著者
佐々木 恵理
出版者
現代日本語研究会
雑誌
ことば (ISSN:03894878)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.17-35, 2018-12-31 (Released:2018-12-31)
参考文献数
20

女性への性暴力への抗議と性被害を告発する「#MeToo」運動をきっかけとして、日本でもセクシュアルハラスメント(セクハラ)の議論が活発になっている。報道の姿勢や世論の反応から、セクシュアルハラスメントは重大な人権侵害であるという認識が浸透していることがわかる。一方、セクシュアルハラスメントが正しく理解されているとは言いがたい状況もある。セクシュアルハラスメントは、職場や労働の場で権力関係を背景に起きると定義されるが、日常で起きる性暴力や性被害を「セクハラ」と表現したり、性的な発言や身体接触の様子を象徴的に「セクハラ」と描写したり、ふざけたりからかったりする意図で「セクハラ」が使われたりしている。本論では、まずセクシュアルハラスメントの定義を確認し、次に、さまざまな場面での誤用・誤解例を示す。さらに、こうしたことばの混乱が起きた源泉を探り、セクシュアルハラスメントの問題解決のためのよりよい表現を考えたい。
著者
佐々木 恵理
出版者
現代日本語研究会
雑誌
ことば (ISSN:03894878)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.36-53, 2019-12-31 (Released:2019-12-31)
参考文献数
9

1980年代にセクシュアルハラスメントの概念が日本に導入され、短縮語の「セクハラ」はハラスメントの実態を一気に広めることに貢献した。その後、セクシュアルハラスメントの「ハラスメント」が切り取られて、多くの造語(ハラスメント語)が作られてきた。ハラスメント語には、セクシュアルハラスメントの中心的な概念である人権や差別の告発をすることばがある。また、不快感や配慮不足を表すことばや本来のハラスメントの意味を持たない記号化したことばも作られて、「ハラスメント」は乱用されている。今後もハラスメント語は増殖し続けるかもしれないが、さまざまな事象を「ハラスメント」という用語で表現するべきではない。作り出したことばは力(権力)を持つことを意識しながら、告発する新たなことばを探したい。
著者
吉中 みちる 齋藤 陽子 佐々木 恵理
出版者
岐阜女子大学
雑誌
岐阜女子大学紀要 = BULLETINOFGIFUWOMEN’SUNIVERSITY
巻号頁・発行日
no.50, pp.27-34, 2021-02-25

発話能力が未熟な段階の乳幼児と手話やジェスチャーを使ってコミュニケーションするベビーサイン(乳幼児用手話)について,0~24ヶ月児の母親を対象とし,アンケート調査を実施した。育児不安感,子どもとの関係,子どもに対する感じ方,育児幸福感についての回答を分析し,ベビーサインとの相関関係を調べた。その結果,ベビーサインを育児に取り入れた母親は,取り入れなかった母親に比べると,「赤ちゃんが泣くと不安になる」「泣いている理由がわからなくて困る」「自分の育児に自信が持てない」などの項目の数値が有意に低く,母親の育児不安感を低減させている可能性が示唆された。
著者
齋藤 陽子 久世 均 吉村 希至 佐々木 恵理
出版者
岐阜女子大学
雑誌
岐阜女子大学紀要 = Bulletin of Gifu Women's University (ISSN:02868644)
巻号頁・発行日
no.46, pp.83-89, 2017

ICT など教育情報環境の進展に伴って,子どもたち一人ひとりの能力や特性に応じた学びや,子どもたち同士が教え合い学び合う協働的な学びを創造していくためには,子どもたち一人ひとりの学習ニーズに柔軟に対応でき,学習履歴の把握・共有等を可能とするような学習環境と教材の開発が求められる。また,このような教育を行うためには,ICT 活用指導力と教材開発能力を併せ持った質の高い教員が必要となる。そのためには,モデル的な新しい教育の方法の開発・提供や,教員等が創意工夫を生かせる学習環境整備とともに,高度な教材開発能力がある指導的な教員の養成や研修が必要となる。そこで,本学大学院文化創造学研究科が産官学と連携し,教員が学びやすい実践的なデジタルアーキビスト養成カリキュラムと教材開発の融合による新しい教材開発能力養成カリキュラムを開発した。さらに,理論と実践の融合を図る往還的な共同演習(アクティブラーニング)を行うことにより,力量ある,より実践的な教材開発能力の研修を試行したので報告する。
著者
佐々木 恵理
出版者
現代日本語研究会
雑誌
ことば (ISSN:03894878)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.17-35, 2018

<p>女性への性暴力への抗議と性被害を告発する「#MeToo」運動をきっかけとして、日本でもセクシュアルハラスメント(セクハラ)の議論が活発になっている。報道の姿勢や世論の反応から、セクシュアルハラスメントは重大な人権侵害であるという認識が浸透していることがわかる。一方、セクシュアルハラスメントが正しく理解されているとは言いがたい状況もある。セクシュアルハラスメントは、職場や労働の場で権力関係を背景に起きると定義されるが、日常で起きる性暴力や性被害を「セクハラ」と表現したり、性的な発言や身体接触の様子を象徴的に「セクハラ」と描写したり、ふざけたりからかったりする意図で「セクハラ」が使われたりしている。本論では、まずセクシュアルハラスメントの定義を確認し、次に、さまざまな場面での誤用・誤解例を示す。さらに、こうしたことばの混乱が起きた源泉を探り、セクシュアルハラスメントの問題解決のためのよりよい表現を考えたい。</p>