2 0 0 0 IR 明治の写本

著者
今野 真二 コンノ シンジ Shinji KONNO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.35, pp.41-67, 2014

江戸期に出版された版本が明治期に書写されたものを「明治の写本」と呼ぶことにする。そうした明治の写本は文学研究においては、採りあげられることはほとんどない。しかし、実際はそうしたものがある程度のひろがりをもって存在していることが推測される。本稿では、稿者が所持する明治十九年に写された『夢想兵衛胡蝶物語』(文化七年刊)を分析対象とした。版本と写本との対照によって、さまざまな言語事象についての知見を得ることができた。写本の振仮名においては、版本の語形の短呼形を振仮名として施している例が少なからずあり、当該時期に長音形/短呼形に「揺れ」が生じていた可能性がある。 A textbook that was published in the Edo Period was reproduced in the Meiji Period. This type of textbook is not generally considered as valuable in the field of literature research. However, in some cases, it can be accepted as a valid resource material in the field of linguistics. The Japanese language has changed over the years from the Edo Period to the Meiji Period. Such a process of change can be seen by comparing the textbook published in the Edo Period with the textbooks reproduced in the Meiji Period. From the contrast examined in this paper, with regards to whether the prolonged sound was recognized or not in the Meiji Period, it was pointed out that the word form may have been deviated. Moreover, it was also found that there may have a deviation in the special syllables such as the geminated consonant and the syllabic nasal. Furthermore, in order to indicate the inflectional form of the subjective case and the objective case, differences in whether the particle has been used or not can be found in both textbooks, however, it was concluded that such a condition constantly exists in the Japanese language.
著者
今野 真二
出版者
日本語学会
雑誌
國語學 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.59-73, 76, 2001-03-31

本稿では、西行を伝承筆者とする一〇文献に就き、これまで藤原定家の表記に関して指摘されてきたことがらが定家に先立つ藤末鎌初の仮名文献資料に看取されるのか否か、という観点を設定しながら、ひろく当該期の仮名文献を見渡して気づいたことがらの報告を行なう。これらの文献には後世のような、表語ひいては音韻と結びついた機能的な仮名文字遣はいまだみられないが、「行」に関わる仮名文字遣らしきものはみえており、書記の単位としては「行」が中心であったことを窺わせる。ただし、その一方で、〈ゆへ〉〈まいる〉〈なを〉〈ゆくゑ〉など、語によっては古典かなづかいに非ざるかたちが固定化し始めており、書記の意識は「行」から、「語」へと移行しつつあると思われる。藤原定家との関わりで言えば、行頭に同じ仮名が並んだ場合の「変字」は、当該期の資料にもみられ、また異体仮名〈地〉を音韻ヂに充てたと覚しき例も散見する。したがってこれまでに定家の書記に関して指摘されていることがらの多くは藤末鎌初の仮名資料にもみられ、定家はそれらを総合的にかつ意識的に行なったと考えるべきである。「定家以前」の状況が明らかになることによって、これまで定家に関して指摘されてきたことがらを史的展開の中で評価することができると考える。
著者
今野 真二
出版者
国学院大学出版部
雑誌
国学院雑誌 (ISSN:02882051)
巻号頁・発行日
vol.96, no.12, pp.11-21, 1995-12
著者
今野 真二 コンノ シンジ Shinji KONNO
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.38, pp.129-146, 2017-03-31

