- 著者
-
丸山 徳次
- 出版者
- 関西社会学会
- 雑誌
- フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, pp.26-34, 2005-05-28 (Released:2017-09-22)
日本の大学における社会学のありようについての社会学者による反省は、哲学者による哲学についての反省と極めて類似している。第一に「暗い」とか「かたい」とかいったイメージや世間的評価に悩む点で類似している。第二に、理論や方法論の紹介や研究が、現実社会の問題の究明よりも尊重される、ということに対する学問の現状批判の点で類似している。第三に、学問構造が類似している。社会学は、近代における社会諸科学の成立と連動しながらも「最後の社会科学」と言われるが、それはまた、哲学から自立していった「最後の科学」でもある「越境する知」としての社会学の不安定さは、ハードなパラダイム科学となり得ない学の宿命であると同時に、絶えざる自己反省を必然とする哲学的性格にもよる。こうして、大学教育のあり方への反省は、学およびその対象(近代社会)の生成についての歴史的反省と結びつく必要があるし、それを教育に生かす必要がある。また、当の学問の意義自体を反省すると同時に、新しい制度化を考えることにつながらねばならない。そこで一つのヒントを与えているのは、応用倫理学の新たな胎動である。応用倫理学は、科学技術の高度の発達がもたらす社会問題に応答するものである。こうした時代と社会の「切実な問題」の解決には、多様な専門家が参集する「問題共同体」が形成される必要がある。社会学がそこで期待されるのは、社会調査の能力であって、哲学的自己反省の能力ではない。