著者
井上 さつき 渡辺 裕 寺内 直子
出版者
愛知県立芸術大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

本研究は、19世紀末から20世紀初頭にかけての日本と西洋の文化接触の実態を分析することにより、異文化接触のメカニズムを解明することを目的として行なわれた。井上は、川上一座のヨーロッパ公演における実態を、パリ万博時の日本音楽に関する論文等から明らかにし、さらに、彼らを招聘した舞踊家ロイ・フラーと川上一座との芸術面での関連性についても考察した。コンパクトにまとめられた川上一座の演目が米国出身のロイ・フラーの前衛的な舞踊と組み合わされて上演されたことにより、ヨーロッパ人にとっては二重の異文化接触が起こり、一座の演目が単なる「珍奇な見世物」の次元を超えた衝撃を観客に与えたことが明らかになった。寺内は、川上一座のヨーロッパ公演における音楽的な実態を、近年復刻されたCDおよび20世紀初頭の日本音楽に関する論文から明らかにした。それによると、音二郎らが演じたと思われる音楽や劇は、既成の邦楽曲や歌舞伎のストーリーを換骨奪胎し、ヨーロッパ人に分かりやすく演出が工夫されたものであった。また、彼らの公演は、会場に足を運んだ観客に日本の音楽や劇を紹介する以上に、ヨーロッパにおける音楽研究者に多大な材料を提供した、という意味において、20世紀のヨーロッパにおける日本音楽研究の進展に大きく貢献した、と言える。渡辺は、日欧の音楽面での文化交流史を物語る貴重なドキュメントであるベルリンのPhonogamm-Archiv所蔵の初期日本録音音源の中に1910年代前半に録音された一連の《追分》関連の音源が含まれていることに着目し、それを題材とする研究を行った。日本の民謡が西洋との文化接触の中で近代化・再編成されてくるプロセスの中に位置づけてみるとき、これらの録音は、その直後の時代に急速に進行した近代化・再編成過程にいたる以前の民謡をめぐる状況の一端を示しているとともに、レコードというメディアの登場、とりわけ西洋人による録音・採集という活動の展開が、その近代化・再編成プロセスの大きな動因になったことをも示していることが明らかになった。
著者
井上 さつき 松本 彰
出版者
愛知県立芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

毎年、私たちは研究の方向性を検討するために、数回の打ち合わせを行った。また、ヨーロッパと日本で数回現地調査を行った。 2010年にはドイツ南西部、2011年には中部 (旧東ドイツ)を共同で調査し、さまざまな資料を収集することができた。私たちはいくつかのシンポジウムや学会で研究発表し、また研究誌や書籍の形で成果を発表した。ヨーロッパと日本の合唱運動のいくつかの事例研究を通じて、この分野の基礎研究を行った。
著者
佐野 真由子 有賀 暢迪 飯田 豊 市川 文彦 井上 さつき 君島 彩子 辻 泰岳 牧原 出
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2022-04-01

本研究は、研究史の空隙となっている第二次大戦後の万国博覧会史に取り組むものであり、時期的対象は、万博を統括する政府間組織BIE(在パリ、1931年発足)が大戦終結を受けて活動を再開した1945年から、植民地独立を主要因とする国際社会の変容を背景に、今日も有効な万博の新定義を打ち出すに至った1994年までである。その目的は、催事としての万博それ自体を詳解することではなく、万博史研究というレンズを通じて、国際情勢から開催・参加各国内の政局、関係業界の動向、関係者個々人のミクロな経験までを途切れなく見通し、かつ、自ずと世界の多様な視点に立脚する、新たな戦後世界史叙述の可能性を提示することにある。
著者
井上 さつき
出版者
愛知県立芸術大学
雑誌
愛知県立芸術大学紀要 = The bulletin of the Aichi Prefectural University of Fine Arts and Music (ISSN:03898369)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.3-22, 2006-03-31

Though the 1889 Paris Universal Exposition is famous for Javanese gamelans and annamite dancers, which attracted many French musicians, the official musical events of great size, Auditions musicales, were also mounted during the Exposition. This paper discusses the process of the programming of the Auditions musicales through documents that the author discovered at the Archives Nationales de France. There was friction between the organizers of the Exposition and the committee of the events concerning the content of the events. Georges Berger, one of the general directors of the Exposition, reduced the budget for the official grand orchestral concerts and planned a competition of musique pittoresque, i. e. French and European folk music, according to the proposal of a republican deputy for Bouches-du-Rhone with a view to curry favor with the constituency. (Berger was himself elected as a republican deputy shortly afterward.) Although it seems to be irrelevant to politics, the official musical events of the 1889 Exposition were influenced by the republican's power.