- 著者
-
牧原 出
- 出版者
- 日本公共政策学会
- 雑誌
- 公共政策研究 (ISSN:21865868)
- 巻号頁・発行日
- vol.6, pp.17-31, 2006
<p>本稿は,戦後日本の最高裁判所の制度的定着過程を分析するため,田中耕太郎長官時代の政治裁判と司法行政の動向を検討する。とくに昭和32年に生じた3つの事件,すなわち裁判所法改正の国会審議,戦後初の裁判官再任と全国大の人事異動,最高裁判所10周年記念式典を取り上げることで,岸信介内閣の下で司法権の独立を守るため,最高裁判所がとった政策を戦後史の中に位置づけた。戦後の日本国憲法によって,司法省から裁判のみならず司法行政面での独立を遂げた最高裁判所は,発足当初,国会・内閣と比べて制度的に脆弱であった。しかし,田中耕太郎長官と彼を支える事務総局の戦略によって,国会での裁判所法改正案の議員立法を斥け,再任の際に全国の裁判官を異動させる人事システムを構築し,10周年記念式典に昭和天皇を迎えて法曹三者の結集を図ることで,国会・政党・社会勢力から裁判所機構の独立を守ろうとした。確かにそれは,一見岸信介内閣の保守的な政治姿勢に最高裁判所が迎合したかのように見える。確かに,田中耕太郎長官のメディアでの発言と彼の少数意見が表面上政府見解と軌を一にしている面はあるとしても,事務総局の構築しつつある司法行政はこれとは距離をおいており,また判決における多数意見はむしろ田中の読み方を遮断する方向で変化していく。最高裁判所は,長官の言説を通じて政権と接近しつつも,裁判と司法行政面での独立を保つことで,その基礎を構築したのである。</p>