口にして、こうした問題にアプローチした。
著者
赤澤 史朗
出版者
立命館大学法学会
雑誌
立命館法学
巻号頁・発行日
vol.333/334, pp.1461-1492, 2010
著者
赤澤 史朗
出版者
立命館大学法学会
雑誌
立命館法學 (ISSN:04831330)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.6, pp.2607-2633, 2000
著者
赤澤 史朗 小関 素明 中島 茂樹 福井 純子 梶居 佳広
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究は、現在の憲法改正論議の枠組みが形成された1950年代の憲法論議を、総発行部数の約半数を占める地方紙の論説を主対象として資料収集し、検討するものである。その成果の刊行は、『立命館大学人文科学研究所紀要』97号の特集「1940~50年代の日本の憲法と政治」と、全国の地方紙論説を500点に絞った資料集である、報告書『1950年代の憲法論議-地方紙を中心として』によって実現された。