日本語を古代語と近代語とに二つに分けた場合、鎌倉時代から室町時代にかけてを過渡期ととらえ中世語とみることがある。鎌倉時代は古代語の言語形式が形を変えていく時代、室町時代は近代語の言語形式が萌芽する時代ということになる。漢語という語種に着目すると、室町時代、すなわち後期中世語の頃から漢語は「話しことば」においても使われるようになってきたことがこれまでに指摘されている。その時点で、「書きことば」において使われる漢語と「話しことば」においても使われる漢語との「層」がうまれたとみることができる。これを「漢語の層別化」と呼ぶとすると、「漢語の層別化」は江戸時代、明治時代と次第に進んでいくことが推測される。本稿においては、明治期の漢語辞書を採りあげ、それらをまず収載語数によって「小規模」「中規模」「大規模」と分けた。より具体的には「イコウ(威光)」「イセイ(威勢)」という漢語に着目し、分析を行なった。室町期成立の文献においては、「イコウ(威光)」「イセイ(威勢)」はわかりやすい漢語であったことが推測される。それは日本人向けに編まれたと思われるキリスト教教義書『どちりいなきりしたん』において、こうした漢語が使われ、かつ仮名表記されていることから推測できる。室町時代においてすでにこれらの漢語は層の下にあったと思われる。このような漢語は明治期に刊行された「小規模」「中規模」の漢語辞書には採りあげられていない。それは収載語数が限られている漢語辞書において、わざわざ採りあげて語義等を説明しなければならないような漢語ではなかったことを意味していると考える。漢語辞書がどのような漢語を見出し項目として採りあげているか、ということについてはこれまで充分な検証がなされてこなかった。しかし、このことからすれば、室町時代頃に層の下にあったような漢語は、明治期において、「小規模/中規模」の漢語辞書が採りあげていないことが推測される。一方、これらの漢語は10000語以上を載せる「大規模」な漢語辞書には載せられており、「大規模」な漢語辞書はそのような漢語を載せることによって、収載語数が多くなっていることがわかる。明治期には漢語が頻用されていた、ということは事実であったとしても、今後はその「内実」の検証が必要になると考える。 From the beginning of the Meiji Era to the 40th year of Meiji, a number of Chinese character dictionaries used Chinese characters as entry words. The number of entry words vary among the dictionaries. They were divided into three groups: dictionaries with less than 5,000 words as "small scale", those with more than 5,000 words and less than 10,000 words as "medium scale" and those with more than 10,000 words as "large scale." The theme of this paper describes how the Chinese characters are classified and registered as entry words in most published Chinese character dictionaries. The research question is how are the Chinese characters differently registered in the "small scale," "medium scale," and "large scale" dictionaries? This paper presents a method that verifies the differences. This method, which was practiced in the Muromachi Era way before the Meiji Era, focuses on two Chinese characters assumed to be understood easily, "ikou" and "isei," and is based on whether these two Chinese characters are registered in the dictionary or not. As a result, these two Chinese characters were found only in the "large scale" dictionary. That is, "small scale" and "medium scale" dictionaries did not register the characters that had already been considered in the Meiji Era as those that were easily understood, and the dictionary with more than 10,000 characters had registered these characters. In other words, "large scale" Chinese character dictionaries increased prescriptive characters by adding these characters. There has not been a precedent case that has concretely presented the kind of Chinese characters that are registered in the Chinese character dictionaries. This paper has introduced this one method.
著者
今野 真二
出版者
日本語学会
雑誌
國語學 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.166-167, 2000-09-30

鎌倉時代の仮名表記に関しては,特に藤原定家及び定家周辺の人々を中心に据えて分析が行なわれ,その成果が蓄積されてきている。本発表では,これまで藤原定家の表記に関して指摘されてきたことがらが定家に先立つ藤末鎌初(=平安時代末期〜鎌倉時代初期)の仮名文献資料に看取されるのか否か,という観点を設定しながら,ひろく当該期の仮名文献を見渡して気づいたことがらの報告を行なった。資料としては,いずれも西行を伝承筆者とする,益田家旧蔵『一条摂政御集』,冷泉家時雨亭文庫蔵『曽丹集』,『出羽弁集』,『行尊僧正集』,『六条院宣旨集』,『中御門大納言殿集』,『近衛大納言集』,出光美術館蔵『中務集』,宮本家蔵『山家心中集』,伝西行筆『躬恒集』の一〇文献に就いた。これら総計九三三八七字の異体仮名使用についてのデータは,それ自身意義のあるものと考える。これらの仮名文字遣,かなづかい及び表記一般に関して観察をした。その結果,一つの仮名あたりの平均異体仮名使用数は,平安末では二・五程度で,鎌倉初期には一・八程度となり,次第に収斂する傾向にあることがわかった。また藤末鎌初の仮名文献には後世のような,表語ひいては音韻と結びついた機能的な仮名文字遣はいまだみられないが,「行」に関わる仮名文字遣らしきものはみえており,書記の単位としては「行」が中心であったことを窺わせる。ただし,その一方で,〈ゆへ〉〈まいる〉〈なを〉〈ゆくゑ〉など,語によっては古典かなづかいに非ざるかたちが固定化し始めており,書記の意識は「行」から「語」へと移行しつつあるとみるべきである。藤原定家との関わりで言えば,行頭に同じ仮名が並んだ場合の「変字」は,すでに当該期の資料にもみられ,時代が下がるにしたがってそれが徹底していくようにみえる。異体仮名〈地〉を音韻ヂに充てたと覚しき例が散見する。このように「定家以前」の状況が明らかになることによって,これまで定家に関して指摘されてきたことがらを史的展開の中で評価することができると考える。