著者
伊藤 重剛
出版者
建築史学会
雑誌
建築史学 (ISSN:02892839)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.130-133, 2009
著者
伊藤 重剛
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文報告集 (ISSN:09108017)
巻号頁・発行日
vol.425, pp.113-122, 1991

1.はじめに前報では古典古代の神域の配置計画について分析し,とくにヘレニズム期およびローマ期の神域が,グリッドを用いて平面が計画されていることを述べた。最初グリッドで基本計画が決定されると,次の段階で様々な微調整が行われ,さらに詳細部が決定されていくと仮定し,現在遺跡に見られる建築遺構について,最終的な寸法がどのような手順を経て決定されたかを実証した。本稿では,このグリッドあるいはそのグリッドの1単位であるモジュールを使用して,神域のみならず単体の建築も設計されたことを示し,また最終寸法が決定されるまでの過程を実証する。2.オリンピアのレオニダイオンレオニダイオンはオリンピック競技の参加選手や役員の宿泊施設として,紀元前4世紀の中頃に建設された。建物各部の寸法を,古代尺の1ftを0.3m前後と考えてこれに換算し,この換算値による各部の比の値ができるだけ簡潔で,できるだけ端数のない寸法となるような1ftの値を探す。分析の結果,中庭列柱の真々距離29.67mを100ftと仮定したイオニア尺に相当する0.2967mが,1ftの値としてもっとも合理的な値と判明した。これをもとにして,設計の手順を次のように推定した。最初にまず,設計の基本モジュールを35ftと決めグリッドを設定した。このグリッドは各部屋の基本寸法とされ,それぞれ6個ずつが正方形をなす形で配置された。そしてこの部屋群の内側と外側それぞれに,奥行き20ftのペリスタイルの列柱廊を廻した。この時点で内側列柱の長さは真々で100ft,外側列柱の長さは同じく250ft,並んだ部屋群は内側140ft外側210ftの大きさとなった。ところが,西側に配列された部屋の前にそれぞれ奥行き20ftの前室が付加され,最終的に東西方向の外側列柱の長さは270ftと変更された。ドリス式の内側列柱は真々100ftの長さで,柱数は各辺12本である。標準柱間は微調整ののち9_<1/16>ft,隅の柱間は9_<3/16>ftと決定された。現在の柱直径と柱間の関係から判断して,本来は集柱式であったと考えられ,その関係を当てはめて柱の直径は最終的に2_<15/16>ftとされた。イオニア式の外側列柱については,基本計画で真々長さ250ftと270ftとされた。また真々柱間は7_<1/2>ftとされていたが,最終的に7_<9/16>ftおよび7_<17/32>ftと微調整された。3.エピダウロスのギムナジオンヘプフナーによると,年代は紀元前3世紀とされている。オリンピアのレオニダイオンと同じ方法で1ftの俑を想定して,設計の手順を推定する。まず最初に,35ftを1モジュールとして,グリッドが設定された。そしてこれによって,東側と西側の外提長さが227_<1/2>ft(6.5モジュール),北側と南側のそれが210ft(6モジュール),東・西部屋幅,南部屋幅が43_<1/8>ft(1.5モジュール),北部屋幅十柱廊幅が42_<1/2>ft(1.25モジュール),中庭列柱廊長さが140ft(4モジュール)と決定された。さらに中庭ペリスタイルの列柱の真々長さが. 100ftの完数の値で決定された。ここまでが,一応第一段階となり,35ftのグリッドを用いて全体の基本的な形が決定された。次に第二段階に入り,部屋の割り付けが決められる。南側の部屋割りは,主室(Y)に建物の東西幅を9等分しその7/9をあて,両側にある3室には1/9をあてている。つまり1:7:1の比で分割している。東側の一連の部屋(Q, R, S, T, U)とそれに対応する部屋(H, I, J, K, L)は基本的に3モジュールの大きさで,それを東側の部屋群では1:8:1に分割し,西側では60ftという完数と43_<3/4>という1.5モジュールに相当する寸法に分割した。北側の部屋群は第一段階の分割をそのまま踏襲した。4.結論以上の考察から,これら二つのペリスタイルの建物が,どちらも1モジュールを35ftとするグリッドプランで,計画されたことが明らかになった。35ftという寸法がどちらにも共通していることから,これはヘレニズム時代の初期から中期にかけての,こうしたレオニダイオンのような宿泊施設やギムナジオンなどの,実用的な建物の部屋の基本単位として,標準的な大きさのひとつだったと考えられる。一旦基本計画が決められると,その後は簡潔な比例を用いたり,完数のftの寸法を用いたりしながら,各部分の寸法を決定し,最後に隅の柱間などの微調整が行われた。
著者
伊藤 重剛
出版者
建築史学会
雑誌
建築史学 (ISSN:02892839)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.130-133, 2009 (Released:2018-06-28)
著者
磯田 桂史 伊藤 重剛
出版者
崇城大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

明治初期、洋風建築が地方へ普及していく過程において、熊本県の場合、二つの伝播ルートがあった。長崎からの伝播ルートと東京からのルートである。当初、熊本側は、能動的に長崎ルートによって洋風建築を取り込み、そのため、東京ルートに数年先んじて伝播した。熊本県内に伝播してきた建築は、両ルートとも、明治10年代までは擬洋風建築であったが、明治20年頃相次いで本格的洋風建築が東京ルートによってもたらされ、それ以降、本格的洋風建築は県内に徐々に普及していった。
著者
伊藤 重剛
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文報告集 (ISSN:09108017)
巻号頁・発行日
no.363, pp.146-157, 1986-05-30

ドクシアデスは,彼の「古代ギリシャの建築空間」(邦題「古代ギリシャのサイトプランニング」長嶋訳)の中で,古代ギリシャの神域の配置を分析している。それによると,ギリシャ人の空間認識の仕方は,人間の視点を中心にして,そこから各方向に何フィートのところに何があるといった,いわば極座標的な理解の仕方であるとしている。彼はこの考えに基づいて,神城内の建物の配置について,神域の入口に視点をおき,それを極座標の原点とし,そこから神域内の建物の特定の点(例えば建物の隅角部)までの距離,それらの距離の比,およびそれらの視線のなす角度を測り,これらの距離,角度の関係を検討した。その結果,神域の配置は,視点から建物の各点までの距離が幾何学的比例関係をなし,そられ視線の角度の関係が, 360°をそれぞれ10等分または12等分した角度体系「10分割法」および「12分割法」の,2つの体系によって計画されたとしている。しかしながら彼の分析は,むしろ残存している遺跡の現況,つまり計画の結果を説明するが,建築家が実際に神域の寸法をどのような手順で決定したか,その過程を説明しない。本文では,アテネのアクロポリスについての彼の分析を例にとり,これを批判した。また建物が互いに直角または平行に配置された神域では,彼の述べるような極座標によって,その配置を考えるのは,もともと不自然と思われるし,また施工者にとっては却って不便であり実践的ではないと思われる。むしろ最初から直交座標で考えた方が,合理的かつ現実的だろう。古代の建物の寸法決定の二大要因は,寸法それ自体の値と,寸法間の比例であると思われる。建物の寸法が最終的に決定されるまでには,最初の基本原則から最後の微調整に至るまでの,いくつかの段階を経ると思われるが,最初の段階ではなるべく端数のない完数による寸法,あるいはなるべく簡潔な比例を選ぶだろうということが,当然推測される。この2つの要因を判断の規準として,現在一般的に考えられている古代尺の値をもとにしながら,コス島の2つの神域の分析結果を次に述べる。紀元前2世紀に建設されたアスクレピオス神域の上部テラスは,コの字型ストアとそれに囲まれた神殿が,左右対称に配置されている。分析の結果,前時代の神城壁の基礎を利用して建てられている,このストアのスタイロベート長さは,最初南側が270 ft, 東・西側がその3/5の162 ft と計画された。柱間は最初基本的に8ftとして計画されたが,次の段階で,入隅部の柱間が15/8ft拡張,北端の柱間が7/16ft縮少され,標準柱間が南側で81/6ft,東・西側で81/16ftと調整された。スタイロベート長さは,最終的にはこれらの調整を経て,南側2723/4ft,東・西側1621/3ftとなった。神殿の大きさは,その正面スタイロベート幅が東西ストア間の距離に対し,1:5という単純な比例で決定されている。アフロディテの神域は,紀元前2世紀に建てられたものであるが,ドリス式のペリスタイルの中庭に,前柱式の神殿が2つ左右対称に配置されている。プロピロンも神殿に対応して,正面に2つ左右対称に配置されているが,これらの建物の大きさが周囲の付け柱の柱間に対応していることから,最初の段階では,9ftのこの柱間をモジュールとしたグリッドプランで計画されたものと思われる。中庭の大きさは,この段階では15×13グリッドだったものが,外周の柱より中庭の柱が少さいため,モジュールの値,つまり柱間を7.5 ft に縮少し,大きさを17×15グリッドとした。さらに,中庭の幅,奥行きを寸法比をより単純な7:6とするための微調整を行い,最終的には幅を128ft, 奥行きを110 ft とし,対応する柱間をそれぞれ,717/32ft,71/3ftとした。以上の検討結果から,ドクシアデスの分析は理論的ではあるが,実際の設計手順としては,実践的ではないということが判った。彼のいう空間認識の仕方は,一般の観察者にとっては正しいかも知れないが,計画家にとっては不充分である。むしろ計画家には,平面を鳥瞰できる抽象的な空間把握の能力が要求され,これなしにおそらく設計はできないであろう。そしてこの平面に対して寸法を与えるたためには,当然必要な計算がなされたのである。コスの2つの神域も,もちろんこの例にもれず,直交座標上で,寸法とその比例を規準に計画された。